43話

 食事の味はさっぱりわからなかった。


 朝食を終え、一息ついた部屋の中。

 開け放たれた窓から、春も半ばの柔らかな風が吹き込んでくる。

 神様はそよそよと風に揺られ、いかにも心地よさそうに震えている。

 たまに、ぽつぽつと言葉を交わす、静かで穏やかなこの時間――。


 ――私は! ぜんっぜん穏やかじゃないわ!!


 ガッチガチに意識している。

 いつもなら居心地のいい神様の部屋も、今はそわそわと落ち着かない。

 頭の中を「まさか」と「でも」が繰り返し、ときおり神様を盗み見ては、慌ててさっと目をそらす。


 こういうとき、部屋になにもないのは厄介だ。

 目を向ける場所といえば、窓の外くらいしか見当たらない。

 だけど残念ながら、日当たりの悪い神様の部屋の窓から見えるのは、日陰に伸びる細い木々と、隣の建物の壁くらいなのである。


 ――め、目のやり場がない……!


 どうしてこんな、まるくてぽやぽやな神様を正面から見ることができないのだろう。

 言ってしまったらなんだが、神様の見た目は単なる黒い塊だ。

 つやりとした表面には顔もなく、表情もなく、ときどき表面が波打つだけ。

 なにを考えているかすらもわからないはずなのに――。


 ――あ。……眠そうにしていらっしゃるわ。


 体がゆるんとしている神様を見て、私は当たり前にそう思った。

 いつもの張りのあるぷるぷる感はなく、ゆっくりとたゆたう神様の姿に、私は知らず笑みを漏らす。

 初対面の時は固い態度だったけど、思えば神様も、ずいぶんと私の前で気を抜いてくれるようになった――。


 ――じゃないわ!


 ぱちん! と私は慌てて頬を叩く。

 また見ていた。

 普通に感情を読み取っていた。


 勢いよく首を振る私を見て、まどろんでいた神様の体が強張る。

 あ、驚いてる――ではなく!


「エレノアさん? 先ほどからどうされました?」

「い、いえ! なんでもない! なんでもありません!」


 口から出た思いのほか大きな声に、神様も、私自身も面食らう。

 部屋に流れる一瞬の沈黙は、気まずいの一言以外に言いようがない。

 戸惑う神様に、落ち着かない私。窓から吹き込む春の風。

 いつもみたいに、誤魔化して神様をつつくことさえできなかった。


 そのまましばらく。

 次の言葉を探せず、なんとも居心地の悪い私を助けたのは、荒々しいノックの音だった。

 狭い部屋に響く音に、私も神様もぱっと顔を上げる。


 ――た、助かったわ! い、いえ別に、なにがというわけではないけども!


 どうというわけでもないけど、私は内心でほっと息を吐き、いそいそと立ち上がる。

 それから神様を横目で見やり、言い訳でもするようにこう言った。


「だ、誰か来たみたいですね。ちょっと出てきます!」


 誰か――と言いつつも、まあ神様の部屋へ来るのだから、きっとアドラシオン様だろうと思っていた。

 世間では無能神として馬鹿にされている神様だ。

 祈りに来る人もなければ、様子を見に来る神官もいなかった。


 ――アドラシオン様は、こんな乱暴なノックをする方ではないはずだけど……急用かしら?


 などと予想しつつ扉を開け――。




 扉の外の光景に、私は呆然と立ち尽くした。


 狭い神様の部屋の外にいるのは、筋骨隆々の男たちであった。

 それは良い。いや良くないけど。

 問題は、彼らの抱えている荷物だ。


「エレノア様にお届け物です」


 愛想よく笑う男たちの腕にあるのは、テーブルや椅子。箪笥にベッド。その他もろもろ。すべてが、一目でわかるほどに質が良く――。

 ……明らかに、大きい。

 どこをどう見ても部屋の許容量を超えた家具の山を前に、私はただ唖然とするほかになかった。


 誰からのお届け物かは、まだ聞いていない。

 聞いていないけど、聞かなくてもわかる。


 私は立ち尽くしたまま、一つ大きく息を吸い――内心で叫んだ。


 ――リディアーヌ!!!!


 本当にあの子は、加減を知らなさすぎる!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る