2話

「お前たち、神殿の人間だな!? この階はもう駄目だ! 早くここを離れろ!!」


 呆然とする私たちに向けて、続けざまに声がかけられる。

 声の方向は、穢れのさらに奥。眩んだ目を向ければ、回廊の奥からこちらに駆けてくる人の影がある。


 見知った神官や神殿兵の格好ではない。

 かといって、神殿まで祈りに来た人とも思えない。

 腰に剣を差し、軽装ながらも鎧をまとう声の主は――明らかに、どこかの兵だ。


「だ、誰!? この階って……!?」

「俺はユリウス殿下の兵だ! 今は――アドラシオン様の命で、建物に残った者たちを逃がしている!」

「殿下の兵!?」


 説明されても、状況がまるで理解できない。

 どうして神殿に殿下の兵がいて、どうしてアドラシオン様の命令で、どうして彼らが私たちを逃がそうとしてくれるのだろう?

 次々と浮かぶ疑問に立ち竦む私を、しかし兵の声が一喝する。


「もたもたするな! 今は穢れを魔法で怯ませただけだ! すぐに動き出す!」


 刺すような兵の言葉に、私ははっと顔を上げた。

 目の前には依然として穢れがいる。未だ怯んだ様子はあるけれど――少しずつ、我に返ったとでも言うかのように、再び蠢き始めている。


 ちっ、と荒く舌打ちをすると、兵は穢れを挟んだ向かい側で足を止めた。

 その場で、彼は片手に魔力を集める。穢れの注意を引くかのように、魔力を溜めた手を振れば――狙い通り。動き出した穢れが、ぐるんと彼に体を向ける。


「今のうちに、早く行け! 逃げるなら下だ! 階下に他の兵がいる!」

「わ、わかった――けど! あなたは!?」

「俺はこれが仕事だ!」


 思わず問いかける私に、兵は返事を迷わない。

 突き放すように言い切ると、いっそう鋭い声で叫んだ。


「早くしろ! お前たちが残っている方が邪魔になる! ここで全滅なんてしたら、アドラシオン様に顔向けができん!!」


 でも、と言いかけた言葉を、私は唇を噛んで呑む。

 彼を残して逃げていいのか――なんて、この状況で考えてはいけないのだ。

 彼は私たちを助けようとしてくれている。私が残っても役に立つどころか、邪魔になるだけ。

 だとしたら――逃げなくちゃいけない。ぐずぐずと迷っていてはいけない。

 たとえ今、彼が命をかけようとしてくれているのだとしても!


「わかったわ! ――ありがとう!!」


 短い礼だけを口にし、私は兵から背を向けた。

 そのまま、今度こそ迷いなく逃げ出そうとして――。


「――――ヨラン!」


 回廊の片隅で、半身を起こしたままのヨランを見つけてしまった。

 暗い影に紛れ、彼は片膝をついた状態で顔をしかめている。


「どうして逃げてない――いえ、立てないのね! 足を怪我してるの!?」


 だから――ずっと、うずくまった状態で怒鳴り続けていたのだ。


 オルガに突き飛ばされたときか、それとも穢れに呑まれたときか。私が叩き起こしたときには、すでに足を痛めていたのだろう。

 しかめられた顔は、私への憎さだけではなく、足の痛みのせいもあったのかもしれない。

 片足を押さえて歯を食いしばるヨランの額に、脂汗が滲んでいる。

 逃げようと視線を回廊の先に向けているのに――立ち上がることすらできない彼の目に、恐怖と絶望の色がある。


「ヨラン――――」


 ヨランは動けない。

 背後では、再び魔法の爆ぜる気配がする。

 穢れはすぐ背後。考えている余裕はない!


「――――あああああ! もおおおおおおおおおお!!!!」


 苛立ちを込めて声を上げると、私は大きく足を踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る