13話

 ――よし。よーし……!


 神様に丸一日休みをもらい、決戦に挑む朝。

 私はいつもよりも気合を入れて身支度を整えると、鏡に向かって頷いてみせた。


 ――ばっちり! ドレスよし! 髪型よし! 勝ちに行くわよ!!


 鏡の中、意気込んだ表情の私がこちらを睨みつけている。

 まるで戦場にでも向かうような顔つきだが、無理もない。

 これは紛れもなく戦いなのである。


 今日こそは、待ちに待ったエリックとの話し合いの日。

 この話し合いの結果次第で、私の進退が決まるのだ。


 ――大丈夫! やれることはやったわ!


 神殿での忙しい日々の合間にも、私は着々と話し合いの準備を進めていた。

 父の尻を叩き、エリックには何度も手紙を出した。

 セルヴァン伯爵夫妻――エリックの両親にもどうにかするよう訴えて、果ては姉まで巻き込んでしまったのだ。


 ――というか、当たり前にバレたわよね! だって実家に私がいないんだもの!


 実家とは縁を切っているとはいえ、私は姉とそこそこ頻繁に手紙のやり取りを交わしていた。

 それがある日突然途絶えれば、姉が疑問に思うのも無理はない。

 そこから今回の事情が姉に伝わり、どういうことかと父に問い詰めてくれたらしい。


 おかげさまで、それまでなあなあだった父の返事が激変。

 急に話し合いに前向きになり、エリックの言い分はおかしいとまで言い出した。


『そもそも、この婚約はセルヴァン家とクラディール家双方で取り決めたものなのに、彼個人の一存で一方的に婚約破棄するとは何事だ。それで慰謝料を要求するとは、いったい彼はなにを言っているんだ』


 なんて手紙で書いてきたけど、それは私がさんざん父に訴えてきたことである。

 どれほどこっちの正当性を主張しても一切聞かず、公爵夫人である姉が介入した途端に態度を変えるあたり、我が父ながら情けない。

 要は、父にとって何が正しいのかは重要ではなく、単純にエリックと私ならエリックを、公爵家とエリックならば公爵家を選んだというだけの話である。


 ――まあ、いいわ。お父様に文句を言うのは全部終わってからよ。


 とにもかくにも、厄介だった父が味方に付いた。

 セルヴァン伯爵夫妻も、息子の一方的な婚約破棄には苦い思いをしているらしい。

 結婚間近で婚約破棄なんて外聞が悪いから、どうにか和解できないかということで、この話し合いには乗り気でいてくれている。


 ――お父様も、セルヴァン家のおじ様とおば様も、お姉様も、みんな私の味方なのよ!


 今日の話し合いに参加するのは、エリックと私の他、父とセルヴァン伯爵だ。

 場所は、私が神殿から離れられないということもあり、神殿内の一室を借りている。

 互いの家ではないので、これならばかえって余計な邪魔も入らず、話しやすいだろう。


 ――絶対に上手くいくわ。だって、こんな有利な状況なのよ!


 これで失敗するなんてありえない、と私は両手を握りしめる。

 父もセルヴァン伯爵も私側で、説き伏せる相手はエリック一人なのだ。

 実質、三対一の話し合い。

 もう勝負は決まったようなものである。


 ――見てなさい、エリック! アマルダに釣られて婚約破棄したこと、後悔させてあげるわ!


 必ず、エリックに婚約破棄を撤回させてみせる。

 泣くほどに謝らせて、後悔させて――それで、もしも彼が本気で反省してくれるのなら。


 ――婚約しなおして、結婚……するのよね?


 もう結婚の日取りも決まっている。私の十八歳の誕生日。

 もしこの話し合いが上手くいけば、私は一か月後に彼と結婚することになる。


「…………」


 鏡の中、私が呆けたように瞬いていた。

 今まで何度も想像したエリックとの結婚式の光景が、上手く頭に浮かばない。


 ――いえ。


 私は首を振って、鏡から目を逸らす。


 ――私はこの結婚を、ずっとずっと楽しみに待ち続けてきたのよ。


 切り替えるように、ぱちんと頬を叩く。

 今はそれよりも、これからする話し合いの方が重要だ。

 迷いを振り払って顔を上げると、私は大きく息を吸い込んだ。


「さあ、行くわよ! 首を洗って待っていなさい、エリック!」


 絶対に泣かせてやるんだから!




 そう、泣かせてやれるはずだった。

 私の方が、絶対に有利だった。


 神殿内の一室。

 話し合いのために借りていた部屋に入るまでは。



 部屋の中には、すでに父もエリックも、セルヴァン伯爵もそろっていた。


 だけど、部屋に足を踏み入れた私に、誰も振り返りはしない。

 みんなが見つめるのは――呼んでいないはずの、もう一人の人物。


 部屋の中央で三人に取り囲まれ、楽しそうにくすくすと笑う少女の姿に、私はめまいがした。


 この話し合いのために、ずっと準備をしてきた。

 参加するのは四人だけ。直接関係のない人間は呼ばないようにと、クラディール家とセルヴァン家で、互いに約束したはずだ。

 だから今回は、姉にも参加を控えてもらっていたはずなのに――。


「…………どうして」


 こちらに背を向け、笑い合う四人の姿に、私は震える声を上げた。

 絶対に上手くいく――と、もう一度思うことはできなかった。


「どうしてアマルダがここにいるのよ!!」

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