失敗も過ぎれば笑い話となる(4)

 呆気にとられるエレノアには気づいていた。

 らしくもない態度であるとは自覚していた。


 だけど、なぜだか止まらなかった。

 自分でもわからないくらいに、笑い声があふれ出た。


「こ、こんなことってあるんですね! あは、ははは! す、すみません、なんか妙におかしくて……!!」


 エレノアが落ち込んでいるらしいことはわかっている。

 若い娘である彼女にとって、魚が髪からすべり落ちるなんて、きっと恥じらうべきことだろう。

 それを笑うなんて無礼である。それをわかっていても、今は自制心が利かない。腹の底からおかしさが込み上げて、息苦しいくらいに笑ってしまう。


 ――おかしい、おかしい、おかしい。


 普段の彼であれば、こんなに笑うことはない。

 騒動のない静けさを好み、穏やかで落ち着いた時間に喜びを見出す。川の中での大騒ぎも、水から上がるまでのドタバタも、滑り落ちる魚だって、彼とはかけ離れたものであるはずだ。


 そもそもが、エレノアと彼は相容れない。

 本来なら、きっと苦手とするはずの相手。


 それなのに――――楽しい。

 そう、楽しいのだ。


 彼の好みとは違う。静かでも穏やかでもない。

 騒がしくて賑やかで、うるさいくらいに荒々しい。

 嵐のような彼女といると、こんな騒動でもたまらなく楽しい。


 ――――――おかしい。


 抱える腹もないまま笑い続けながら、彼は頭の片隅で考えていた。

 どうして彼女といると、こんなに胸が熱くなるのだろう。


 不思議な心の動きは、かつてのかれさえ知らないものだった。




 〇




 神様は笑い続けた。

 それはもう大爆笑だった。


 笑いすぎて体の輪郭もなくなって、半ば潰れたような形にすらなっていた。


 別に私は、ふざけたことをしたわけではない。

 神様を捜して水の中に入り、転んで水浸しになった挙句に神様自身に驚いて水没。ほうほうのていで水から上がり、うつむいた途端にびしょ濡れの髪から魚が登場。神様の上で一度跳ね、何事もなかったかのように川へと消えて行っただけである。


 これのいったい、なにが面白いというのか。


 ――…………いやこれ、けっこう面白いわね。


 腹立たしいことに、下手な喜劇コントより面白い。目の前でこんなの見せられたら笑うに決まっている。

 しかも相手が知り合いとなれば爆笑必至。笑うなという方が無理がある。


 ただし問題は、当の私は顏から火が出そうなほど恥ずかしいということだ。


 静かな水辺で神様を喜ばせようとして失敗。

 神様が溺れたと勘違いして失敗。

 水浸しで川から上がり、謝罪をしようとしても大失敗。

 こんな恥の三連撃があるものか。あるのである。今、ここに。


 ――う、ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬぬ……………………。


 せっかく神様を喜ばせたかったのに。彼の好きな穏やかな時間を用意したかったのに。楽しんでほしかったというのに。


 こうなってしまっては、素直に落ち込むことも難しい。

 というか神様、ある意味でめちゃくちゃに楽しんでいらっしゃるし。見たことがないレベルの爆笑をしていらっしゃるし。


「………………か」


 未だ響き続ける神様の笑い声に、私はたまらず声を漏らす。

 恥ずかしさといたたまれなさ。なんかこれはこれで結果的に成功なのでは? という状況への悔しさ。落ち込むこともできないすわりの悪さ。


 とりとめもなくあふれる感情を込めて、私はぐっと呻くような声を漏らした。


「――――――――かーみーさーまー……」

「はははは――――はっ! え、エレノアさん、どうされました……!?」


 低い声で呼びかければ、笑い転げていた神様の体がびくんと跳ねる。

 潰れかけの体がはっとしたように弾力を取り戻し、慌てて身をのけぞらせるけれど、しかしもう遅い。

 私は恨み深い目で神様を見据えると、逃げようとする神様へ『わしっ』と掴むような手つきで両手を伸ばした。


「ま、待ってください、エレノアさん。その手の形はいったい――――」

「問答無用!」


 いったいもなにもない。もちろん、八つ当たりをするためである。

 盛大に揉みしだいてやろうと、私はのけぞる神様に向け――――。


 身を乗り出した、まさにその瞬間。

 するりと髪からなにかがすべり落ち、神様の頭の上で『ぴちっ』と跳ねた。


 二匹目である。

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