13話 ※神官長視点

 こちらを見据える金の瞳に、神官長は重たい唾を呑む。

 喉の奥がひくつき、ひどく乾いていた。


 ――ありえない。


 ありえてはならない。こんな馬鹿なことがあってはならない。

 今、己を見据える男は無能神で、なんの力もない、役にも立たない、罰すら与えられない存在でなくてはならない。


 だって――彼は自覚している。

 今まであの神にしてきた仕打ち。蔑ろにしてきた過去。

 何百年もの間神殿の片隅に追いやり、顧みず、神託すらも聞き流し、『なかったこと』にしてきた事実を、彼は知っている。

 神々の不在をいいことに――『最高神グランヴェリテ』の無関心をいいことに、神殿がどれほどの虚構を築き続けてきたのかを、頂点に立った彼が誰よりもよく知っているのだ。


 ――こんなことが、あるはずがない……! 相手は無能神だ! あの、役立たずの神だぞ!


 心の中で叫んでも、体は震えていた。

 怒りすらも示さず見つめるだけのあの目の、なにが恐ろしいというのだろう。

 何百何千の人間を従え、王とさえ渡り合う彼が、反論の言葉を呑み、身を竦めることしかできずにいる。


「ぐ…………」


 神官長は唇を噛み、横に並ぶ己の青ざめた部下たちを見る。


「ぐぐ…………」


 なにか口実はないかと、頭上で助けを求めて泣く小娘アマルダを見る。


「…………ぐ」


 だけど、なにもない。

 己に向かうの瞳から、逃れるすべは見つからない。

 金色の神は語らず、しかし見透かすように、今も彼を見据えていた。


「………………なぜ」


 よろめくように椅子の上に崩れ落ちると、神官長は両手で顔を覆った。

 口から漏れるのは、神官長としての威厳の一切を失った、か細い声だ。

 それは彼の、完全な屈服だった。


「なぜ…………黙っておられたのですか…………」


 指の合間から、畏れるように彼は神の姿を見る。

 かつてはただの、泥の塊だった。蠢くだけで言葉もなく、不平不満を示すこともない。

 不届き者が石を投げ、住処を荒らしても、なにひとつ反撃をしない。『無能神』の名にふさわしい、されるがままの弱く醜い化け物だったではないか。


 こちらには、輝ける『最高神グランヴェリテ』の姿があった。

 だから――――だから、疑うこともなかったのだ。


「本当のことをお話しくだされば、こんなことは…………御身に無礼など、働くはずもなく…………」


 あんな姿でなければ。

 言葉を告げられてさえいれば。

 真相を知ってさえいれば。


 こんなことにはならなかったのに。


「どうして……どうして、こんな……試すような真似を…………!」


 圧し潰されそうな後悔と恐怖の中で、彼は嗄れた声を絞り出した。

 それから、消え入るように弱々しく口にした、己の言葉に息を呑む。


 ――――試す。


 それは、どこかで聞いたことのある言葉だった。


「…………試練?」


 思わずつぶやき、顔を上げた彼の視線の先。

 無言の神が、視線に応えるようにゆっくりと瞬いた。


「――――はい」


 金の瞳が一度まぶたの奥に消え、再び姿を見せたとき、重たい神の口が開かれる。


「私はあなた方を試していました。建国神話と呼ばれる千年前から、ずっと」


 語りながら、神は静かに歩き出した。

 扉の前を離れ、断罪されるはずだったエレノア・クラディールの横を通り抜ける。

 静まり返った法廷に、神の声と足音だけが響いた。


「あなた方、人間の価値を。守るだけの理由があるのかを」


 足を止めたのは、法廷の中央。

 ちょうど神の座を正面に見据える場所だ。


「この地に、あなた方が生きる意味を」


 神官長は、神の姿から目が離せなかった。

 語る言葉から、耳をふさぐことができなかった。


 直視するのも恐ろしい御姿を前に、もはや両手で顔を覆うこともできない。

 震える目が瞬き一つ逃すまいと見開かれ、言葉一つ失うまいと耳をそばだてる。


「本来であれば――――」


 神は語り続ける。

 それは、とっくに終わったはずの神話の続きだった。


「この呪われた地とともに滅ぶべきだった、咎人たちの存在を許す、意味を」

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