17話 ※神官視点

 今日のアマルダは、いつもに増して輝いて見えた。


 ――美しい。


 最高神グランヴェリテの屋敷。その応接室。

 最高神に相応しい豪奢なその部屋には、最高神への挨拶、あるいは様子見、ご機嫌伺いと称し、今朝も年若い神官が押し掛けていた。


 そのうちの一人。まだ神官になりたての新人神官は、ソファに腰かけたアマルダの姿に、思わず感嘆の吐息を漏らす。

 この神殿でもっとも清らかな人は、なにやら熱心に手紙を読んでいるところだ。

 窓から差す朝の光が、彼女の可憐な横顔を照らしている。

 亜麻色の髪が耳から垂れ落ちるのにも気づかず、夢中で文字を追う姿は、どこか小動物を思わせた。

 まるで子リスかなにかのようだ。


 ――無垢で、愛らしくて、いつでも一生懸命で。


 最高神の聖女――というには、少しだけ彼女は隙がある。

 アドラシオンの聖女リディアーヌのような強さはなく、ルフレの元聖女のようなしたたかさもなく、ソワレの聖女のようなそつのなさもない。


 だからこそ、彼女の周りには人が集まるのだ。


 泣き虫で、傷つきやすく、だけど自分のためにも他人のためにも必死に努力する彼女を見ていると、どうにかして彼女の力になりたくなってしまう。

 ままならず、涙を流す姿は見たくない。

 己の力を尽くして、己の手で彼女を笑顔にしたい――と。

 ここにいる神官は、そう思う人間たちばかりだ。


 ――ああ、アマルダ様……。


 だが、今日のアマルダはいつもと少し様子が違って見えた。

 良くも悪くも素朴だった彼女の中に――はっと心を掴むような、力強い魅力がある。

 つぼみが花開いたかのような美しさに、彼は目を離すことができなかった。


「――アマルダ様。そんなに熱心に目を通されて、いったいどなたからの手紙なのです?」


 呆ける彼の前で、先輩神官がアマルダに呼び掛ける。

 目に宿る手紙への嫉妬に、彼女は気付かない。

 顔を上げた彼女の表情は、無邪気なくらいの笑みだった。


「お友達よ。ルヴェリア公爵様から」

「ルヴェリア公爵――というと、王家の重鎮の……?」


 先輩神官の言葉に、他の神官たちがざわめく。

 現在の神殿は、王家と対立状態にある。

 その王家に近しい、いわば敵対する相手からの手紙ということに、誰もが驚きを隠せなかった。


「どうして公爵と……? 穢れのことで、王家側は神殿と不仲のはずでは……」


 王家は『穢れが増えた責任は神殿にある』とし、神殿の内情を調べさせるよう要求していた。

 だが、神殿側としては現状を見せるわけにはいかない。

 最高神の聖女たるアマルダがいるとはいえ、現在の神殿内に神々の姿はほとんど見えないのだ。

 もちろん、姿を見せないだけで実際には存在している。

 気まぐれな神々があちこち遊びまわっているにすぎず、神々の守りは未だこの国にあり続ける。

 神殿の威光はなに一つ失われてはいない。失われてはいないが、見せるわけにはいかないのも事実。

 さもなければ――これまで国に報告してきた神々の姿が、虚偽であると知られてしまうのだ。


 ――い、いや、虚偽ではない! 高位神官様たちは神々とお会いし、話をしていると聞いている! 未熟な自分には、グランヴェリテ様やアドラシオン様のような、特に偉大なお方の姿しか拝見することができないだけで!!


 頭に浮かんだ思考を、彼は慌てて振り払う。

 下っ端である彼が余計な疑惑を抱くべきことではない。

 神々はこの神殿にいて、この国を守っている。

 だからこそ神託が下され、聖女が選ばれているのだ。


「ええと、本当はちょっとした、別の用事でお手紙を出したのだけど……」


 揺れる彼の心をよそに、アマルダは先輩神官に目を細める。

 まっすぐにアマルダの視線を受ける彼への、他の神官たちの目は冷たい。

 恨みと妬みが渦巻いていることなど気付かず、アマルダは言葉を続けた。


「そのときに、神殿と王家の関係のことを相談していたの。穢れのことは不安だけれど……それで責め合うのは間違ってる、って。今は責任を押し付けあうより、手を取りあって協力するべきときのはずだから」


 手紙を胸に、アマルダは痛ましげな――だけど、たしかな意志を秘めた顔をする。

 子リスのような可憐さに宿る、凛とした彼女の強さに、彼は先ほどまでの思考も忘れて目を奪われた。


「穢れに苦しむ人たちのために、一日でも早く解決を。その気持ちは、神殿も王家も同じはず。――そのために、協力してほしい。王家を説得して、私たちに力を貸してほしい」


 ただ、誠意をもってそのことを手紙に書いただけ。

 アマルダはそう言って、再び手紙に目を落とした。

 顔に浮かぶのは微笑だ。

 凛とした強さから、今度は聖母のような優しい笑みへ。

 弄ばれるように、心を奪われていく。


「公爵様は、力を尽くしてくださるとおっしゃったわ。私のために、どんなことでも力になりたいって。――ええ、だから、きっと大丈夫」


 朝の光がアマルダの横顔を照らす。

 美しい、慈愛の笑みを。


「穢れのことも、王家のことも、きっと上手くいくわ。みんなが同じ目的でいてくれるんだもの」


 ほう――とどこからかため息が漏れる。

 いつだって彼女は、まばゆいくらいに清らかだ。

 神官も聖女も足を引っ張り合い、陰謀渦巻く神殿内にあって、彼女だけが穢れない。


 だからこそ――。


「それに――グランヴェリテ様がいてくださるから」


 彼女の周りには、暗い感情が絶えない。

 頬を染める彼女が目を向けるのは、応接間の――入り口。

 扉を開けて現れた人影に、神官たちが驚愕とともに立ち上がる。


「――グランヴェリテ様!?」


 そこにいたのは、普段は人前に姿を現すことのない最高神の姿だ。

 顔を見ることができるのは、屋敷の最奥、彼の部屋でだけ。

 言葉は少なく、表情はなく、どこかを冷たく見据える彼は、他の神々とも一線を画す。

 絶対的な超越者。畏敬の対象である彼は――薄く笑みを浮かべて、アマルダだけを見つめていた。


「アマルダ――――」


 驚き戸惑う神官たちの横を、最高神が通り過ぎる。

 迷うことなくアマルダの隣に腰を掛ける超越者に、神官たちは目を疑い、おののき――歓喜した。


 最高神が動いた。

 この神殿の危機を前に、アマルダのために。

 やはり、彼女こそが最高の聖女なのだ――――。




 感極まり、平伏する神官たちの中。

 彼はそっと、アマルダを窺い見た。


 最高神への敬意はある。

 アマルダが最高神の伴侶であることも知っている。

 彼女のために、最高神が動くことを喜ばしく思っている――が。


 アマルダに見つめられる最高神に抱く感情は、それだけではない。

 敬意とは真逆の、もっと冷たく、暗く、醜いもの。

 喜びの底にある泥のような感情に、彼自身が気づいたとき――。


 ――…………あれ?


 彼はアマルダを見る最高神の横顔に、かすかな違和感を抱いた。

 なにがどう引っかかるのかは、彼自身でもよくわからない。

 ただ、なにかが気がする。


 絶世の美貌。金の髪。冷たい威圧感。

 彼の知る最高神そのもののはずなのに。


 ――こんなお顔をしていらしたっけ……?


 上天気の空。

 窓から朝の陽光が差し込んでいる。

 眩しいくらいに明るかった部屋は――今は少し、薄暗くなっているような気がした。

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