19話 ※アマルダ視点

 思えばいつもそう。

 アマルダはなにも悪くない。


 アマルダの行動は、いつだって良かれと思ってやったこと。

 悪いことをしようだなんて、これまで一度だって思ったことはない。

 誰かを恨み、憎み、傷つけたいだなんて、そんな恐ろしい考えは抱いたことすらもない。


 ただ――。


 ――いつもそう。私は悪くないのに、みんな私を悪者にしようとするの。


 アマルダを逆恨みして、あるいは利用しようとして、アマルダの知らないところでみんながアマルダを悪者に仕立て上げる。

 もちろんアマルダを信じてくれる人もたくさんいるけれど、騙されてしまう人も少なくはなかった。


 今回だってそう。

 アマルダはいったいどんな悪いことをしただろう?


 アマルダはずっと、ずっと、一生懸命聖女の務めを果たしてきたのに。

 最高神の聖女として、誰よりも誰よりも、神のため人のためにと努力し続けてきたのに。


 その聖女の座が嘘だったと言うのなら、アマルダこそが騙された被害者だというのに。


「…………ひどいわ」


 口に出して呟けば、目の端からじわりと涙が滲む。

 自分に向けられた無数の視線の冷たさに、胸が引き裂かれるように痛んだ。


「私……知らなかったんです。クレイル様がグランヴェリテ様なんて……今までのグランヴェリテ様が偽者だったなんて……だって、だって……私は神託で選ばれたって聞いたから…………」


 視線を落とすと同時に、涙もぽとりとこぼれ落ちる。

 苦しさに息が詰まり、顔を上げていられない。


「それでも私、本当にグランヴェリテ様にお仕えするつもりでいたんです。まだ、無能神と呼ばれているころのグランヴェリテ様に、ちゃんと! それなのにみんなが止めろって……みんなが無能神じゃなくて最高神にしろなんて言って……!」


 落とした視界に、居並ぶ老神官たちの顔が映る。

 老いた顔に浮かぶのは、どれもが恐怖と怯えの表情だ。

 罪を自覚し、罰に震える彼らを見て、アマルダは顔をくしゃりと歪ませた。


 彼らは、自分たちがどれほどのことをしでかしたのかを、わかっていたのだ。

 わかっていて、アマルダを偽者にあてがったのだ。


「ひどい……ひどいわ! どうしてそんなことを言ったの……! どうして嘘を吐いたの! 神様に仕える神官が、よりにもよって神様を裏切るような嘘を吐くなんて!!」


 あまりの仕打ちに心が軋む。

 唇を噛んでも、両手を握りしめても、涙があふれて止まらない。

 どうしてこんなにひどいことができるのか、アマルダには理解できなかった。

 アマルダもグランヴェリテも傷つけるような真似をして、彼らは今日の今日まで平気な顔をしてきたのだ。


「グランヴェリテ様のお怒りは当たり前だわ! せっかく、聖女として私を選んでくださったのに、取り上げるような真似をしたんだもの! 偽物の人形なんかに聖女を奪われて、偽物の方ばっかり幸せになって、グランヴェリテ様がどんな思いでいらっしゃったか……!」


 身を切るようなアマルダの声が、法廷に響き渡る。

 アマルダの叱責に、老神官たちは返す言葉もないのだろう。口をつぐんで目を逸らす彼らに首を振ると、アマルダは泣き濡れた顔をようやく持ち上げる。


「グランヴェリテ様……」


 心の痛みに下を向きそうになるけれど、ここでうつむくわけにはいかない。

 一度ぎゅっと目を閉じ、奥歯を噛んで痛みをこらえ、アマルダはグランヴェリテに目を向けた。

 そうして、心よりの誠意を込め、彼女は口を開く。


「私……なんてお詫びをすれば……。グランヴェリテ様は私を見込んで聖女にと望んでくださったのに、特別だと思ってくださっていたのに、騙されてこんなことになるなんて……一生懸命仕えていたお方が、偽物だったなんて気づかなくて……!」

「アマルダさん」

「償いをしないと、私……! 今からでも、私、今度こそ正しいお方にお仕え――――」

「アマルダさん、いいえ」


 絞り出すようなアマルダの言葉を、不意に穏やかな声が遮った。

 はっとするアマルダの目の前で、グランヴェリテがゆるやかに首を振る。


「償いは必要ありません。そもそも私は、アマルダさんを裁くつもりはありませんよ」


 金の瞳がアマルダを映し、ゆっくりと瞬く。

 口元に浮かぶのはかすかな微笑だ。

 怒りの色のわずかも見えないその表情に、アマルダは一瞬、涙も忘れて息を呑む。


「あなたはこの場において、ただ一人穢れを知らない方です。私にあなたを裁く理由はありません」


 そんなアマルダを見上げて、グランヴェリテは揺らがない目で告げる。

 声は静かで、落ち着いて、だけどたしかな重みがある。

 染み込むようなその響きは、まるで法廷中の人々に言い聞かせるかのようだ。


「言ったでしょう、アマルダさん。私は人間の穢れの重みを量っていたと」

「グラン……ヴェリテ様……」


 思わず神の名前が口からこぼれ出る。

 言葉を噛み締めるように二度、三度と瞬きをすると、アマルダは静かに嘆息した。


 ――ああ。


 嬉しさが、胸にじわりと広がっていく。

 この場において『ただ一人』、アマルダだけが穢れを知らない。アマルダだけが、神の裁きの外にいる。

 そう、グランヴェリテ自身が言ったのだ。


 ――私だけが。


 涙は止まっていた。

 握りしめていた手は、無意識に口元を覆っている。

 視線はそわそわと落ち着かず、法廷をぐるりと巡った。


 順に眺めれば、こちらを見上げる人々の顔が目に入る。

 グランヴェリテを取り囲む、驚いたような兵の顔。

 すぐ真下で居並ぶ老神官たちの、妬むような憎しみの顔。

 法廷の入り口近くで成り行きを見守る神官や聖女、王家の兵たちの、呆けたような瞳。

 無言のまま感情の読めないアドラシオンに――。


 その少し手前。グランヴェリテの背後。

 戸惑った顔で立ち尽くすボロボロの少女に、アマルダは目を止めた。


 ――ノアちゃん。


 アマルダよく知る、幼なじみの伯爵令嬢エレノア・クラディール。

 アマルダの代理としてグランヴェリテに仕えていた彼女が、不安そうにその背中を見つめている。


 いいや、きっと実際に不安なのだろう。

 今まさに、神の裁きが下ろうというとき。代理とはいえ聖女をしていたエレノアは、神の温情に期待しているはず。どうにかして、自分だけは助けてもらえないかと考えているに決まっている。


 だけど、身代わりの偽聖女の縋るような視線に、グランヴェリテは振り返らない。

 振り向こう、という気配さえも見せず、アマルダを見つめ続けている。


 仕方のないことだろう。

 だって、彼にとって特別なのはアマルダだ。ならば彼の関心が向かうのも、アマルダただ一人しかいない。

 金の瞳が映すのはアマルダだけ。言葉をかけるのもアマルダだけ。怜悧な美貌に浮かぶ微笑みも、アマルダだけのものなのだ。


 ――まあ…………。


 あまりにも熱心な神の視線に、アマルダは思わず目を逸らした。

 照れくささと同時に、ほんの少しのばつの悪さがあった。


 ――ノアちゃん、かわいそう。私の代理としてだけど、ノアちゃんだって一応はグランヴェリテ様の聖女だったのに。


 いくら身代わりの偽の聖女だからって、振り向きもしないなんて少し気の毒ではないかしら。

 いくらアマルダが本物の聖女だからって、あんまりにも見つめすぎではないかしら。

 こんなに大勢の人がいる中で、アマルダだけが特別。穢れを知らない、裁きの外にいる存在。

 そんなことをはっきり言ってしまっていいのかしら。

 アマルダだけが、助かるだなんて――――。


 ――そんなつもり、なかったのに。


 口元を手で覆い、アマルダは青い瞳に憂いを浮かべる。

 どうしていつもこうなってしまうのだろう。

 どうして、こうなっちゃうのかしら。

 アマルダには、少しもそんなつもりなんてなかったのに。


 ああ、本当に困ったわ――――。




「――――アマルダさん」


 心底困ってしまったアマルダに、神は変わらぬ声で呼びかける。

 はっと顔を上げれば、やはり変わらぬ微笑が見える。

 アマルダだけを見つめる金の瞳。アマルダだけに向けられる険しさのない表情。

 一切の怒りのない。苛立ちも、嘆きも、苦しみもない。

 どこまでも穏やかで、落ち着いていて、悠然としたその笑みは――。


「私は、人間を裁きに来たんですよ」


 いっそ無表情と思えるくらいに、わずかも揺らがなかった。


「獣は、裁かないんです」

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