新居についての話し合い(2)
――せ、せっかくいいところに住めるチャンスなのに……!
なんと言っても、神様は最高神である。
いかに王家に占拠された神殿とはいえ、最高神の望みとあれば無下にはできない。金銭に糸目をつけることはないだろうし、手間暇だって惜しまない。きっとどんな無茶な要望だとしても、神殿の死力を尽くして叶えてくれることだろう。
というか、そもそも王家自体が神様を蔑ろにするはずがないのだ。
神殿に無理なことでも、神様のためなら王家が手を貸してくれるはず。どんな豪邸だって、なんなら城に住むことだってできるはずなのに。
――それなのに元の部屋でいいなんて、もったいない!!!!
などと欲望にまみれた私の思考はいったん横へ置いておいて。
「…………本当にいいんですか?」
抱えた頭を持ち上げて、私はもう一度、確かめるように神様を窺い見る。
緊張した様子の神官たちを目の端に映しながら、小さく一呼吸。
今の私たちを取り巻くのは、豪華な部屋、豪華なソファ、豪華なテーブルと贅沢なお茶と菓子。神官たちは最大級の礼を持って神様に接し、今も息を呑んで一挙手一投足を見守っている。
これが、本来は最高神である神様に与えられるべきものだったのだ。
「あの部屋は、神様がずっと追いやられていた場所ですよ」
だけど神様には、なにも与えられなかった。
ボロボロの小屋は冷遇の証。誰も訪ねてくることのない、掃除ひとつされることのない場所で神様は暮らしてきた。
あの部屋は、神様を閉じ込め、人々から疎外し、姿さえも歪めさせた場所。
光の差さない、暗い記憶の残る場所のはずだ。
「……そうですね」
私の問いに、神様はわずかに目を伏せた。
瞳に影が落ちたのは、だけどほんの少しの間だけだ。彼はすぐに顔を上げると、私を見つめて目を細めた。
「でも、エレノアさんと過ごした場所でもありますから」
金色の瞳に私が映る。私を映して瞬きをする。
口元にはうっすらと笑みが浮かぶ。
本人でさえ気づいていないかのような、まるでこぼれ落ちたようなささやかな微笑みに、私は息を呑んでいた。
「暗い記憶がないとは言いません。長い孤独を、私はあの場所で過ごしました。だけどそれ以上に、私にとってあの小屋は、あなたとの思い出の場所なんです」
ぐぬ。
と漏れたうめき声は断末魔である。
――――ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……。
前のめりのまま、私は動けない。
無自覚な笑みを浮かべる神様を正面に、凍り付いたまま「ぬ」の状態で凍り付く。
――というか、これ本当に無自覚!? わかってやってません!?
と思ったところで、もうどうしようもない。
神様のこんな表情を見てしまっては手遅れだ。
こんな――嬉しそうな、照れくさそうな、大切な宝物でも慈しむような。
それでいて、その宝物を取り上げられるかのような。
しゅんと悲しげな顔をされてしまっては、私に選択肢などないのである。
――贅沢、してみたかったわ。
仮にも聖女が考えることではないけれど、一度くらいは『最高神の聖女様』の暮らしを体験してみたかった。今まで散々冷遇されてきたぶん、思いっきり神殿に吹っ掛けてやりたかった。
そうでなくとも、もう少しくらい神様にいい暮らしをしてもらいたかった。
豪邸まではいかなくとも、これまで神様が得られなかった豊かさを感じてほしかった、けど。
「………………わかりました」
こうなってしまっては覚悟を決める他にない。
長い長い間のあとで、解凍された私は敗北の声を絞り出した。
「引っ越しはなしにしましょう。神様がそれでいいとおっしゃるなら、あの部屋のままで」
「エレノアさん……!」
私の言葉に、神様がわかりやすいくらいにわかりやすく安堵する。
ほっと息を吐き、今度はぱっと花が咲くように笑う神様を見て、私は苦笑するしかない。
――まあ、神様がわがままを言うことなんて滅多にないものね。
住居の豊かさは心の豊かさなどと言ったところで、そもそも豊かさなんて人それぞれだ。
小ぢんまりした家でも豊かに思う人もいれば、大豪邸でもまだ足りぬという人もいる。
神様があの部屋で満足しているというのであれば、それで十分。贅沢がしたいというのも、神様に良い暮らしをしてほしいと思うのも、結局は私自身の欲なのだ。
だったら欲望だらけの私の望みは一旦置いて、普段は欲のない神様の望みを優先したい。
だって神様に喜んでもらいたいというのも、私の欲の一つなのだから――。
…………などと、たまには殊勝なことを思ったのが悪かったのだろうか。
「ただし、部屋の改修はさせていただきますよ。壁の補強に天井の修繕、床の張り直し。それに私の部屋の増築もしませんと!」
聖女は本来、神とともに暮らすもの。
だというのに、神様の部屋は狭すぎて聖女の入る隙間もない。おかげで私はこれまで、ずっと宿舎暮らしを余儀なくされてきた。
だけど今は、神殿が住居の希望を聞いてくれると言う。
ならば、わざわざ宿舎から神殿外れの神様の部屋まで長い時間をかけて通うことはない。この機会に、神様の部屋の隣に私の部屋を作ってもらおう――と思っていたのである、が。
「増築、ですか?」
きょとんとしたように神様が首を傾げている。
いったいなにを言っているんだ――と言いたげな神様に、殊勝な私の苦笑がまたしても凍り付く。
「あの……聖女は神様と一緒に暮らすものだと……」
そう思っていたのは私だけだろうか。もしかして神様としては、私が来るのはお嫌だろうか。
そう思いつつ恐る恐る尋ねる私に、神様はきょとんとしたまま首を振る。
「いえ、それ自体はとても嬉しいのですが――」
そうして、ごくごく当たり前のように、こう言った。
「一緒に暮らすのに、増築必要ありますか?」
「えっ」
「えっ」
………………えっ?
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