4話
「――――し、死ぬかと思った……!!」
穢れから逃げに逃げ回ること、しばらく。
階段で見かけた穢れ以外にも、あちらこちらで道をふさぐ穢れに出くわし、そのたびに向きを変えては逃げ続けてきた私たちは、現在、裁判所内のどことも知れない小部屋の中にいた。
夢中で逃げてきたせいで、もはや最初に自分たちがいた場所もわからない。せっかく見つけた階段らしい場所にも戻れる気がしなかった。
「ほんと……どうなってんのよ、ここ……! 神聖な……裁判所なんじゃ……なかったの!?」
ぜえぜえと荒く息を吐きながら、私は部屋の半ばに座り込む。
体はすっかり疲れきり、もう立ち上がる体力もない。吐き出す愚痴さえ途切れ途切れだ。
「こ、これじゃ……階段どころじゃ……ないわよ!」
「貴様の……せい……だろうが……!!」
ヨランの悪態も、今は荒い呼吸に邪魔され勢いがない。
私のすぐ横、放り出されるように転がりながら、ヨランは仰向けの姿勢で汗をぬぐう。
「貴様と……無能神が、穢れをばらまいて……!」
「だったら……あなたなんて……とっくに捨ててるっての……!!」
どうにかこうにか悪態に言い返すと、私は「は――――」と長い息を吐いた。
言い合いをするのも体力を使う。片足を怪我した状態で散々逃げ回った挙句、まだ文句を言い続けられるヨランは、さすがは神殿兵ということだろうか。もちろん、まったく褒めていない。
「いいから……黙って休みなさい! 歩けるようになったら……また、階段を探しに行くんだから……!!」
この小部屋は、穢れから身を隠そうと慌てて逃げ込んだだけの場所だ。
今のところは穢れの出る気配はないけれど、安全である保障はどこにもない。
少し休んで体力が戻ったら、すぐに出て行くべきだろう。
「…………階段など」
そんなことを考える私に、ヨランの息も絶え絶えな声が水を差す。
「探してどうなる……この状況で……」
「どうって――」
「穢れだらけで……見つけられると思うか? 見つけたとして、穢れから逃げられると思うか?」
ヨランはそう言うと、仰向けのまま視線だけを私に向けた。
表情は相変わらず険しい。だけど疲れ切って怒鳴る体力もないのか、口にする声だけは、以前よりも少し大人しかった。
「仮に――仮に、万が一にも貴様が穢れを操っていないとして、だからなにが変わる? この足で、二人だけで、なにができる……?」
「…………」
「俺たちは穢れから逃げられない。あの兵も、もう生きているかわからない。誰かが助けが来ることもない」
はっ、とヨランは鼻で笑う。
それからまた、汗をぬぐうように額に手を当てた。
「必死になったところで、無意味だ。……穢れに呑まれた俺たちが、まだ生きているなんて誰も思わん」
額ににじむ汗は――おそらく、疲労のためだけではないのだろう。
痛みにこらえるように唇を噛むヨランを見やり、私はひとつ息を吐く。
たぶん、ヨランは不安なのだ。
足を怪我しているぶん、もしかしたら、私よりもずっと。
「……無意味じゃないわよ」
そう言ったのは、慰め半分、自分への言い聞かせ半分だ。
私は座り直して膝を抱き、静けさの中で首を振る。
「助けに来てくれるわ。神様なら、必ず」
「無能神が?」
はっ、と再び嘲笑が聞こえる。
むっと顔をしかめてヨランを見れば、やはり。私に顔を向け、彼は馬鹿にしたように顔を歪めていた。
「神の助けを信じろなどと、代理の聖女が今さら聖女ぶる気か? 相手は役立たずの無能神だろうに」
「聖女ぶる気なんてないわよ」
ヨランの憎たらしい顔を睨み、私は「ふん!」と鼻息を吐く。
慰め半分――などと考えたのも馬鹿らしい。どこまでも嫌な男である。
「別に、聖女だから神様を信じるわけじゃないわ。っていうか、代理なのはその通りだし!」
私だって、自分が神様に選ばれていないことは承知している。
選ばれたのはアマルダ。私はその代理。
どこまでいっても、その事実は覆しようがない。
「聖女の資格がないのもわかっているわ。私は歴代の偉大な聖女様みたいに、なんでもは信じられなかったもの」
神様が穢れの原因であると疑ったこともある。
きっと今だって、なにもかも信じきれているわけではない。
深い信仰心で自身の神を信じ抜く、立派な聖女にはなれない。
神様を疑い、迷い、悩む私は、やっぱり聖女には向いていなかったのだ。
それでも。
「……聖女だから、じゃないのよ」
膝を抱く手に力を込め、私は少しだけ目をつぶる。
想像しようと思わなくても、頭に浮かぶのは神様の姿だ。
目の前で私が穢れに呑まれたときの、動揺する彼が見えるかのようだ。
きっと、すぐに私を追いかけようとしてくれるだろう。
どこにいるのかと、必死に探してくれている。
諦めたりはしないはず。いつもは天然ぽやぽやでも、決めるところは決めてくれる方だ。
そういう神様を、私は知っている。
疑って、迷って、悩みながら――私はずっと、そんな神様の傍にいた。
ずっとずっと、私は『神様』を見てきた。
「私は、神様が――あの方が、あの方だから信じているのよ」
神だから、聖女だからではなくて。
ただ『エレノア』が、『彼』を信じているのだ。
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