2話

 きっかけは、あの大掃除の翌日。

 神様の体が、少しぷるんとしていたことだった。


 神様自身は無自覚なようだけど、あの日以降、確実に神様の体は変化していた。

 なにしろ、明らかに掃除が楽になっているのだ。


 神様が動いても、穢れの跡が残らない。

 食事をした後に、食器が穢れに塗れていない。

 新たな穢れが床を汚すこともなく、掃除をすればするほど部屋がきれいになっていく。


 おかげで部屋の掃除もあらかた終わり、少し余裕のできた今。

 自然と、次にするべきことを考えるようになる。


 ――穢れを払うには、直接触れる必要があると言うけれど。


 いくら私でも、さすがにどろどろ状態の神様に触る勇気はなかった。

 一度、神様から出た穢れに触れたことがあるだけに、『またあんな目に遭うのでは』という不安もあったけれど――今の神様なら、もしかして。


 ――これは、いけるんじゃないかしら?


 と考えた結果が、この状況だ。

 魅惑のもち肌への敗北感はさておき――。




「――じゃあ、行きますよ」


 仕切り直した部屋の中。

 そう言ったのは、今度こそ神様だ。

 私は厳重注意を受けた上、人差し指だけを神様の体に当てている。


「今から、エレノアさんに私の穢れを流します。エレノアさんが浄化できる分だけをお渡ししますので、どうか気を楽にしてください」


「は、はい」


「少しだけ嫌な気持ちを感じるかもしれませんが――特別になにかする必要はありません。拒まず、受け止めてあげてください」


「わ、わかりました……!」


 と答える私は、正直に言って緊張していた。

 思わずごくりと喉を鳴らす音が、静かな部屋に響き渡る。


 ――だって、穢れってあの感情でしょう?


 なにもしなくてもいい、と言われるとかえって不安になる。


 神様曰く、穢れは人の心から生まれ、魔力もまた人の心で操るもの。

 どちらも同じ心の力なのだから、触れ合えばシンプルに強い方が勝つ。


 そして、神々は相手の魔力に応じて、受け渡す穢れの量を調整することができるらしい。

 だから、よほど意地悪な神が相手でもない限り、特別なことをせずとも安全に穢れを浄化することができる――とのことだけど。


 神様が沈黙し、静寂の満ちる中。

 穢れを受け渡す瞬間を待ちながら、私は小さく身震いする。


 頭に浮かぶのは、以前、神様の残した穢れに触れたときのことだ。


 胸の中にあふれかえる、吐き気がするほどの暗い感情。

 誰かへの恨み、妬み、憎しみ。

 呑まれそうになる自分自身が、なによりも恐ろしかった。


 あれを、私が受け止めるなんて――。


 ――いいえ。


 怯える思考に、私は内心で首を振る。


 ――大丈夫。……だって。


 あのときは神様が助けてくれた。

 今も、彼が傍にいる。

 あのとき感じた手の感触とは違うけれど――ぷるんとした触感が、指の先に感じられる。


 ――神様。


 私はぎゅっと目をつぶると、無意識に、頼るように神様に指を押し付ける。

 神様がいてくれるなら、きっと、絶対に大丈夫。怖くない。


 ……とは思いつつ。


 ――あー! やっぱり不安! 怖い!


 怖いものは怖かった。自分に嘘は吐けない。

 人差し指だけと言われたけれど、思わずぎゅっと神様の体をつまんでしまう。


「――エレノアさん」


 ――もう! 緊張しすぎてお腹痛くなってきたわ! 早く終わって!


「エレノアさん、聞こえていますか?」

「聞こえています! 聞こえていますから早く――」

「終わりましたよ」


 …………。


 えっ。


「これで終わりです。お疲れ様でした」


 おそるおそる目を開ける私の前で、神様が一礼するようにたゆんと揺れる。

 なにも変わらない神様を前に、私はしばし、呆然と瞬いた。


 ――ええと。


 これで――――終わり!?


 私、本当になにもしてないんだけど!!?

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