5章(後)

1話 ※聖女視点

 穢れを生み出すリディアーヌも、それをかばうエレノアも、みんなアマルダの苦悩をわかっていない。

 最高神の聖女としてアマルダがどれほど心を痛め、どれほど身を犠牲にしようとしているか、少しもわかってくれていない。


 ――仕方ないわ。私はグランヴェリテ様の聖女。最高神の聖女だもの。


 偽聖女であるリディアーヌのように、気楽な立場ではない。

 自ら頼み込んでようやく聖女の末席に座れたエレノアのように、期待されない立場でもない。

 アマルダは歴代で唯一、最高神の聖女として選ばれた身。

 この国の頂点に立つ一番の聖女として、人々を守る義務があるのだ。




「――アマルダ様、どうかご一考ください。この国をむしばむ穢れを払うには、もう他に方法がありません」


 最高神グランヴェリテの応接室。

 いつもは若い神官のにぎわう部屋で、アマルダはぎゅっと両手を握りしめた。

 向かいにいるのは、この神殿の最高権力者――神官長だ。

 部屋には彼とアマルダの二人きり。どこか重い空気が立ち込めていた。


「神官たちに歴史書を紐解かせ、唯一見つけた方法にございます。これならば、必ずや穢れを打ち払い、次なる発生を抑えることができましょう」

「…………」


 神妙な神官長の言葉に、アマルダはすぐに返事ができなかった。

 視線を落とし、決断をためらうアマルダを見て、神官長は老いた顔に、安心させるような笑みを浮かべる。


「そう不安に思う必要はありません。時期が早いとお思いでしょうが、アマルダ様はグランヴェリテ様に選ばれた聖女――伴侶なのですから」


 ――わかっているわ。


「これは名誉なことであり、当然のことでもあります。アマルダ様が真に聖女となられることを、我々はもちろん、グランヴェリテ様もお喜びになりますでしょう。そして、ますますそのお力を、神殿のためにふるってくださるに違いありません」


 ――わかっているの。


 アマルダは最高神グランヴェリテの聖女。

 この神殿に多数存在する、神の姿も見たことのないような名ばかりの聖女たちとは違う。

 本物の聖女にして、真実の神の伴侶なのだ。


 ならば彼女の役割は、ただ神殿で暮らすだけではない。

 身の回りの世話をして、神の声を聞き――その身を慰めるのもまた、聖女の役目である。


「本来であれば、グランヴェリテ様とアマルダ様のお気持ちを尊重し、お互いのお心が決まる日をお待ちするのですが……」


 無言のアマルダに、神官長は笑みのまま少し言葉を濁す。

 だけど、続く言葉はアマルダにも想像がついていた。


 現在の神殿は、穢れが増えていく一方だ。

 なんとか言い繕って誤魔化してはいるものの、王家からの追及は厳しくなるばかり。

 最近では神殿外でも穢れの出現が増え始め、『神殿が堕落したから神々がこの国を見捨てた』という噂まで囁かれているという。

 このままでは、神殿が民たちからの信頼を失ってしまうのも時間の問題だった。


 その前に、神殿は神々の確かな力を示さなければならない。

 そのために最も適任なのは、最高神の寵愛を受けるアマルダをおいて他にはいないのだ。


 ――他の人たちは、神様にお会いすることさえできないもの。お姿を見て、触れて、愛していただけているのは私だけなんだもの。


 かつて、聖女と神々の距離がもっと近かった時代には、正しく『伴侶』としての聖女も多かったという。

 そういう意味では、この神殿の堕落は間違っていないのかもしれない。

 真の聖女はアマルダただ一人となってしまった以上、神々の力が弱まり、穢れが増え始めるのも不思議ではなかった。


 ――私しかいないの。


 神官長がアマルダに告げた、神殿にはびこる穢れを払う方法とは、アマルダが最高神グランヴェリテと寝所を共にすることだ。

 体を重ねることで、神々はより多くの穢れを払うことができるのだと、古い歴史書の中に残されていたのだという。


「アマルダ様、今すぐにとは申しません。ですが、どうかよくお考えになってください。……穢れを生み出す原因を探るのも重要ですが、今はなにより、増え続ける穢れ自体をどうにかしなければなりませんので」


 神官長はそう言うと、アマルダに深く一礼をして部屋を去っていった。




 一人取り残されたアマルダは、神官長が去ってもなお無言のまま、立ち上がれずにいた。


 神官長の言い分はよくわかる。

 アマルダも最高神の唯一の聖女として、人々を救ってあげたいという気持ちはある。


 最高神に愛されている自覚もある。

 表情こそほとんど変わらず、言葉も少ない彼だけど、傍にいればそれは誰でもわかるはずだ。


 アマルダの存在を、彼は一度たりとも拒んだことはない。

 言葉が少ないのは、むやみに話をしなくても気持ちが通じ合っているからだ。

 特に最近は、彼からの視線を強く感じることもあり、前以上に彼の愛を感じている。


 本当の意味で、彼の伴侶になるのは嫌ではない。

 神官長も言った通りに名誉なことであり、アマルダとしても愛する人と結ばれるのは嬉しいことだ。

 想像するだけで頬が赤くなり、高揚感みたいなものを感じてしまう。


 なのに――どうしてか、ためらいが捨てきれない。

 嬉しい、と思う前に、わずかな迷いが頭をよぎる。


 ――どうしてかしら。


 この国を救うという重圧のせいだろうか。

 自分を慕う神官たちや、想いを寄せてくれるエレノアの婚約者に、エレノアの姉・マリオンの夫であるルヴェリア公爵――彼らに、悪いと思ってしまっているのだろうか。


 あるいは――と考えて、アマルダは首を横に振る。

 自分を選んでくれた最高神をほんの少しでも疑うなど、あり得ないことだ。


 ――グランヴェリテ様から、私を求めてくださればいいのに。


 そうすればきっと、この迷いも晴れるに決まっている。


「……最高神の聖女って、大変ね」


 アマルダは気持ちを切り替えるように、わざと口に出してそう言った。

 愛する人と結ばれることさえ、この立場になると悩ましいことだらけだ。


「みんなは悩みがなくて、羨ましいな」


 聖女としての責任もなく、神殿で気楽に過ごしていられる他の聖女たちを思い、アマルダは一人苦笑した。

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