番外編・小話

コーヒーゼリーと神様

3~4章間(まだ神様が人型になる前)の日常小話

※書籍2巻発売日にカクヨムより配信されたSSのエレノア視点verです。

――――――――――




 コーヒーゼリー。

 それは舶来の豆を挽いて抽出した飲料を、冷やし固めたもの。

 王都の高位貴族たちの間でひそかに流行しているという、希少な高級冷菓子である。


 そう、菓子なのである。


「………………か、かわ…………」


 今日も今日とて神様の部屋。時刻は午後。昼食も終わり、お茶のお供にと皿に取り出したその菓子を見て、私はかすれた声を漏らした。


 丸テーブルの上に鎮座するのは、リディアーヌからもらったコーヒーゼリーだ。

 色は艶のある黒。形はちょっと潰れたような楕円体。表面はつるりとなめらかで、部屋に差すわずかな光を反射する。

 それに、なにより――。


 スプーンの腹でぷにっと突けば、黒く透き通るゼリーの体がぷるぷる揺れる。

 なんだか、どこかで見たことのあるその姿に、私はたまらず胸を押さえた。


「かわいい……!」


 いや、わかっている。かわいいというのはおかしい。相手は菓子である。

 しかも見た目は、令嬢好み愛らしさや華やかさとは無縁の黒一色。私の知る限りここまで黒々とした菓子はなく、正直言って食べられるものなのかどうかさえ疑いたくなってしまう。

 なんでも、はじめてコーヒーゼリーを見たとある貴族令嬢が、あまりの禍々しさに失神したという噂さえある珍品である。


 ――で、でも、でも!


「や、やっぱりかわいい! だって、ぷるぷるで、ぷにぷにで……」


 その上この姿とくれば、連想せずにはいられない。

 つるんと丸く、ぷにぷにのもちもちの――。


「小さな神様みたい! うわーかわいい……!」


 完全に、手のひらサイズの神様である。しかもちょっと潰れているあたり、しょんぼりしているときの神様だ。

 ゼリー相手に『かわいい』がおかしいのはわかっていても、こればかりは仕方がない。ミニチュアというものは、どうしたってかわいいものなのである。


「これ、コーヒーゼリーって言うんですよ! 舶来の豆からできていて――」


 私は浮かれながら、テーブルを挟んで向かいに座る神様に説明する。

 聖女の仕事でなにかと外出の多いリディアーヌが、王都を訪ねた折に希少なコーヒー豆を手に入れたこと。通常は飲料とするものだが、王都での流行は菓子への加工ということで、ゼリーにしてみたこと。そのままでは苦いけれど、ミルクをかけるとぐっとまろやかになり、苦みが味わい深くなること。

 ゼリーを見つめながらつらつら語る私の向かい側で、椅子の上に載る神様がちょっと潰れていることに、現在の私は気が付かない。ついでに「うう……」と小さくうめいていることにも気付いていない。


「生ものだから、今日中に食べちゃわないといけないんですけど……た、食べにく……! かわいそうでスプーン刺せないわ……!」

「うううう…………」

「うわー……ぷるっぷる……! ぷよんぷよん……!」

「うううううう…………」

「もっちもちで、つるつるで……か、かわ――――」


「――――わ!」


 いい、と言うよりも先に、割って入る声があった。

 夢中でゼリーを突く私の真正面。顔を上げた私の目の前で、ちょっと潰れた神様が、自分を示すように体を丸く膨らませる。


「私も! 私も、ぷるぷるですよ、エレノアさん!!」


 その言葉とともに、コーヒーゼリーにそっくりの、しかし明らかに大きな黒い体が、『ぷるん!』と大きく震えた。

 まるで見せつけるように。

 コーヒーゼリーよりも自分の方が、もっとぷるぷるだと言うように。


「………………」


 そしてそのまま凍り付いた。

 思わず言ってしまった――という様子で、愕然としたように固まる神様を見上げ、私もまた唖然とする。


 ――ええと……?


 視線は、もうゼリーには向けられない。私の目は神様を映したまま、困惑に瞬いた。

 この状況、いったいどうしたことだろう。ゼリーを突いていたら、神様が『自分もぷるぷるだ』と割り込んできた。


 しかもその直前は、ちょっと潰れていて――なんだか、しょんぼりしているようにも見えた。

 コーヒーゼリーに夢中で気づかなかったけれど、もしかして私がゼリーを突く間、ずっとしょんぼりしていたのではなかろうか?


 どうして――とは、さすがに思わない。

 ゼリーに夢中の私。しょんぼりする神様。まるで張り合うように、ぷるぷるをアピールする言葉。

 これって、つまりは――。


 ――……やきもち?


 私はもう一度神様を見る。

 神様は視線を逸らすかのように、さっと黒い体を捩じる。

 強張ったその仕草は、まるで自分の言葉を恥じるかのようだ。彼の体はますます硬く強張り、身じろぎもできずにいる。その様子に、私は思わず――。


「え、エレノアさん、すみません忘れてくだ――――あうっ」


 思わず身を乗り出し、指先で突いていた。

 ぷるんと、ゼリーよりも大きく神様の体が揺れる。


「え、エレノアさん、なにを……?」

「神様って……」


 神様の言葉は聞かず、私は黒い体を突きながらつぶやいた。

 戸惑い震える姿を見つめながら、思い浮かべるのはまだ聖女になったばかりの頃のことだ。


 わがままも言わず、文句も言わず、いつもさみしげに笑う神様。

 掃除もされない部屋で、食事を与えられることもなく、聖女が逃げても怒りもしない。

 穏やかで、優しくて、なにも望まない。まるで、すべてを諦めたような神様だった。


 だけど、今は――。


「ずいぶん、感情が豊かになりましたよね」

「……はい?」

「ああ、いえ、これまでの神様に感情がなかったというわけじゃないんですけど」


 ピンとこない様子の神様に、私はどう言ったものかと迷いながら言葉を付け加える。

 これまでの神様も、笑ったり困ったり、照れたりすることはあった。私がやさぐれていた時には慰めてくれて、卑下する私を怒ってくれたこともあった。


 ただ――それはたぶん、『彼自身』のための感情ではなかったように思う。


「ええと、前はもっと達観されていたと言いますか……あまり自分のことを主張されなかったと言いますか……」


 だからこう――ゼリーにそんなに張り合おうとするなどとは、考えていなかったのだ。

 何気なく向けたゼリーへの褒め言葉に、神様がしょんぼりしているとは思わなかった。神様のぷるぷるっぷりを否定する意図は決してなく、ゼリーの方が神様よりぷにぷにだと言うつもりもなく、傷つけるつもりなんて毛頭なかった。

 だから、だからこう――。


 ――ま、まさか傷ついていらっしゃるなんて思わなかったわ!


 私は内心で、後悔に頭を抱えていた。

 いったい、なんて無神経なことを言ってしまったのだろう。


 まさか神様が、己のぷるぷるさに誇りを抱いているとは知らなかった。いやしかし、知らないからと言って傷つけて許される道理はない。神様の目の前で、ゼリーのぷるぷるさとかわいらしさを全力で褒めたたえてしまったのだ。

 これでは私が、神様よりもゼリーに心を奪われたと思うのも無理はない。いや待て、無理がある!


「そ、そもそも私は、別にゼリーをかわいいと思う特殊な趣味はなくてですね!」


 まず大前提に無理がある。

 これでは私が、ゼリーに変な目を向ける人間みたいではないか!


「ゼリーに思い入れがあるわけじゃないんです! コーヒーゼリーが気になるのは、単に神様を思わせる見た目だからであって――」

「……それって」


 半ば前のめりに、断固として言いつのろうとした私の言葉に、神様がぽつりと言葉を重ねてくる。

 はっと顔を上げれば、神様の強張りは解けている。すっかり戻った弾力が、どこか――――どことなく、なにかを期待するように、ぷるんと彼の体を揺らした。


「私に似ているから、かわいいと思ったということですか?」

「…………」


 代わりに、強張ったのは私の方だ。

 前のめりの姿勢のまま、私は神様の指摘に瞬き、息を呑み、一瞬思考さえも停止する。


 ――…………ええ、と?


 そう……なるのだろうか?

 ぎこちなく動き出した頭の中で、私は神様の言葉を咀嚼する。

 ゼリーに思い入れがあるわけではない。普通のゼリーだったら、おいしそうとしか思わない。

 そのうえこのゼリーは、普通のゼリー以上に見た目が異質だ。食べ物では見たことのない黒い色に、王都の令嬢は失神さえしたという。


 なのに、かわいいと思った。この黒い形が、しょんぼりとしたような見た目が、ぷるんと震える姿が――――神様に、似ているから。


 ぎゅん、と頭に熱が集まった気がした。

 頬がカッと熱くなる。自分でもわかるくらいに、顔が赤くなっている。


「え……」


 神様を見ていられなかった。

 私は慌てて視線を剥がすと、逃げるように目を伏せる。


 落とした視線の先には、神様そっくりのゼリーがある。私は揺れるゼリーを見下ろして、熱を誤魔化すように頭を振った。


「……ええと、なにを言っているんですかね、私! も、もうこの話はやめましょう!」


 一息に言い切ると、私は思い出したように息を吸う。

 神様の反応を見ないように、大きく息を吸い、吐き、もう一度吸い込み――。


 おかしな話題を断ち切るように、強引に話を切り替えた。


「食べましょう、ゼリー!」

「え」


 と驚く神様の声が耳に入ったけれど、もう遅い。

 勢いづいた私は、すでにスプーンを手に取っていた。


「いただきます!」


 そしてその勢いのまま、私の手はスプーンを突き立てていた。


 神様にそっくりのコーヒーゼリーに。

 神様を思わせるから、気になると言ったばかりのミニチュア神様に。


「………………」


 部屋に沈黙が満ちたのは一瞬。

 ほんの少しの間の後で、神様はぷるんとやわらかな体をピシリと凍り付かせ――――。


 それはそれは……いやはや、それはそれは気の毒な悲鳴を上げられた。




 以降数日間、神様が私の姿を見るたびに怯えて逃げ出し、傍に寄ってきてくれなくなったということは、また別の話である。

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