17話

 ――……私から、穢れの気配がする?


 穢れとは人の悪しき心。

 誰かを恨み、妬み、憎む心が、災いを成す穢れを生み出すのだという。


 と、なると――。


「私が悪い感情を抱いている……ってことですか?」


 ――……否定できないわ。


 なにせ私は、今まさにエリックへの恨みを抱いているところだ。

 ついで言うとアマルダにも腹が立っているし、父の尻も蹴飛ばしたい。

 正直に言って、結構思い当たる節があった。


「いえ、エレノアさん自身のものではありませんよ」


 しかし、神様は体を左右に揺らして否定する。

 人間で言うならば、おそらく首を横に振るようなしぐさだろう。


「エレノアさんも人ですから、多くの感情を抱くでしょう。ですが、その身に収まる程度の悪意ならば、さほど問題はないのです。さもなければ、世の中は穢れだらけになってしまいますよ」


 ……なるほど?


 たしかに、どんなに良い人だって、悪意をまったく抱かないことは不可能だろう。

 それでいちいち穢れが出ていたら、穢れを引き受けていると言う神様の身がもたない。

 いやまあ、すでに身がもたなくなった結果、こんな姿になってしまったのだろうけども。


「穢れとは、もっとずっと強く、純粋な悪意です。……行き過ぎた恨みと憎しみ。ためらいのない他人への加害。自身の心の内にとどまらない、現実を侵食するだけの想いが穢れを生み出します」


「行き過ぎた……」


「心当たりはありますか?」


 神様の静かな問いかけに、反射的に思い浮かべるのは昨日のことだ。

 食堂の裏手で、生ゴミを叩き落としたとき。


 あの子の――私を睨みつける、ロザリーの姿がよみがえる。

 リディアーヌを害そうとする魔法。憎々しげな視線。それから――。


 足元で揺らぐ、奇妙な影。


「……可能であれば、心当たりには近づかないように注意してください。多少の穢れであれば、害をなすことはないはずですが、念のため」


 黙り込む私を見やり、神様は小さく息を吐く。

 それから、少しだけ申し訳なさそうに、彼は小さく身を震わせた。


「本来ならば、私が穢れを引き受けているはずなのですが……どうも最近、少し調子が悪いようです。……他になにもできないのに、申し訳ありません」

「なにもできないなんてことは――」

「ですが」


 否定しようとした私より先に、神様が口を開く。

 相変わらず静かで、落ち着いていて――だけど強く、揺るぎない声だ。


「穢れのことであれば、私でもお役に立てるはずです。このことでエレノアさんが困るようなことがあれば、私の元へ来てください」


 安心させるように告げる神様を、私は無言のまま見やる。


 彼がなにを言おうと、見た目が黒い泥のようなことには変わりない。

 つるんとした表面。顔も手足もない体。

 言葉を出すたびに、その体がぷるんと波打つ。


 どこを取っても人ではない。のに。


「魔物でも、災厄でも、穢れから発生したものならば私が引き受けられます。――あなたを危険な目には遭わせません」


 波打つ体が、私の顔を覗き込むように伸びあがる。

 顔もないくせに、どうしてか――優しく微笑んでいる気がする。


「私が、必ずエレノアさんを守りますよ」


 たしかな声が、二人だけの小さな部屋に響き渡る。

 まっすぐにこちらを向く神様の、つややかな表面。

 ぎくりとしたように強張り、目を見開く私の姿が映っている。


 まるで頬でも染めそうなその表情に――私は、慌てて自分自身から目を逸らした。


「……エレノアさん?」


 挙動不審な私を見やり、神様が不思議そうに名前を呼ぶ。

 逸らした私の顔を追いかけるように、ぐーっと体を伸ばす彼の様子に、私は無意識に唇を噛んだ。


 ――こっちの気も知らずに……!


 ……って、『こっちの気』ってなによ!?――と内心で叫ぶ私など、神様はやはり知る由もない。

 どこか困った様子で体をひねるだけだ。


「どうされました? ……私、なにか妙なことでも言ってしまいました?」

「なんでもありません!!」


 思いがけず強い声が出てしまうが、出てしまったものは仕方がない。

 私は誤魔化すように神様に向き直ると、その表面をぎゅっと摘まんだ。


「か、神様に頼ったりなんてしませんから! だってそれって、せっかく浄化した穢れをまた増やすってことじゃないですか!!」


 本末転倒!――と言いつつ指で引っ張れば、神様はいつも通り、困ったように身を震わせた。

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