32話

 と、いうわけで。


「簡単に殺すな――――!!」


 五体満足。私は元気に生きていた。


「死ぬまでの判断が早すぎるわよ!? というか、そんなに深くもないし!!」


 ソワレ様を助けに飛び込み、一緒に落ちた穴の中。

 思いがけず天井が抜けてはいたものの、落ちて即死するほどの深さではなかった。

 せいぜい、地下一階といったところだろうか。

 肉厚レナルドのクッションもあって、私は怪我の一つもなくピンピンしている。


「っていうかリディ、あなたマリとソフィ悪い色に染まりすぎじゃない!? どっちが喜劇コントよ!!」


 腹の底から叫べば、地上から「誰が悪い色よ!」と二人そろった声が降ってくる。

 別にマリとソフィだとは言っていないはずなのに、こうも否定するあたり、やっぱり自覚があるのだろうか。


 なんにせよ、とにかく私が無事でいることは地上に伝わったらしい。

 こちらを覗き込むリディアーヌらしき影が、どこか安心したように「待っていなさい!」と叫ぶ。


「今、ロープかなにかを――――」


 だけど、その言葉はすぐに途切れた。

 地下を覗き込んでいた影が消え、ただ月明りに照らされた夜空だけが見える。


「リディ?」


 呼びかけるが、返事はない。

 先ほどまで騒いでいたはずのマリたちの声も聞こえない。

 代わりに、風に乗ってかすかに別の音がする。

 遠いけれど、たしかに聞こえたその音は――。


 ――――悲鳴!!


「リディ、なにかあったの!? リディ!!」


 穴の真下に立って慌てて声を張り上げても、地上は無反応だ。

 ただ、悲鳴と騒ぎ声だけが先ほどよりも大きく響き続けている。


 ――なにが起きているの……!? まさか、また魔物!? それとも穢れ!?


 嫌な予感が頭をめぐる。

 地下からでは様子を見ることができず、余計に不安は増すばかりだ。


 どうにか地上に出られないかと周囲を見回すけれど、この暗闇の中では助けになりそうなものは見つけられない。

 地上からのほのかな月明かりで、穴の周辺がぼんやりと浮かぶだけだ。


 その、穴の周囲。

 私からそう離れていない場所で、大きな影が身じろぎをする。

 この地下で唯一、正体のわかっている存在――レナルドだ。


「放っておけ」

「放っておけって、でも!」

「俺たちが騒いだところでどうにもならないだろ。こっちの声も届いてないようだしな。せめて明かりでもありゃ話は違うんだが」


 反論できず、私は「ぐっ」とうめき声を上げた。

 悔しいけれど、きっとレナルドの言う通り。地上から響く騒ぎを聞く限り、今のリディアーヌたちに穴底の私たちを気にかける余裕はないだろう。


「こっちが穴に落ちたのは大勢見てるんだ。騒ぎが収まれば助けに来る。暗い中で下手に動き回って、助けに気付かないのも馬鹿らしい。信じて待ってろ」

「うぐ……」

「さもなきゃ朝になれば、周りの様子も見えるはずだ。どうせこの位置なら、食堂の地下倉庫かどこかだろう。食堂の担当が、いずれ見回りに来る」

「ぐぐぐぐぐ……」


 どうしようもないほど正論である。

 今の私たちにはなにもできない。

 ならばせめて、大人しく待つのが賢い人間というものだろう。


 ――でも! 別に私は賢くないし!!


 地上の悲鳴を聞きながら、ひたすら待つなんて耐えられる気がしない。

 せめて、地上に出る方法を考えるべきだろう――――。


「それより、聞きたいことがある」


 そう言い返そうとした私より先に、レナルドが口を開く。

 光のない地下の底。いまだ暗闇に目が慣れない中でも、このときの彼の顔だけは、妙にはっきりと浮かんで見えた。


 嫌味な笑みもない、馬鹿にした様子もない。

 肉厚な顔は真剣で、肉に埋もれた目が射貫くように私を見据えている。


「お前、ソワレこいつになにをした?」


 いまだ目覚めないソワレ様を抱えながら、レナルドは低い声で言った。

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