9話
マリとソフィには、私が会いに行くまでもなかった。
「――エレノア! いた!」
すっかり遅くなり、窓明かりも消え始めた宿舎の前。
玄関に足を踏み入れるよりも先に、血相を変えて駆け寄ってきたマリの姿に、私は瞬いた。
片手にはランタン、靴は外履き。もう就寝時間にも近いのに、寝間着どころか、今から外にでも出ようかという格好だ。
「あんた、どこに行っていたのよ! こんな遅い時間まで!!」
その格好で、彼女は私を睨みつける。
思いがけない剣幕に、私はたじろいでしまった。
「どこって……神様のところだけど」
「昨日、帰ってこなかったでしょう! 今日の食事の時も、食堂に来なかったし!!」
と言ったのはソフィの方だ。
彼女もマリと同じような格好で、手にランタンを持っている。
「どうして宿舎に戻ってこなかったの!? あなた、どこでなにをやっていたの!?」
「どこでなにを――って」
言われて思い浮かぶのは神様である。
どうして宿舎に戻らなかったのかと言えば神様の部屋に泊まったからで、なにをしていたかといえば――。
――な、なにもしていないわ! ただ同じベッドで寝ていただけで! 神様が全裸だっただけで!
全裸だっただけで!!
なんて内心で思ってしまったばっかりに、頭の中に今朝の神様の姿が浮かんでしまう。
頬が勝手に熱を持ちはじめ、私は慌てて首を振った。
「ふ、普通に神様のところにいただけよ! べ、べべ別にやましいことなんかないわ! 宿舎に戻れなかったのは、ちょっといろいろあって……!」
本当に、一言では語れないくらいにいろいろあったのだ。
そう必死で訴える私を、しかしマリはじろりと睨みつけた。
もうその視線だけで、全く信用されていないのがよくわかる。
「……いろいろ、ねえ」
彼女の声は低い。
ただでさえ険しい顔をさらに険しく歪め、彼女は隣のソフィと顔を見合わせた。
それから、二人そろって盛大にため息を吐く。
「あーあ、馬鹿みたい。こっちはあんたを探しに行こうかと思っていたのに、神様のところで楽しくやっていただけなのね!」
「心配して損したわ! もう部屋に戻りましょう、マリ。なーんか疲れちゃったわ」
「い、いえいえ! 待って待って!!」
呆れ切った様子で私に背を向け、玄関に歩き出す二人を、私は慌てて追いかけた。
なんだか、ひどい誤解がされている気がする!
「楽しくってどういうこと!? こ、こっちはこっちで大変だったのよ!? それなのに心配って――――」
――うん?
言いかけた言葉を途中で呑み、私は少し瞬いた。
心配? 探しに行こうと思っていた? ……こんな時間に?
思えば、どうして二人は、私を見つけたときにあんなに血相を変えていたのだろう。
たしかに宿舎に戻らなかったのは私だけど――実際のところ、聖女が留守にするのはそこまで珍しいことではない。
上位聖女ほどではないが、下っ端聖女には下っ端聖女なりの仕事がある。
上位聖女の付き添いで神殿外に出ることもあるし、上位聖女のやりたがらない貧民街への訪問なんかは、下っ端に回ってくることも多い。
だから、一日いないくらいではそこまで心配することもないはずだけど――。
「……なにかあったの?」
思わず声を落とす私に、二人はようやく振り返る。
険しい顔はそのままだけど、先ほどまでとは印象が違う。
妙に深刻そうな二人の表情にぎくりとした。
「あんた、聞いていないのね。今朝からずっと神殿中が大騒ぎだったのに」
「大騒ぎ……?」
マリの言葉を繰り返す私に、ソフィの方が「そう」と頷く。
恐れるように肩を竦め、彼女は小さく身を震わせた。
「また、穢れが出たのよ。それも、私たちが前に見たものよりずっと強力で、取り込まれた人が何人もいるらしいの」
「神官や聖女に、昨日から行方知れずの人がいるのよ。それに神殿内の人間以外にも、神殿に来ていた貴族令息も見当たらないらしくって」
二人の話に、私は声すら出なかった。
息を呑んで立ち尽くし、二人の言ったことを頭の中で繰り返す。
――穢れ。取り込まれた人。……貴族令息?
神殿に尋ねてくる貴族は少なくはない。
礼拝のために来る場合もあれば、神殿と縁を持つために来る場合もある。そもそも聖女に貴族出身が多いのだから、単純に自分の姉妹に会いに来る人だっているはずだ。
だけど頭の中、妙な予感があった。
昨日、神殿にいた貴族令息に……心当たりがある。
「マリ、ソフィ。……その貴族令息って」
「それも聞いてないの? 神官たちがみんな話しているじゃない!」
私の問いに、マリは眉をひそめた。
怒っているというよりは、彼女自身も混乱しているらしい。
取り乱したように頭に手を当て、彼女は私に荒い声でこう言った。
「セルヴァン伯爵が、神殿の責任問題として国に訴えるって! それで神殿は今、大問題になっているのよ!」
マリの言葉に、私は反応を返すことすらできなかった。
ただ呆然と目を見開き、無言のままに息をのむ。
だけど頭の奥だけは、ぐらりと大きく揺れていた。
――セルヴァン伯爵家の令息。
その人物を、私はよく知っている。
いなくなったはずの昨日、顔を合わせた。言葉も交わした。
やりとりした内容は最悪だけど――いなくなる予兆なんて、なにもなかった。
なのに――。
――エリックが、行方不明……?
ざまあみろとか、悲しいとか、そんな気持ちも浮かばない。
あまりの現実感のなさに、私は立ち尽くすことしかできなかった。
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