7章(後)

1話

「さあ――――裁判を始めましょう、ノアちゃん?」


 アマルダの声を聞きながら、私は反射的にあたりを見回していた。

 私が立つのは法廷の半ば。

 見上げた真正面にはアマルダとグランヴェリテ様がいて、その一段下に神官たちが並ぶ。


 周囲は、アマルダの護衛らしい神殿兵たちが取り囲んでいた。

 怪しい動きをすれば、すぐにでも剣を抜くつもりなのだろう。鋭い視線は一斉に私に向けられ、誰もが剣の柄に手をかけていた。


 入ってきた扉は背後。すでに固く閉じられている。

 距離だけで考えれば遠くはないけれど、私のすぐ後ろに兵が二人ぴたりと張り付いていて、扉に向かうどころか、背後に振り返っただけでも切り付けられかねなかった。


 ――他に……どこか逃げる場所は……!


 背後の扉以外の逃げ場を探すけれど、救いになりそうなものは見当たらない。

 他の扉は遠く、その前には兵が立ちふさがっている。

 私を囲う兵たちには隙もなく、私の足で躱して逃げるのは、どう考えても不可能だった。


 おまけに――今はヨランが横にいるのだ。

 私はヨランに肩を貸したまま。足を痛めたヨランを連れて逃げることはできず、かといって置いて行くにしても、ヨランの下から抜ける必要があった。


 だけどヨランは、私の肩に腕を回したきり、呆けたようにアマルダを見上げ続けている。

 軽く肘で小突いても、彼はピクリとも動かなかった。


「――ヨラン。ノアちゃんをつれてきてくれて、ありがとう」


 そのヨランに、アマルダが優しく呼びかける。

 一段高い場所からこちらを見下ろし、彼女は可憐な顔に柔らかな笑みを浮かべた。


「ヨランがいなかったら、この騒ぎの中でノアちゃんを逃がすところだったわ。裁判が続けられるのも、ヨランのおかげよ」

「…………アマルダ様」


 アマルダのその声に、ヨランはようやく身じろぎをする。

 迷いのある目がアマルダを映し、なにか言いたげに瞬くのを見て、アマルダはねぎらうように笑みを深めた。


「裁判なんて、びっくりしたでしょう。ノアちゃんと一緒でここまで大変だったでしょうに、休ませてあげられなくてごめんなさい。でも――そんな顔をしないで。ヨランは正しいことをしたんだから」

「正しい……?」

「裁判はグランヴェリテ様のご意向だもの。それをヨランが叶えたの。これほど正しくて、名誉なことはないわ」


 グランヴェリテ様もお喜びよ――と言うと、アマルダは隣のグランヴェリテ様に一瞥を向ける。

 アマルダの視線を受け、グランヴェリテ様もまた、彼女と同じようなねぎらいの笑みを浮かべた。


 最高神のねぎらいに、神官や他の兵たちもざわめく。

 アマルダの言う通り、神に仕えるものとしてこれほどの名誉はない。

 ヨランに向けられるのは、尊敬とやっかみのこもった視線だった。


「さすがヨランだわ。あなたは本当に立派な、神殿兵の誇りよ。穢れを恐れず、ノアちゃんを逃がさないようここまで連れ来たんだもの」

「アマルダ様……俺は、そんなつもりでは……」


 無数の肯定の目に晒され、ヨランは迷う視線を私に向けた。

 私を見る彼の感情はわからない。ただ、ひどく戸惑っているように見えた。


「……エレノア・クラディールと一緒になったのはたまたまです。逃がさないようにと思ったわけではありません」

「そんなつもりがなかったのなら、もっとすごいわ。きっとヨランに神々のお導きがあったのね」


 その戸惑いさえも、アマルダは肯定する。

 彼女は迷いを払うように、ひときわ華やかに微笑むと、どこまでも澄んだ青い瞳にヨランを映し込んだ。


「ヨラン」


 鈴のような声がする。

 名前を呼ばれたヨランが、心を掴まれたようにはっとアマルダに顔を向けた。


「さあ、正義のための裁判をしましょう。ヨラン――そのままノアちゃんを逃がさないように、押さえておいてね」


 アマルダの言葉に反応して、肩に回されたヨランの腕に力がこもる。

 痛みにヨランを見上げれば、彼は目を見開いたままアマルダを見つめていた。

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