28話

 威圧感が肌を刺す。

 強すぎる神の気配に体が震えている。


 すべて壊すなんて、できるはずがない――とは、言えなかった。

 神様はきっと、私が思っているよりも、ずっとずっと『神』なのだ。

 人間の手では届かない、はるか天上の存在なのだ。


 ――でも。


 でも、と私は震える指に力を込める。

 直視するのも畏れ多い神様を、睨むようにギッと見据える。


 私はたぶん、怒っているのだ。


「いきなり出て行って、戻ってきたら急に変なこと言いだして! 『はいお願いします』なんて言えるわけないでしょうが!!」

「…………」


 頬を私に押さえつけられたまま、神様は呆然としていた。

 私に伸ばしていた手もひっこめて、戸惑ったように瞬きを一つ、二つと繰り返す。


 そのまま、三度目の瞬きとともに――彼は心から困惑した声で、こう言った。


「……なぜです?」


 金色の瞳が私を見つめ返す。

 どこまでも深い目の色が揺れて、私を映し込んでいた。


「どうして、そんなことが言えるんです? あなたばかりがつらい思いをしているのに」

「それは……!」

「たった一人で、こんな場所に閉じ込められて、無実の罪を着せられて――誰にも知られないまま、怖くて泣いていたのでしょう?」


 ねえ、と神様の声が響く。

 明かりのない夜。誰も訪れない冷たい牢獄。

 月さえも見えない暗闇で、神様が呼びかける。


「理不尽だと、嘆いていたでしょう? 恨めしくて、憎かったでしょう? ……なんで自分ばかり、と思っていたでしょう?」


 神様の目は見透かすようだ。

 私の心の奥の奥まで見つめて、彼は静かに息を吐く。


「あなたは普通の人間です。ありふれた、善良で――同時に、悪辣な。清らかではいられない方です」

「…………」

「他人のために、犠牲にはなれない方です。受け入れられるはずがないのに」


 なのに――。

 そう告げる神様の表情は、変わらない。

 私の前に現れた――私の前にひざまずいたときから、ずっと同じ。

 静かで、穏やかで――影の落ちた顔で、彼は私に問いかける。


「なのに、どうして犠牲になろうとするんです? この国の誰も、あなたを助けようとはしないのに」

「………………そんなの」


 心底不思議そうな神様の問いに、私はぐっと唇を噛んだ。

 そのまま、神様を見据えて大きく息を吸う。


 肌に触れる威圧感は変わらない。押しつぶされるような神の気配に、今にもひれ伏してしまいたい。指先が震え、体が怯え、畏れ多さに心が折れそうになる。

 だけど、そんなことなんて――。


「そんなの――――」


 全部忘れたふりをして、私は思いっきり眉根を寄せた。

 たぶん――じゃない。

 今の私は、間違いなく怒っている。


「そんなの、『他人のため』じゃないからよ!!」


 吸い込んだ息を怒声に変え、私は神様の頬をぎゅっと押しつぶす。

 神様が驚き、目を見開いているけれど――。


 ――知ったこっちゃないわ!!


「国のために犠牲になんてなるつもりないわよ! えーえー! だって私は、アマルダと違って清らかな聖女様ではないもの!!」


 立派な聖女であれば、そりゃあもちろん、この国の人々のために神様の誘いを断るのだろう。

 だけど私は、神様の言う通り、そんなに清らかな人間ではない。

 しょせんは、聖女に選ばれなかった代理聖女。他人のことより自分のことが大事だし、今の状況はつらいし、許せないし、恨んでいる。

 やり返せるなら、きっとやり返していた。アマルダは一度くらい、痛い目を見るべきだと思う。

 不老不死だって、まったく、ぜんぜん興味がないかと言われれば、少し悩む時間が欲しいくらいには悩みたい。


 でも。

 でも、だ!


「でも! 自分が助かるために、神様にそこまでさせたいわけじゃないんです!!」


 力づくで神様を押さえこみ、顔を近づけ、私は噛みつくように否定する。

 鼻先にある神様の表情は、やっぱり最初に見たときと変わらない。


「知らない、誰かのためじゃないわ……!」


 冷たいほどの神の威厳を湛えながら、深い影を落としたその表情かおは――。


「大切な人にそんな顔をさせたくないんですよ――――神様!!」


 最初から、少しも神らしくなんてなかった。

 私の手の間で、できそこないの笑みを浮かべた神様が瞬く。


 牢に夜の風が吹く。

 ひやりと冷たい風の感触に、神様はようやく気が付いたように、濡れた彼自身の頬に手を当てた。

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