千年の恋と愚か者ども(2)
生まれ変わるたび、いつも目の前にあるのは絶望的な状況だった。
破滅に向かう国と、終焉を待つ人間たちと、それでも蠢く浅ましい悪意。
「――――様、なんとひどい有様でしょう……。まさか、王家内部がここまで腐敗していたなんて…………」
耳に、かつての『彼女』の声が残っている。
立ち尽くす彼女の見つめる先には、多くの苦しみがあった。嘆きがあった。腐敗があり、裏切りがあり、絶望があった。
「――――様、神殿はもう駄目です。神の名のもとに、神殿内部で争いが始まってしまいました。もうじきこの場所も戦火に呑まれてしまいます……!」
どこの時代に生まれても、彼女の前に平穏はなかった。
人は人同士で争い合い、憎み合う。
多くの血が流れ、多くの穢れが生み出される。
そのたびに神はすり減り、姿を消していく。
「――――様、お逃げください! アドラシオン様の生まれ変わりを名乗る者が、民を扇動してこの王宮に迫っています!!」
すべてが上手くいくことはなかった。
なにかを成し遂げる時は、いつも大きな喪失があった。
あるいは生まれ変わっておきながら、なに一つ成しえないことさえもあった。
人の身であることの弱さを、己の愚かしさを突き付けられた。
「――――様……どうかあなただけでも……。あなたさえご無事であれば、わたくしは…………」
冷たくなる指の感触を覚えている。
消えていく呼吸の音を覚えている。
流れる血。かすれた声。苦痛に漏れる呻き声。
自身の命が失われていく記憶さえ、彼女は忘れることを許されない。
ただ一度。千年前に自分に出会ってしまったばっかりに。
「――――アドラシオン」
忘れえぬ。あのとき、あの瞬間。
滅びゆく大地の上で、無数の血の中に立ちながら、神である自分を見据える瞳に気付いてしまったばっかりに。
「戦神アドラシオン! 我が部下の仇! 我が仲間の仇!! ――――お前だけは絶対に許さない!!!!」
怒りに燃えた、泣いているような瞳だった。
神になり替わろうとした傲慢な父王。王を奢らせた強欲な重臣たち。神の怒りに触れ、誰もが逃げ出した土地の上で、彼女は震えるように立っていた。
ただ、逃げ出すことのできない弱い者たちを守るため。
「許すものか! 許すものか!! 神など――――!!」
そのために、彼女は多くを失った。
この破滅的な状況にもついてきてくれた部下を、尊敬する師を、信頼する仲間たちを。失えば失うほど逃げ出せず、もがき続ける彼女は、今にも壊れそうなガラス細工だ。傷つき、ひび割れ、それでも壊れることは許されない。
呑まれそうなほどの穢れを抱えながら、自分では生きられない弱い者たちの命を負わされ、いつ崩れ落ちるかもわからない心を保っていた。
――忘れてほしかった。
喪失と重責に喘ぐ苦痛の過去。
守るべきものから向けられる、無責任な期待と身勝手な失望。耐えがたい裏切りと、傷ついた心。
それをもたらした、自分自身のことを。
――俺は、忘れないから。
彼女に与えた苦痛のすべてを、忘れるつもりはない。
自分がしてきたこと。彼女への仕打ち。憎しみの視線も、罵倒の声も、表情も。
惹かれ合うようになってもなお抱え続けたわだかまり。最後まで捨てきれなかった彼女の怒り。自分の犯した罪の重さ。
すべて覚えている。
全部、代わりに覚えているから。
忘れてほしかった。
彼女の記憶に残る苦しみ。悲しみ。辛い日々。血にまみれた争いの記憶。生まれ変わり、何度も繰り返された絶望。死にゆく記憶も、なにもかも。
彼女を苛めるすべてを記憶から消したかった。
それが、彼女の中から『アドラシオン』が消えることだとしても。
彼女の愛情を、失うことを意味していても、構わなかった。
……たぶん。
彼女も忘れたがっていたはずだ。
だから忘れたのだ。
「――――はじめまして、ユリウス様。わたくしはリディアーヌ。ブランシェット家が長女にございます」
はじめまして、となにも知らない顔で告げる彼女に、自分も笑ってはじめましてと答える。
これでいい。彼女はようやく神の呪いから解放され、別の人生を手に入れた。
少々の苦難と喜びの待つ、『神話の少女』ではない平凡な生を歩めるようになったのだ。
それはきっと、彼女にとっての救済だ。
そう思っていた。
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