9話
「私が……いじめられている……それでそんな、慌てて……」
今日一番、最高に混乱したあと。
今日一番、神様は笑い続けていた。
くう……粘性の泥の体が愉快そうに震えていらっしゃる……!
対する私は、恥ずかしさに顔を赤くして震えている……。
「どうしてそんな勘違いなんて……。彼はそんなことをする神ではありませんよ。私に、とてもよくしてくれています」
そりゃあ、考えるまでもなくそうですよね……!
だって相手は神様――その中でも、序列二位の偉大なるアドラシオン様でいらっしゃる。
恐ろしいけれど公正で、不正や悪を嫌う正義のお方だ。
弱い者いじめなんてするはずがない。
むしろ逆に、誰かがいじめられていたら守ってくれるタイプである。
この部屋に来ていたのも、きっと顧みられない神様を心配して、様子を見に来てくれたのだろう。
アドラシオン様にとっては格下の相手だろうに、見た目とは裏腹に面倒見のいいお方だ。
――アドラシオン様に、失礼な勘違いをしてしまったわ……。
ご本人のいる前で余計なことを言わなくてよかった。
とは思いつつ、だってあの瞬間、こんもりとした泥山の無能神と、序列二位の目が眩むような神様が並んでいる姿を見て、他に想像ができなかったのだ。
「……だって神様、なんだか動揺していらっしゃったようですし。ちょっと話しただけだけですけど、ぽやっとした雰囲気がおありだし……」
人間にさえ石を投げられたりするし。
聖女に逃げられても怒らないような性格だし……。
「…………私を心配してくださったんですね」
ふう、と笑い疲れたように息を吐くと、神様はようやく落ち着いた様子でそう言った。
「そんな方ははじめてです。みんな、この部屋を出たら戻ってくることさえないというのに。――――エレノアさん、でしたか? どうして、またこの部屋に戻ってきたのですか?」
「どうして、って……」
「このまま戻って来なくても、咎めないと言ったはずです。これまでの聖女も、みんなそうしてきました。神殿と交渉したのか、他の神の聖女になった者もいます」
神様の声は低く、どこかほの暗い。
この、朽ち果てた部屋のように、妙にさみしい問いかけだった。
「こんな醜いモノの相手をしなくても良いのに――なぜ、あなたは戻ってきたのですか」
――なぜ。
神様を見やったまま、私は眉をひそめた。
……そりゃあまあ、相手にしたいか、したくないかと言われたら、正直に言えばご遠慮したいと思っていた。
どうして私が、アマルダが最高神の聖女になるために、貧乏くじを押し付けられないといけないの――と今だって思っている。
でも、私の中で、戻って来ないという選択肢はなかった。
いくら、咎めないと言われたって――。
「……聖女なら、神様のお世話を投げ出したりはしないでしょう?」
実際のところ、私は本当の聖女ではないけれど。
そのことはまあ、些細な話である。
「私、これでも一度は聖女を目指した身ですもの。……そりゃあ、美形の神様に当たったらいいなあなんて思いはしましたけども。でも、誰が選んでくれるかわからないことは承知の上で、聖女になろうと決めたんです」
なれなかったけど!
なんて内心で恨み言はさておき――。
聖女を目指した修行の日々で、私だって聖女の心得くらいは身に付けたつもりでいる。
「どんな神様でも、私を選んでくれた方のために誠意を持って仕えてみせる。そう思えるからこそ、聖女を目指したんです。もちろん、相手が御身――クレイル様だって」
神様は「なぜ?」と聞くけれど、私からしたらむしろ、逃げ出した他の聖女たちに「なぜ?」と尋ねたい。
だって、心清らかなのが聖女なのだ。
私を差し置いて、聖女に選ばれた人たちのはずなのだ。
逃げ出すような人が聖女になって、私がなれなかったなんて、悔しくて仕方がない。
そんな逆恨みと意地も、この場に残る理由だ。
「こうなった以上、きちんと役目を果たすつもりです。……まあ、私はしょせんアマルダの――聖女アマルダ様の代役ですけども」
言いながら、私は落としたほうきを拾い上げる。
アマルダの思い通り、ということだけが心の底から不本意ではあるけれど――。
「それでも――身代わりだとしても、今はあなたの聖女なんですから」
私はそう言うと、ほうきを握りしめたまま、ニッと神様に笑いかけた。
あっ、でも夜のお世話の方だけはご遠慮させていただきます!
婚約者いるし!
乙女心的にも、やっぱりちょっと抵抗あるし!
……なんて思ってしまうあたりが、私が聖女になれなかった理由なんだろうなあ。
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