33話 ※他視点→エレノア視点
――たしかに。
リディアーヌはエレノアを助けることを即決できなかった。
彼女には立場があり、地位があり、目的がある。
なによりも彼女には、自身を聖女に誘った男がいる。
男の力になりたい。その思いを裏切れない。
それでも。
「これからどうしますかね、リディアーヌ様? まあ、こうなったら諦めても仕方が――」
「――いいえ」
家主の居ない暗い部屋。
高位神官の冷たい問いに、彼女は迷わなかった。
「諦めません。なにか方法を探すのよ。あの方を裏切らず、エレノアも助けられるような方法を!」
うつむいていた顔を上げ、両手を握りしめ、彼女はきつく前を見据える。
赤い瞳には力があり、熱があった。
「そうであれば、わたくしの家の力も、国の力も使えるわ! 力を貸しなさいレナルド! なんとしても、あの方を納得させるの!」
即決はできない。彼女はエレノアとは違う。
ならば彼女には――彼女の選択がある。
視線はもう下を向かない。
彼女はいつものように高慢に、高飛車に、ツンを顎を持ち上げて言った。
「友達も助けられなくて、なにが聖女よ! これでは、あの方のお傍にいる資格なんてないわ!!」
〇
――たしかに。
できもしないことをする趣味は、レナルドにはない。
意味があることと、ないことを彼は知っている。
無駄なあがきはまったくの無駄であり、得られるのはせいぜい、当人の満足感だけだ。
すでにマティアスには先手を打たれている。
エレノアと近しい人間は、アマルダの傍には近寄らせない。
すでにアマルダに取り入っていたレナルドも、今となっては彼女の屋敷を門前払いされるようになっていた。
神殿も、マティアスの嘘を知っているがゆえに、レナルドをエレノアの件から遠ざける。
内情を探ろうにも、以前に同僚から聞き出した以上の情報は得られない状況だ。
これ以上手を伸ばせば、神殿からの不信感を買うだろう。
もとより後ろ盾のない彼にとって、立ち回りだけがすべてだ。
余計なことをして目を付けられれば、今まで積み重ねてきたものも危うくなる。
それでも。
「ああああ! くっそあのお姫様! 『とにかく、まずはエレノアに会わせなさい』なんて簡単に言いやがって!」
神殿内の自室。ソファに重たい体を投げ出し、レナルドは頭を掻く。
マティアスの認める人間以外は、一切の面会も許されず、居場所さえも知らされない。
そもそも『エレノアに会う』ことが、今はなによりも難しかった。
「いくらこっちに借りがあるからって、これじゃ割に合わないだろうが! なんで俺がこんな面倒なこと――」
「でも」
仰向けに天井を見るレナルドの上に、神出鬼没の影が落ちる。
見慣れた影はレナルドを見下ろして、どこか嬉しそうににやーっと笑った。
「レナルド、ひさしぶりに、ちょっと楽しそう」
「…………」
それでも、彼女の言葉は否定しない。
楽しい――というのはさすがに語弊があるが。
「……ま、できるだけのことはするって言ったからな。『できること』があるなら、仕方ねえ」
蹴落とすためでもなく、取り入るためでもなく、誰かを助けるために頭を悩ませている。
そのことに、悪い気がしないのは事実だった。
〇
――たしかに。
アマルダ・リージュはマリとソフィに会いに来た。
すでに、エレノアが捕まったという話は神殿中に広まっている。
エレノアが無能神を虐げていたことも、それを助けた聖女アマルダのことも、神殿の誰もが知っている中。彼女は笑顔で、食堂にいるソフィと食事をするマリの隣に腰かけた。
「マリちゃん、ソフィちゃん、かわいそう。ロザリーさんに続いて、ノアちゃんにも目を付けられていたなんて」
アマルダが二人に向けたのは、まっさらな同情だ。
いっさいの裏のない、純粋な親切心。
穢れに絡んだ二人の問題児に目を付けられ、どれほど困らされていただろうかと、彼女は心から心配してくれていた。
食堂にいるのは下位の聖女ばかり。突然現れた最高神の聖女に、周囲の視線が一斉に向けられる。
視線に含まれるのは、驚きと戸惑い。それから、親しげに話しかけられるマリたちへの、羨望の念だ。
最高神の聖女の目に留まり、上手く取り入ることができれば、神殿内での立場は大きく変わる。
マリにとっては、きっと好機だったのだろう。
それでも。
「ねえマリちゃん、つらかったでしょう? ソフィちゃん、私もノアちゃんがあんな人だとは思わなかったの」
それでも――――。
「ノアちゃんがあんな人ってわかっていたら、ちゃんと注意してあげられたのに。気づいてあげられなくて、ごめ――」
「うるっさいわねえ! あんたと話すことなんてないわよ!」
そんな好機など、こちらから願い下げだ!
「私がエレノアと仲良くしようがどうしようが、あんたには関係ないでしょう! エレノアは、私の友達なんだから!!」
行こう、マリ――とソフィがマリに呼び掛ける。
そのまま、アマルダには見向きもせず席を立つソフィの背を、マリは迷わずに追いかけた。
背後でアマルダのすすり泣きが聞こえても、自分たちへ非難の目が向けられても、知ったことではない。
〇
――たしかに。
たしかに、ルヴェリア公爵からの手紙はアマルダの元に届いていた。
内容はエレノアも見た通り。筆跡も印も、公爵本人のものだ。
でも――。
〇
「エレノア! このバカ! バカバカ! どれだけわたくしを心配させるつもり!?」
「リディ――あ、あだだだだ!?」
牢の前で立ち止まった影は、そのまま流れるように鉄格子に腕を伸ばし、私の鼻をむぎゅっと摘まんだ。
ほのかな光に浮かぶ泣き顔に、私の感情が追い付かない。
ただ、赤い瞳の鋭さと、鼻の痛みだけが鮮明だった。
「ど、どうして? なんでリディが!? それに、マリも、ソフィも、レナルドまで……?」
暴れるリディアーヌを止めようと、遅れて駆けつけてくるのも見知った姿だ。
リディアーヌを背後から引き離そうとするマリ。リディアーヌの持つ手燭を慌てて取り上げるソフィ。それを呆れたように眺めながら、少し離れて肩を竦めるレナルド。
人気のない回廊に、騒ぎ声が響き渡る。
夜の冷たさも、静けさも、今は嘘みたいに消えていた。
「どうして、みんながここに…………」
それ以上の言葉は、口から出てこない。
ただ胸を詰まらせ、私は順に牢の外にいる人々を見回した。
「どうして、ですって?」
そんな私を見据えて、リディアーヌが「ふん」と鼻を鳴らす。
潤んだ目を乱暴に手で拭えば、先ほどまでの泣き顔はもう見えない。
いつも通りの、ツンと取り澄ましたリディアーヌだ。
「あなたに渡すものがあるからでしてよ。あなた宛ての、預かり物」
「預かり物……?」
ええ、と短くうなずくと、リディアーヌは袖から折りたたまれた紙切れを取り出した。
「これは殿下からお預かりした、あなた宛てのルヴェリア公爵夫人の手紙です」
「殿下……? ――って、お姉様からの手紙!?」
私はぎょっと目を見開き、リディアーヌの差し出す紙切れを見る。
手紙――と呼ぶには薄すぎるくらいに薄い紙。廊下を流れるかすかな風にさえ揺れるそれに、なにが書いてあるかが想像できない。
――だって、お義兄様は、今……。
頭をよぎる嫌な予感に、手紙を取る手が震えていた。
手燭のほのかな明かりだけが照らす中。私は手の中の紙切れに目を落とす。
紙はただの一枚。二つに折りたたまれているだけ。
私は恐る恐る、その手紙を開き――。
『お姉様を信じなさい!』
たった一行しかないその中身に、思わず吹き出してしまった。
時節の挨拶どころか署名すらもない、完全な走り書きである。
――さすがはお姉様だわ……!
あまりにも力強すぎて、不安になっていたのも馬鹿らしい。
笑いを噛みながら顔を上げれば、牢の前に立つリディアーヌと視線が合う。
手紙の中身を知っていたのだろう。彼女はふふんと鼻で息を吐くと、腰に手を当てて胸を反らした。
「もう少しだけ辛抱なさい。必ずなんとかしてみせるわ」
それから、彼女は息を吸う。
大きく大きく息を吸い――吐き出した言葉は、姉の手紙と同じくらいに力強かった。
「こんな理不尽、裁判で全部ひっくり返してやるんだから!」
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