2話

 思い返すのは数日前。

 突然、クラディール伯爵家の当主――私の父に呼び出され、『無能神の世話をしろ』と命じられたときのことだ。


「――お父様、どういうことです!? 神様のお世話は、聖女がするはずではないんですか!!」


 部屋には父と私以外にも、神殿から来たらしい神官が数人いたが、気にしてはいられない。

 令嬢らしさなどかなぐり捨て、私は父に詰め寄った。


「聖女でもない私が、どうして無能神の世話なんかしないといけないんです! しかも! よりによってアマルダの代わりに!!」

「『無能神の世話なんか』……なんて、ひどいわ、エレノアちゃん」


 そう割り込んできたのは、怒りに震える少女の声だ。

 振り返れば、諸悪の根源――もとい、私の幼なじみの男爵令嬢、アマルダ・リージュが目を潤ませている。


「無能でも、あんなお姿でも、相手は……クレイル様は、神様なのよ。傍にお仕えできることを喜ばなくっちゃ」


 小柄な割には豊かな胸に手を当て、亜麻色の髪を振り、アマルダ――いや、新聖女アマルダ様が気丈そうにそう言った。

 別に私の背が高いわけでもないけれど、アマルダの背が低いせいで、自然、アマルダが私を見上げる形になる。


 青い瞳に涙を浮かべ、こぼすまいと口を引き結ぶアマルダは、いかにもご立派な聖女様だ。

『屈しないわ!』とでも言いたげな顔を見下ろし、私はぐっと奥歯を噛む。


 ――よく言うわよ!


 たしかに、アマルダの言葉は正しい。

 仮にも国を守ってくれる神様に『無能神』なんて、失礼だった。

 あの神様にも一応『クレイル』という名前があるのだから、きちんとそう呼ぶべきだった。

 でも――。


 ――よりによって、アマルダがそれを言う!? そもそもの元凶のくせに!!


 元来、神様のお世話をするのは聖女にしか許されない名誉ある仕事だ。

 聖女とは、神様が直々に、自分の傍に置きたいと選んだ相手なのである。


 そして、無能神が選んだ聖女こそ、アマルダなのだ。

 先日の聖女選定の儀式で、たしかに『アマルダをクレイル様の聖女に』と神託が下った――――はずだったのに。


 ――そのすぐ後に、別の神様に選ばれた、だなんて、聞いたことがないわ!


 アマルダに神託が下ったその翌日。新たな神託で、別の神様がアマルダを所望された。

 その相手こそ、神々を束ねる最高神――美貌と英知を誇る、神々の王グランヴェリテ様である。


 もちろん、神殿は迷うことなく、アマルダをグランヴェリテ様に宛がうと決めた。

 だけどそうなると、当然ながら無能神――もとい、クレイル様が余ってしまう。

 神託に名前が出た以上、神殿としては彼の存在を無視するわけにはいかない。

 その結果、どうしてか私に白羽の矢が立ってしまったのだ。


「急にごめんね、エレノア――ノアちゃん。たしかに、ノアちゃんが、驚く気持ちもわかるわ。でも、悪気があってこんなことを言っているんじゃないの。……ノアちゃんはずっと聖女になりたかったでしょう? それなのに、魔力が少なくて……才能がなくて諦めちゃったでしょう?」


 アマルダはそう言うと、一度悲しげに目を伏せた。

 きっと、こちらが内心で『才能がなくて悪かったわね!』と思っていることなど、少しも想像していないのだろう。

 自分こそ悔しいとでも言いたげに唇を噛み、アマルダは首を振る。


「魔力が足りないと、神様の強い神気に耐えられなくて、聖女を務められないわ。ノアちゃんが聖女になれなかったのは、悲しいけれど仕方のないこと。向いていなかったのよ。それでも私、ノアちゃんが本当に聖女になりたいってこと、知っていたわ。だから――」


 そう言いながら、アマルダは覚悟を決めたように顔を上げる。

 もう涙をぬぐう気はないらしい。濡れた瞳のまま、彼女は真っ直ぐに私を見据えた。


「だから私、ノアちゃんを推薦したの。クレイル様の神気なら、ノアちゃんの少ない魔力でも耐えられるでしょう? ノアちゃんが聖女になるには、こうするしかないと思ったの」


 それにね、とアマルダは続ける。

 私はもう、返事をする気も起きない。


「私にとってみればすべての神様は等しく尊いけれど、他の人にとってはそうではないわ。悲しいけれど、無能で醜い神様には仕えられないと、無責任に逃げ出してしまう人もいる。……私を選んでくれた神様を、そんな人に任せたくはなかったの」


 でも、ノアちゃんなら。

 アマルダは言いながら、愛らしい顔を凛と引き締めた。

 涙の跡を隠さないままに顔を上げ、強い信頼を込めて私を見据えるアマルダは――まさに、聖女と呼ぶにふさわしい姿だった。


「だから、親友のノアちゃんに任せるのよ。ノアちゃんなら、きっと立派に私の代役を務められるわ。そう信じているの。――……たとえ、他の人は嫌がって逃げ出す相手でも、ね?」


 最後に一度、不安を押し隠すようなくしゃりとした笑みを浮かべれば、アマルダを取り巻く神官たちから「おお」と感嘆の声が上がる。


「なんと深いお考えか……」

「実に美しい友情ですな」

「これでは、エレノア嬢にお任せする他にありますまい」


 ざわざわと聞こえてくる声に、私は「けっ」と内心で喉を鳴らす。

 たしかに、アマルダの言葉はもっともらしい。


 聖女を目指していた親友のことも、嫌われ者の無能な神様のことも考えた末の答えだ。

 醜い相手に親友を差し出すなんて、並大抵の苦悩ではなかっただろう。

 それでも悩みぬいた末、これが良いと決断したなら大したものだ。

 感涙間違いなしの、女同士の熱い友情である。が。


 ――親友になった覚えはないわよ!!!!


 それもすべて、互いに分かり合える親友同士の間柄ならば、の話である。

 不本意ながら幼馴染みではあるけれど、別に私とアマルダは友達ではない。

 苦渋の決断だろうがなんだろうが、勝手に人を差し出さないで欲しい。


 しかもアマルダ、自分はちゃっかり最高神の聖女になっているくせに、よくも私を真逆の神様に差し出せたものだ。

 美しい友情どころか、完全に邪魔者の押し付けでしかない。

 それで泣かれても、凛と微笑まれても、こっちとしては置いてけぼりだ。


 ――どうして私が、アマルダの身代わりにならなきゃいけないのよ!!


 と内心で叫びはするが、相手は今や聖女様。そして神殿の神官様たちである。

 下手に口を出すことはできず、私は救いを求めて父に目を向けた。


「お父様……!」


 なんとかして!――と願いを込めて父の顔を見上げたが、彼は気弱そうな体を震わせて、いかにも無力そうにこう言った。


「……わかってくれ、エレノア。これはもう、決定事項なんだ。親友のアマルダのためだと思って、無能神に仕えてくれ…………」


 断じて、親友などではない。


 だけど父のこの言葉で――もう、断れないのだということだけは、よくわかってしまった。

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