31話

「…………は、え、あ、か、神様……?」


 額に手を当てたまま、私は目を見開いていた。

 真正面には神様がいて、私をじっと見つめている。

 口元には、かすかに笑みを浮かべているだろうか。表情はあくまでも穏やかで、それでいて感情が読めない。

 平然としているようにも、少し意地悪く笑っているようにも見える。


「こ、これは……ええ、ええと…………」


 握りしめられた手は熱を持っている。

 冷たい牢の空気とは裏腹な体温に、顔がますます熱くなる。

 茹で上がった頭に響くのは、心臓の音だけだ。

 しんと静まり返った暗闇の中。かすかに聞こえる風の音も、呼吸の音も――廊下に響く足音が止まったことさえ、私は気付いていなかった。


「ええと……」

「――――い」


 ただ、自分の中の感情を消化するだけで精いっぱいだ。

 だって――だって、どう受け止めればいいのだろう?


「――――おい」


 ――私、キス……されて……――い、いえ、そもそもキス判定していいの!? おでこよね!?


 家族や親しい友人同士なら、親愛を込めてしてもおかしくないくらいのキスである。

 異性でも――場合によっては、深い意味がないこともあるだろう。


 ――で、でも、手まで握って……どっち!? これ、どういう意味!?


 神様は笑みのまま。私だけが混乱をしている気がする。

 触れられた手の熱は上がり続け、じわりと変な汗までにじんできた。


 ――き、聞く……べき……?


 私から、聞いてしまってもいいものなのだろうか。

 壊れそうな心臓を胸に、私は小さく息を呑む。

 それから、覚悟を決めて息を吸い――――。


「おい」

「か、神様…………」

「おい! このバカ! エレノア!!」

「ほわあああああ!!??」


 悲鳴を上げた。

 静まり返った真夜中の牢屋に、私の絶叫が響き渡る。


「な、なに!? 誰! 誰!!??」


 そう言いながらも、反射的に神様の手を振り払ってしまう。

 神様は嫌な顔一つせず、最初からわかっていたかのようにあっさりと私を解放してくれるが――そのことに感謝をする余裕はない。

 あやうく口から飛び出しかけた心臓が、先ほどとは別の意味で、壊れそうなほどに脈打っていた。


「誰かいるの!? っていうかいつから!? まさか、み、み、見られて……!?」

「うるせえ! 周りにバレるから静かにしろ! っていうか、ぜんぜん元気そうじゃねーか!!」


 私の問いに、不機嫌な怒鳴り声が返ってくる。

 私は大慌てで声に振り返り――そこでまた、心臓が止まるくらいに驚いた。


 暗闇に落ちた廊下に、手燭の小さな灯が揺れる。

 淡い光に照らされるのは、不機嫌そうに顔をしかめたひとつの影だ。


「あーくそ! 心配して損した! いや、俺は心配なんてしてねーけど!!」


 聞き慣れた生意気な声に、私は目を見開く。

 誰も訪れるはずのなかった牢の外。静寂を割る声とともに、手燭を掲げるのは――。


「他の連中に頼まれたから捜しに来てやったんだよ! 俺じゃなくて、周りがうるさいから!!」


 胸を張って立つ、腹立たしくも偉大な少年神。

 他の神々が見捨てても、決して人間を見捨てない。光の神ルフレさ――。


「お前のためじゃないけど、感謝しろ――――むぐっ」

「うるさいのはルフレでしょー! 静かにしてよ!」


 ……ルフレ様と、その口をふさいで「ふんす!」とこれまた生意気そうに鼻息を吐くソワレ様である。


 うーん。締まらない。

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