5話

「――本当に、たいした話はしていないんですよ」


 とにかく、まずはいったん落ち着こう、と仕切り直した部屋の中。

 天然ぽやぽや無自覚神は、相も変わらずおっとりとした調子で私に紅茶を差し出した。


「いろいろな方が集まってくれましたが、今後の生活はどうするとか、住む場所はどうするとか、そんなことばっかりで」


 そう言いながら自分の分の紅茶を淹れると、彼はテーブルを挟んだ向かい側に腰かける。

 そのまま細い指で紅茶のカップを掴んで一口飲むと、彼は『一息ついた』とでも言いたげに、ほっと息を吐き出した。


「言われてみれば、今の姿でこの部屋は狭いかもしれませんね。それで、心配をしてきてくれたのでしょう」


 なるほどたしかに。

 これまでの黒くてまるんとした姿ならともかく、大の大人が暮らすには、この部屋は少しどころではなく狭すぎる。

 それで今後の生活をどうしようかと、序列二位のアドラシオン様をはじめ、多くの神々が集まり、あんな神妙な空気で話し合いをしていた――と。


 ……。

 …………。


 そんなわけあるかーい!


「神様一人のために、あんなにたくさんの神々が集まったんですか!? 住む場所を話し合うために!?」


 ほっとすることもできず、一息つくこともできないままに、私はついつい声を荒げてしまった。

 そんな馬鹿な。ただでさえめったに人前に出ない神様たちが、あれだけ重苦しい空気で話し合っている内容がそれ!?

 ありえない! と首を振る私に、しかし神様は動じない。

 困ったように頭を掻くと、ぷるんと震える代わりに、美貌をくしゃりと笑みの形に歪ませた。


「ええ。みんな親切で。アドラシオンなど、自分の住む場所を差し出すとも言ってくれたのですが――」

「自分の住む場所を!? アドラシオン様が!?」

「でも、断ってしまいました」

「断った!?」


 もはやどこに驚けばいいのかすらもわからない。

 まるっきりのんきな神様を前に、私は頭を抱えることしかできなかった。


 ――だって、アドラシオン様って序列二位の神様よ!? そんな偉い方が、どうして神様に!! しかも断ったって!!!!


「そんないい話を、どうして断ったんですか! い、いえ、大それた話過ぎて断る気持ちはよくわかるんですけど!」


 実際、私だってアドラシオン様から『屋敷をやる』と言われて素直に頷く自信はない。

 恐れ多すぎるし、なによりそんなことをしたら神殿が黙っていないだろう。

 あとあと、絶対にめんどうなことになるに決まっているのだ。


「それでも、部屋の一つを借りるとかすればよかったんじゃないですか!? せっかくのお話なのに!」

「そうですね」


 必死の私に、神様が苦笑する。

 それから彼は、ゆるりと首を横に振った。


「ですが、ここが気に入っているんです。……この部屋は、せっかくエレノアさんが整えてくださった場所ですから」


 やわらかい彼の言葉に、私は思わず言葉を詰まらせる。

 そう言われてしまえば、それはもちろん悪い気はしない。

 あの汚れた部屋をきれいにするまで、さんざん苦労してきたし――。


 なにより、これまでずっと、私はここで神様と暮らしてきたのだ。

 朝と夜だけ日の差す窓の前。日向ぼっこをする神様。

 少したてつけの悪い扉を開けて、心地よさそうに震える彼の姿を見るのが私の日課だった。


 はじめは嫌々、だけどいつの間にか、当たり前のようにこの部屋に通っていた。

 神殿の外れ、神官さえも訪れない忘れ去られたような場所。

 狭くて暗い日陰の部屋だとしても――私には、ここはいつでも穏やかで、ほっとする場所だった。


 ――神様。


 知らず、私は抱えた頭を持ち上げていた。

 もっといい部屋に移れたのに、ここを気に入り、残ってくれると決めた神様が嬉しくて、何か言おうと口を開きかけ――。


「それに」


 微笑みのまま告げる神様の声に、言いかけた言葉を呑みこんだ。

 表情は変わっていないのに、なぜだか寒気がする。


「私の処遇は人間たちに任せていますから」


 声は静かで、穏やかで、底知れないほど落ち着いていた。

 深まる笑みに、感情が見られない。

 ただ、形としてだけ張り付く彼の笑みは――。


「神が与えるものには意味がありません。――すべては、人間たちで決めることです」


 冷たい。

 そうとしか言いようがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る