26話

 リディアーヌとの騒動から一夜明け。

 翌朝は、奇妙なくらいに平和だった。


 昨日から引き続き、上天気の朝の空。

 雲一つない青空を、鳥たちが心地よさそうに横切っていく。

 春らしい風に木々が揺れ、静かな神殿にさやさやとそよぐ。


 ――…………?


 リディアーヌから食事を分けてもらっているとはいえ、くれるものはもらってやろう――と食堂へ向かう道すがら。

 あまりの平和さに、私は一人首を傾げていた。

 なにかがおかしい。

 

 ――変だわ。服が水に濡れてもいないし、足を引っかけられてもいないし、遠巻きにくすくす笑われてもいないなんて……!


 神殿の朝は水をかけられるものだし、うかうか歩けば転ばされる。

 そうでなくとも嘲笑を向けられ、聞こえよがしの悪口が聞こえるはずなのに。


 まあ、相手がうかうかしていたらやりかえすけど。

 転ばされたら転ばせ返すけど。

 そんないつもの朝の、ギスギスしたやりとりがないなんて、絶対におかし――あ。


 あ。

 そうか。


 ――ロザリーがいないんだわ。


 ついでに取り巻き二人もいない。

 聖女として最下位の私に、わざわざ積極的に絡んでくる物好きなんて、ロザリーたち三人くらいなものなのに。


 ちなみに他の聖女は、私の存在は完全に無視だ。

 嫌がらせはしないけど話しかけもせず、こっちから話しかけると嫌そうな顔で去っていく。

 もちろん、全員に話しかけたわけではないので、中にはちゃんと相手にしてくれる人もいるのだろうが、今のところは全敗である――という悲しい話は置いておいて。


 ――……どうしたのかしら。昨日の今日だし、いつも以上に突っかかってきそうなのに。


 平和に過ごせるのは結構だけど、なんだか気味が悪い。

 どう考えても昨夜は逆鱗に触れたはずなのに、なにもしてこないロザリーとは思えなかった。


 ――なにか企んでいるとしか思えないんだけど。


 ロザリーだけがいないなら、祭典やら儀式やらで留守にしているということもありうる。

 彼女は上位の聖女なので、神殿の顔になる役目を任されることが多いのだ。

 国も民も、やっぱり並の神の聖女より、力ある神の聖女をありがたがるもの。

 アマルダやリディアーヌも、神殿を出て仕事をしていることが少なくない――のだけど。


 ――取り巻きまでいないのは、絶対におかしいでしょう!


 ロザリーの取り巻きは、私よりは少し上、という程度の下位の聖女。

 神殿全体で行う催し物ならさておき、外に出る仕事はほとんどないはずだ。


 ――嫌がらせの策でも練っているの? まさか、またアマルダでもけしかける気?


「……やりかねないわ」


 思わず一人呟いて、私はぞっと体を抱く。

 考えたくはないけど、リディアーヌをどうにかしたいなら、アマルダはかなり有効な手段だ。


 ――リディアーヌに気を付けるように言っておかないと。どうせ、午後に会う約束をしているのだし。そのときにでも。

 

 この、「午後の約束」というのは、昨夜の別れ際に交わしたものだ。


『今日の借りは必ず返すわ! 明日の午後、一人で神殿の外れにあるテラスに来なさい。絶対に逃げるんじゃないわ!』


 と、いかにも悪役の呼び出しのようなことを言われたけれど、どうせリディアーヌのことだ。

 お礼だとかお詫びだとか、そういうつもりで呼んでくれたのだと思う。


 ――そんなこと、しなくてもいいのに。


 律儀すぎる彼女のことを思い出し、私はついつい苦笑を浮かべる。

 この苦笑の内訳は、素直でない彼女への呆れ半分、なにをするのかという期待半分――そして、一抹の不安である。


 ――あの子のことだし、悪いことはしないと思うけど。


 なにせあのツンツンのリディアーヌである。

 まじめすぎるというか、不器用というか。

 なんだか手加減を知らなさそうなあたり、私の思いもよらぬなにかを――――。






 しでかした。


 豊かな緑に囲まれた、神殿外れの静かなテラス。

 穏やかな午睡の風が吹く中。


 テラスを埋め尽くすような、尋常ではない量の菓子の山を前に、私は唖然と立ち尽くすほかになかった。

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