4話 ※ヨラン視点

「グランヴェリテ様の聖女に、なんて無礼な!」

「貴様、神殿兵のくせして最高神のご意向に逆らうつもりか!?」

「これは神の思し召しだ! 貴様ごとき思いも至らない深慮遠謀があるのだぞ!!」


 神官たちが声を荒げていきり立つ。

 ヨランを取り囲む兵たちは、明確に目の色を変えていた。


 ヨランは反射的に、周囲に視線を巡らせる。

 前には兵が十数人。扉は後ろ。エレノアを警戒していたため、すぐ背後に兵が二人立っている。


 腕の下には、ぎくりと身を強張らせるエレノア。

 怯えてはいるが、折れてはいない。相変わらずかわいげのない、諦めの悪い目で逃げ道を探している。


 正面の神官たちは、数に数えなくていいだろう。

 どれも老齢の幹部で、この場では声を荒げる以外になにもできない。


 それから――――。


「ヨラン……」


 天上では、アマルダがよろりと足を引いていた。


「今の言葉……本気で……? ノアちゃんが助けたなんて……だってノアちゃんは、自分で穢れをばらまいたのよ……?」


 澄んだ青い目が、傷ついたように見開かれる。

 ヨランの言葉を受け入れられないと言いたげに、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「私たちはそれを止めるために、みんなを守るために裁判を開くのよ……? グランヴェリテ様のご意向なのよ……? 私だって、本当は今すぐ傷つくみんなを助けたいのに……悔しく、悔しくてどうしようもないのに……!!」


 彼女が口にするのは、胸を裂くような悲痛な叫びだった。

 悔しさに、握りしめられた手が震えている。声は震え、唇はわななき、ヨランを映す瞳は揺れている。


「そんな悔しさをわかって、ノアちゃんはあなたを助けたんだわ。私たちを悪者にするために……あなたに、私たちが『なにもしなかった』と思わせるために……!」


 気づいて、とアマルダは切実に訴える。

 わずかな希望を込めた、振り絞るような声が法廷に響き渡る。


「気づいて、ヨラン……! 私を信じて、騙されないで! ノアちゃんよりも、私とずっと一緒にいたじゃない!!」


 同時に、兵たちの動く気配がした。

 剣を握り、距離を詰めながらこちらを窺っている。


 アマルダの下では、神官が兵たちに向けてなにか合図を出すのが見えた。

 合図の内容は想像がつく。

 おそらく、アマルダが下すことのできない命令を下そうというのだろう。


「なにが正しいのか、もう一度よく考えて! あなたは、神に仕える神殿兵でしょう!? だったら、ここにグランヴェリテ様がいる意味がわかるはずだわ! どうして最高神のグランヴェリテ様が、私たちと一緒にいるのか……!!」


 周囲の変化には気づかず、アマルダは傍らの最高神グランヴェリテに縋りつく。

 己の腕に巻き付くアマルダの手を、最高神は拒まない。

 無言のまま受け入れるのは、彼女が聖女であるなによりの証だ。


 最高神の支えを力に、アマルダは必死に声を張り上げた。


「ヨラン、考え直して! あなたは今、正義を裏切ろうとしているのよ!!」


 痛ましいアマルダの声が、耳の奥でこだまする。

 兵たちが身構える。神官が油断なくヨランを見据えている。


 予感がしていた。

 これがきっと、後戻りできる最後の機会だ。


 ――――正義。


 アマルダの言葉を、ヨランは頭の中で繰り返す。


 ヨランにもわかっている。最高神とは、絶対の正義。

 間違えるはずがない。過ちを犯すはずがない。


 最高神がこの場にいる意味は、アマルダたちの肯定。

 彼らは、神に認められた『正義』だ。

 迷う理由はない。悩む余地すらない。『正しい』のは、明らかに彼らの方だ。


 ――いや。


 カチン、と胸に刺した二つの徽章きしょうが音を立てる。

 だけどオルガなら――――なんと言っただろう。






『――――お前が、自分で考えるんだよ、ヨラン』


 あの男なら、きっと笑いながら言うはずだ。

 巨体に似合わぬ穏やかな笑みで、信頼を込めて。


 できるはずだ。大丈夫、と。

 だって――。


『お前はずっと、俺の友達でいてくれたんだから』




 逡巡はほんの一瞬。

 ためらいは数秒。

 沈黙したヨランにしびれを切らし、神官が合図を出したのは、その一瞬の間のこと。


「俺の正義は――」


 合図に動き出す兵と、ヨランが動いたのはほとんど同時だった。


「――――俺が、自分で決めます!!」


 エレノアの肩から腕を離し、彼女を狙う背後の兵に視線を向ける。

 剣を抜くより、ヨランの腕の方が近い。両足で地面を固く踏むと、持ち上げた腕の肘で、そのまま兵のこめかみをきつく打つ。


 突き刺すような足の痛みは、奥歯を噛んで噛み殺す。痛みに一瞬目の前が眩むが、すぐに反対の手で剣を抜く。

 背後では、もう一人の兵が大振りに剣を振り上げている。

 ヨランは腰を落とすと、隙だらけの兵のみぞおちを、抜き際の剣の柄で突き上げた。


「ヨラン!!!!」


 昏倒し、倒れる二人の兵を見て、天上からアマルダが悲鳴を上げる。

 神官たちが怒声を吐き、神殿兵の仲間たちが、今は明らかな敵意を向けて剣を抜く。

 ぎょっと驚くエレノアを背後にかばえば、アマルダがくしゃりと表情を歪めた。


「ヨラン、なにをしているかわかっているの……!? あなたは神殿兵なのに、グランヴェリテ様に――神々に逆らうつもりなの!?」


 ヨランはもう一度だけ、再びアマルダに視線を向ける。

 最高神の聖女。理想の聖女。正義だと信じていた相手。


 だけど今は――。


「俺は神殿兵です」


 押し殺した声を口にして、ヨランは剣を握り直す。

 視線はアマルダから逸らし、周囲の兵たちを窺い見る。


「神と聖女に、剣を捧げた兵です」


 扉は後ろ。背後の兵は片付けた。

 残りの兵は十数人。剣の腕には自信があるが、片足の利かない状態でどれほど持つだろうか。


 あるいはここが、彼に与えられた運命の場所なのかもしれない。


 そうだとしても、後悔はなかった。

 胸に二つの徽章が光る。誇り高き、神に仕える神殿兵の証。


「ならば、この剣は――――」


 頭上では、アマルダがまだ叫んでいる。

 誰か、ヨランを正気に戻して。ノアちゃん、ヨランになにを吹き込んだの。いつも私を悪者にして、ひどいわ――――。


 背中では、嘆くアマルダとは対照的に、エレノアが泣きもせずに唇を噛んでいる。

 怯えているくせに、涙ひとつ流さない。嘆きも縋りもしない。

 それでいて諦めもしない彼女を背に、ヨランは大きく息を吸う。


 なにが正しいのかは、今もまだわからない。

 アマルダが最高神の聖女であるのは事実。エレノアが無実である証拠があるわけでもない。結局、すべてアマルダが正しいのかもしれない。


 だけど迷いはなかった。

 ヨランは、神と聖女を守る神殿兵だ。


「――――この剣は、無能神の聖女エレノア・クラディールを守るためにある!!」


 魔力もない。力もない。ガサツで口が悪くて生意気で、少しも可愛げがない。

 理想とはほど遠い聖女のために、今はためらわず剣を捧げられる。

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