千年の恋と愚か者ども(3)

 そう思っていたのだ、が。


「――――――――――あ、り、え、な、い!!!!!!」


 祝勝会から数日後。『アドラシオン』の屋敷の応接室。

 珍しくリディアーヌが客人を呼び、茶会をしていると耳にして、ついつい気になって足を向けた矢先。耳に飛び込んできたのは荒ぶる怒りの声だった。


 声の主は、リディアーヌの友人であり、神としての兄であるグランヴェリテの聖女エレノア・クラディールだ。

 いったい何事か、と思わず扉を開けたのは当然のこと。なにか問題が起きているのではないか。リディアーヌになにかあったのではないか。

 ひやりとした不安を抱えて部屋に飛び込んだ瞬間――しかし、向けられたのは予想外の反応だった。


 ソファに腰かけるリディアーヌ。向かい合って座る、エレノアや聖女仲間たち。リディアーヌの作った菓子を囲む彼女らは、部屋に踏み込む招かれざる客を見て、驚き、戸惑い――すぐに、呆れと怒りをないまぜにした表情を浮かべた。


 信じられないものを見た、というような顔である。


「ありえないわ、アドラシオン様――じゃなくてユリウス殿下! いくらなんでも、それはないですよ!!」


 と言ったのはエレノアだ。

 続けて聖女仲間であるマリとソフィも声を合わせる。


「こればっかりはエレノアに同意するわ。あたしなら絶対に無理!」

「さすがにこれは、ねえ。ちょっとわたし的にもありえないです」

「わかる、信じられない。アドラシオン様、サイテー!」


 最後の一言は、なぜかこの場に混ざっている闇の女神ソワレだ。

 いわゆる女子会というものでも開いていたのだろう。リディアーヌを中心とした彼女たちが自分へと向けるのは、エレノアと同じ非難の目だった。


「………………?」


 だけど、その視線に心当たりがまるでない。

 いったいこの冷ややかな空気はなんだというのだろう。

 どうして、こんな針の筵に立たされているのだろう?


「お、お黙りなさい、あなたたち!」


 状況の読めない中、そう声を上げてくれたのはリディアーヌだ。

 彼女は友人たちを慌ててたしなめると、どことなく苦々しそうに説明を加える。


「失礼しました、ユリウス様。わたくし、祝勝会で伺ったお話――神話の少女についての話をするようにと、彼女たちにせがまれてしまいまして……。勝手に話をしてしまい、申し訳ありません」

「いや、それは構わないが…………?」


 説明を聞いても、やっぱり事情が掴めない。

 その話から、なぜこんなにも冷たい目を向けられなければならないのだろう?


 と思うものの、彼女の方はそれ以上は語らない。ばつが悪そうに顔をそむけると、誤魔化すようにツンと顎を逸らした。


「本当にそれだけなので、殿下が気になさるようなことはございません。彼女たちの言葉もお気になさらず。わたくしは、別に――」

「いやいやいやいやいやいや」


 そのまま突き放すように言いかけた言葉を、しかし隣に座るエレノアが大きく手を振りながら遮った。しかも『いや』の数がやらた多いうえに、妙に言葉に力がこもっている。


「気にさせなさいって! その言い方だと、あの方絶対に自覚しないわよ!?」

「そうそう! リディアーヌ、あんたあんまり甘やかすんじゃないわ!」

「そんな態度だから、殿下も今まで神話の少女だってこと黙っていたのよ! ここは一つ、ガツンと言ってやらないと!!」

「あ、甘やかす……? ガツンって……!」


 友人三人に囲まれて、リディアーヌは戸惑ったように腰を引く。

 一方、それを見せられているこちらの方も話の流れがわからない。

 怒られているのは自分なのか、それともリディアーヌなのか。助け船を出すべきか、なんと声をかけたものか――。


「……あのさあ、アドラシオン様さあ」


 迷っている間に、呼びかけてきたのは部屋にいる最後のひとり。

 闇の女神ソワレが、やけにじっとりとした目でこう尋ねた。


「もしも昔のこと黙ってて、この子が他の人と結婚したらどうするつもりだったんです?」


 突然の問いに、思わずぱちりと瞬いた。

 どうする。

 ………………どうする?


「………………?? それは……仕方がないと思うが…………」


 もちろん、なにも思わないわけがない。

 むしろ、それは自分にとってこの世で二番目に苦しいことだ。


 彼女が他の誰かを愛し、その眼差しが自分以外の誰かに向くようになるなど、想像もしたくない。

 彼女には自分の傍にいてほしい。ずっと自分を見ていてほしい。自分の寄る辺でいてほしいし、自分もまた彼女の寄る辺になりたい。


 それでも、彼女の幸せが自分のもとにないというなら仕方がない。

 自分以外の誰かと幸せになれるのなら、受け入れるしかない。諦めるしかない。黙って身を引くほかにない。


 かつて愛した記憶は、自分の中だけに秘めればいい。その記憶さえあれば、何度でも生まれ変われる。何度でも国を救える。ただ、彼女がこの地で幸せに生きている限り。


 苦痛なんて、いくらでも呑み込める。彼女を失う恐怖さえ耐えられる。

 この世で一番耐えがたいのは、彼女が不幸になることなのだから――。


 と、思っていたのだ、が。


「………………リディ?」


 ソワレへ回答をした瞬間、友人たちに責められていたリディアーヌがスッと立ち上がった。

 おや、と戸惑う友人たちの顔は、どうやら彼女には見えていないらしい。つかつか歩く彼女を応援するように、ソワレが手を振る姿も見ていない。

 もちろん、戸惑うこちらの様子にも気づいた様子はない。


 いったいどうしたことだろう。一言も言葉を発しない彼女に、不安に口を開きかけ――。


「リディ、いったい――――」

「――――――――――この」


 その言葉よりも先に、リディアーヌの低い声が響いた。


 同時に、彼女の細い腕が持ち上がる。

 目の前に掲げられた手のひらに、思わず瞬いたのは一瞬のこと。


 その一瞬の間に、リディアーヌの背後に見えるエレノアが、ぐっと強くこぶしを握るのに気が付いた。マリとソフィが驚いたように頬を押さえ、ソワレが面白そうに両手を握り合わせている。


 そして、その手前でリディアーヌの表情が歪んでいるのも見えていた。

 頬を強張らせ、眉を吊り上げ、唇を噛み、大きく息を吸ったのも――。


 ほんのわずかに、自分を睨む瞳が潤んでいることに気付いたのも、だけどすべては一瞬にして消え去った。


「朴念仁――――――!!!!!!!!!」


 その声とともに、ぱあんと気持ちの良い音が響き、頬に染みるような痛みが走っていた。

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