15話

 食堂の奥。上位聖女専用テラスの前で、リディアーヌは胸を逸らしていた。

 親友のはずのアマルダに指を突きつけられても、アマルダの背後に控える神官たちに睨まれても、目を逸らしもしない。

 周囲の人だかりすら気にした様子はなく、彼女はいかにも高慢そうに、ツンと取り澄ます。


「なんのことかしら。言いがかりはやめてちょうだい」

「とぼけないで! そんなリディちゃん、見たくないわ……!」


 対するアマルダは、今にも泣き出しそうな様子だった。

 いや、目尻にはすでに涙が浮かんでいる。

 声はかすかに震え、それを堪えるように両手を握り合わせる姿は、見ている方が苦しくなるほどに痛ましかった。


「みんなわかっていたのよ。神殿に穢れが出て得をするのは、王家の人間だけだって! 清らかなはずの神殿に穢れがあるとすれば、外から持ち込まれた他にないって!」


 そして、この神殿において王家に近しい人間はリディアーヌだけだ。


 アマルダの言葉を肯定するように、神官たちがリディアーヌに目を向ける。

 無数の非難の視線にさえ、しかしリディアーヌは怯まない。

 冷たい美貌をしかめ、逆に神官たちを睨み返す。

 鋭い視線に威圧され、神官たちはいっせいに身を竦ませた。


「リディちゃん……!」


 そんな中、アマルダだけが前を向き、神官たちを背に一歩前へと歩み出る。


「お願い、本当のことを言って。きちんと認めて、罪を償って! リディちゃんが少しでも、聖女としての誇りや責任を持ってくれているなら……!」


 そこで一度言葉を切ると、アマルダは辛そうに唇を噛んだ。

 握った両手が震えている。伏せた目からはついに涙がこぼれ、ぽたりと地面を濡らした。

 それでも、アマルダは顔を上げる。

 涙に濡れながらも、強い瞳をまっすぐに向けるその姿は――まさに、聖女と呼ぶにふさわしい姿だった。


「穢れを生み出して、人を傷つけたことを悔いているのなら、もう嘘なんてつかないで! あなたはそんな人ではないはずよ! リディちゃん!!」


 でもまあ、どうせ態度だけである。


 結局、放っておけずに加わってしまった人だかりの中。

 野次馬に紛れて騒ぎを見つつ、私は内心で「けっ」と吐き出した。

 隣では、マリとソフィも訝しそうに「どういうこと?」と囁き合っている。


 ――『そんな人ではない』って、リディのなにを知っているのよ。


 泣きながら訴えるアマルダの言葉も、私の心には響かない。

 だって、どこからどう考えても冤罪に決まっている。


 ――あのリディが、穢れを生み出せるはずがないじゃない! あの子がそんなに器用だと思う!?


 もちろん、リディアーヌだって悪い感情を持つことはあるだろう。

 怒ったり悩んだりも当然する。それなら穢れを抱くこともあるだろう。


 だけど、その穢れを利用して王家に役立てようだとか、神殿に害をなそうだなんてするはずがない。

 そんなに器用なことができるなら、彼女があんなに意地っ張りでツンツンで、神殿で孤立するような不器用な性格にはなっていなかった。


 ――勝手なことを言って! ……って、だからどうしたって言うのよ! 私には関係ないわ!


 ムカムカしている自分に気付き、私は慌てて首を振った。

 別に、私が腹を立てるようなことではない。

 リディアーヌが冤罪だろうがなんだろうが、あれはアマルダとリディアーヌの問題だ。

 解決は、リディアーヌが自分ですればいいことである。


 実際、リディアーヌだって言われ放題で黙っているわけでは――。


「わたくしは後悔なんてしていないわ」


 冷たく言い放つリディアーヌの言葉に、思わず額に手を当てた。


 ――たしかに、後悔していないのでしょうけど……。


 嘘を言っているわけではない。

 ただ、『だって、穢れを生み出していないから』が抜けている。


「リディちゃん……! いなくなった人に悪いと思わないの!?」

「どうして、わたくしが悪く思わなければいけないのかしら?」


『実際に、なにもしていないから』が足りない。

 これはもしかして、傍から見れば開き直りと思われてしまうのではないだろうか。


 ――い、いえ、関係ない、関係ないわ……。


 ざわめき出す人だかりの中、私は自分に言い聞かせる。

 彼女の言葉が足りないことも、あのツンとした態度がいかにも悪役らしくて、周囲に誤解を生んでいることも、私には関係ないのだ。


 ――私はリディに、ちゃんとアマルダのことを警告していたわ。


 それでこうなったからには、リディアーヌの自業自得である。

 私が気にすることではないし、なにより私はもうアマルダに関わりたくなかった。


 ――どうせ、首を突っ込んだらろくなことにはならないのよ! 下手に巻き込まれる前に、さっさと退散するべきだわ!


 つい気になって様子を見に来てしまったけど、そろそろ切り上げて食堂に戻った方がいいだろう。

 今ならきっと食堂も空いていて、並ばずに済むはずだ。


「リディちゃん……! 反省をする気もないの!? いくらリディちゃんが仮で選ばれた聖女だとしても、一応はアドラシオン様の聖女なのよ!? 聖女として、なにか恥じることはないの!?」


 などと思う私をよそに、アマルダはまだ声を上げ続けている。


 ――『仮で選ばれた』? 『一応は』?


 思わずイラッとしかけて、私はどうにか感情を呑む。

 気にする方が負けなのだ。


 ――無視よ、無視! リディだって自分でなんとかするわよ!


 首を突っ込まないと決めた以上、ここにいても腹が立つだけである。

 さっさと移動してしまおう、と二人から目を逸らし、足を踏み出しかけ――。


「わたくし、反省するようなことも、恥じるようなこともした覚えはなくってよ。なにか勘違いしているのではないかしら」


 曲がることのないリディアーヌの声が聞こえてきた。

 いかにも融通の利かなそうな口ぶりに、喉の奥から声が出そうになる。


 ――ぐぐ……無視、無視……!


「リディちゃん……ひどいわ……! それが、仮にも聖女の言葉なの!? それともやっぱり、本物の聖女ではないから……?」

「…………本物の聖女?」

「本当の聖女なら、そんな嘘はつかないわ。神様が認めた清らかな心を持っているのだもの。そう簡単に穢れを抱くはずがないし――たとえ穢れを生んだとしても、ロザリーさんみたいに反省することができるはずよ」


 でも、とアマルダの声がする。

 その声はか細く、痛ましげで――。


「……でも、リディちゃんは、アドラシオン様が本当に求める相手ではないから」


 最高に無神経だ。

 私は足を踏み出しかけたまま、耐えられずにちらりと輪の中心を見た。


 アマルダは両手を握りしめ、自分こそ傷ついたかのように俯いている。


「……ごめんなさい。こんなこと言いたくはなかったのだけど」

「いいえ」


 対するリディアーヌは、表情に少しも変りない。

 相変わらず取り澄まし、相変わらず冷たく――だけど、明らかに先ほどまでとは違う。


「偽聖女と、言いたければ言いなさい」


 リディアーヌは一歩、ゆっくりとアマルダに足を踏み出した。

 アマルダが怯えたようにびくりと震え、顔を青ざめさせている。

 無理もない。今のリディアーヌは、遠巻きに見ている私でもわかるくらいに怒っていた。


 ――……でも、今ここで怒るって。


 冷静さを欠き、アマルダを威圧するリディアーヌ。

 リディアーヌの視線にさらされ、もともと小さい体をさらに小さくし、涙を浮かべるアマルダ。

 傍から見ると――どう考えても、いじめっ子といじめられっ子の構図である。


 ――い、いえ、だからどうしたのよ! 無視しないと!


 と思う私の目の前で、リディアーヌは「フン」と鼻を鳴らす。

 舞台役者も真っ青な悪役ムーブである。


「良くってよ。あなたにとっては、わたくしは偽聖女で、穢れを生んだ元凶なのね」


 ――良くな……む、無視……。


「なんとでも言いなさい。好きなように思ってけっこう」


 ――む、む、ぐ……。


「あなたになんと思われても、わたくしは構わないわ!」


 ぐ。

 ぐぐぐぐぐぐ…………!


「ああああ! もう! 構いなさいよ、このバカ――――!!!!」


 無視失敗。

 隣で頭を抱えるマリとソフィを横目に、私は耐え切れずに人だかりの中心に足を踏み込んでしまった。

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