2話 アマルダ②
――……アマルダ。
どこか唖然としたような、困惑の混ざる沈黙の中で、私は知らず息を吐いていた。
どんな気持ちで吐いた息なのかは、自分でもよくわからなかった。
安堵は――しているのかもしれない。だけど喜びとは少し違う。
だからと言って、悲しんでいたり、寂しいと思ったりしているわけでもない。
ただ――――。
「……アマルダは、これからどうなるのかしら」
「たいした罪には問われん」
思わずこぼしたつぶやきに、思いがけず返事がきた。
思いがけなさ過ぎて、「ひょ!?」と奇声が出たのはさておいて。
「お前には悪いが、こちらとしても重い罪を負わせるつもりはない。アマルダ・リージュが利用されていたのは明らかだ。単なる人寄せの看板に責任を負わせては、神殿の老人どもの逃げ道を作ることになるからな」
「アド――じゃなくて、ユリウス殿下!?」
ぎょっと驚いて振り返れば、いつの間にやらユリウス殿下が背後に立っている。
彼はアドラシオン様らしからぬ食えない顔で、目を剥く私に肩を竦めてみせた。
「あの娘には名実ともに、『神殿の甘言に踊らされた、浅はかで愚かなだけの虚構の聖女』になってもらわなければ困る。それでも、以前までの『アマルダ・リージュ』であれば、どうにかして外に出さないようにはしただろうが――」
そう言うと、ユリウス殿下はちらりと私の横に立つ神様に視線を向ける。
そのまま、どことなく恭しく目礼をすると、再び私に視線を戻した。
「もう、それも必要はない。『アマルダ・リージュ』に特別な魅力があったのは、あの極端な無垢さがあったからだ。己の中にある悪意に気付いた以上、あれはもうただの自惚れが強いだけの凡庸な人間。今までのようにはいくまい」
「今までのように……」
それがどういう意味かは、私にもわかる。
たぶんもう、アマルダは今までのように人を惹き付けられない。
姿かたちは変わらなくとも、態度や言葉は変わらなくとも、もうアマルダの涙にも言葉にも、以前ほど人の心を打つ力はなくなってしまったのだ。
「それがあの娘への報いになるだろう。たいした罪には問われずとも、『最高神の聖女』が欺瞞であったことは国中の知るところになる。――これまで祭り上げられていただけに、反動も大きいだろうな」
だけどもう、泣いて訴えても助けてくれる人は現れない。
いや、まったく現れないということはないだろうけれど、これまでとは比べ物にならないほど少なくなる。
アマルダの優しい世界は崩れた。
これから彼女に待ち受けるのは、国中からの冷たい目と、離れていく多くの人々だ。
きっとまともな結婚は望めない。それどころか、まっとうな人間関係を築くのも難しくなる。
アマルダはこの先、優しくない世界と人々に囲まれて、苦難の道を進んでいかなくてはならない。
その事実に、ずっときれいな場所で生きていた彼女は耐えられるのだろうか。
「この処遇では物足りないか? ……それともまさか、同情でもしているのか?」
「い、いえ! さすがに同情はしないです!」
冗談めかしたユリウス殿下の問いに、私は慌てて首を振る。
殿下のアマルダへの対応は、重い罰でこそないけれど、決して甘い処遇ではないはずだ。
アマルダは今回の中心人物。神を蔑ろにし、穢れを集め、悪神へと堕とそうとした、国を揺るがすほどの重大な事件の関係者の中で、一番身分の高い存在だ。
たとえ直接の関与がなくても、罰を受けるのは当然。その地位だけで、重い責任を負うべき立場にある。
なのに罰を受けない。あるいは殿下の言葉からすると、相当に軽い罰になる。
それを本人がどう受け取るかは知らないけれど、たぶん――たぶんだけど、世間的にはこう受け取られるのだと思う。
『恥』である、と。
罰が軽ければ軽いほど、それは空っぽの身分だったことの証となる。
中心にいたのになにも知らされなかった。一番高い身分でありながら、なににも関われなかった。止めることも、悪事に加担することもできなかった道化。
解放されたアマルダに、同情は向けられない。怒りや恨みさえも、向けてはもらえない。
彼女にこれから待つ冷たさは、きっと嘲笑の色をしているのだ。
だけど、だからといって同情ができるほど、私はお人好しでもない。
アマルダに返ってくるのは、ただただアマルダがしてきたことの報い。神殿の思惑のせいで、加担していない悪事の罰を受けるのであれば気の毒にも思うけれど、なにも見ず、隣の神さえも見ず、都合の良いものだけを見続けた結果は、アマルダ自身が受け止めなければならないもののはずである。
……それに、まあ。
私自身としても、アマルダには多少痛い目を見てほしいと思っていた。
自分の純粋無垢さがどれほど無神経であるか気が付いて、後悔してほしかった。
だから、まあ、とても正直なところ、仮にも聖女としてどうなのという本音を、実にアレな表現でぶっちゃけさせていただくと――。
ざまあみろ!
と心置きなく思うには、殿下の処遇はちょうどよい塩梅であると思う。
なので、私は殿下の取り決めに不服はない。
物足りないなんてもってのほかで、同情をするつもりもない、けど。
「…………」
……ただ、ほんの少しだけ考えてしまう。
あのアマルダなら。
あの、わかりやすい、見苦しい、俗っぽいアマルダが、私の幼なじみだったのなら。
――……友達になれていたかもしれないわ。
きっと、純粋無垢で誰からも愛される『聖女様』なアマルダよりも、ずっと。
仲良くなることができたような気がしたのだ。
「――つまらない話をしたな」
不意に聞こえた声に、私ははっと我に返った。
いつの間にやらすっかり黙り込んでしまっていたらしい。落ち込んでいると思われてしまったのか、無意識にうつむいていた私の頭上へ、ユリウス殿下の慰め――というには、どうにも腹の読めない声が落ちてくる。
「まあ、そう思い悩むな。今はアマルダ・リージュの処遇より、もっと優先すべきことを考えたほうがいい」
「優先すること……ですか?」
というと、なんだろう。
私は重たい頭を持ち上げて、やはり食えない殿下の顔を窺い見ながら考える。
神殿のこれからのことだろうか。神殿上層部がごっそり持っていかれた今、この先の神殿運営は混乱を極めるはず。さしあたってどう対応するか考えなければいけない。
いや、そもそもそれ以前に、この神殿自体が残るかどうかという疑惑がある。これまで最高神だと思っていた相手が偽りで、穢れのことも神話のことも偽り。ついでに聖女の選定すらも偽りなのだ。この事実が世間に知れたら、神殿どころか信仰の根幹さえ崩れかねない。
となると、急ぐべきは事件の対処? どうやって世間に公表するか? 国民が真実を知ったあとの混乱に備える?
いやいや待て待て、そのあたりも重要だけど、真っ先に優先するとなると被害状況の確認だろうか。まだ穢れが全部消えたとは限らないから、そのあたりも調べないといけないはずだ。
――い、いっぱいありすぎてわからないわ……!
ざっと考えただけでも、アマルダよりも優先することが山のようにありすぎる。
あるいは、切れ者と評判のユリウス殿下のこと。
もしや私には思いもつかないような、とんでもない考えを持っていらっしゃるのではなかろうか――。
「わからないか? 最優先でやることなんて一つしかないだろう」
……などと頭を悩ませる私を見下ろして、ユリウス殿下はその食えない目をスッと細めた。
それはもう、どこをとっても神らしくない、冷徹無慈悲なアドラシオン様の影も形もない表情で――――。
このうえなくスッキリとした顔で、こう断言した。
「祝勝会だ!!!」
…………。
はい?
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