19話

 神殿内における下位の聖女の立場は、基本的に神官よりも低い。

 その上私は、神殿内最下位の無能神の聖女――の、代理。

 神官様の中でもさらに身分が上の高位神官様になどとても逆らえるはずはなく、追加十枚の反省文を謹んで受け取る他にないのである。


 そういうわけで、悔しさを噛み締める私の前に差し出されたのは、十枚の白紙の紙と、朝食だった。

 様子見のついでに持ってきたと言うのだから、高位神官のくせに意外にまめな男である。


「食事くらい、自分で取りに行くわよ」


 目の前に置かれた食事を前に、私は不信感を全開にレナルドを見上げた。

 反省部屋で謹慎中――とはいえ、別に私は部屋の中に監禁されているわけではない。

 謹慎は謹慎なので外出こそできないが、この建物の中であれば、わりと自由に歩き回ることを許されている。

 それなのにわざわざ食事を持ってくるなんて――――。


 ――……まさか毒でも仕込んでいるんじゃないでしょうね?


 などと恐ろしく失礼なことを考える私に、レナルドは心底面倒くさそうな顔をする。


「様子見って言ったはずだ。昨日は部屋の明かりが消えてなかったし、一晩中起きてただろ、お前。この調子じゃ食事を取りに来るかもわからなかったからな」

「む……」


 反論の言葉がなく、私はむっと口ごもる。

 レナルドの言ったことは間違いない。どうにかして反省文を終わらせようと、昨日はほとんど寝ずに紙に向き合っていた。

 食事についても、レナルドが持ってくるまで忘れていたくらいだ。


「今お前に倒れられたら、俺の責任になるんだよ。ただでさえピリピリしているときに、下手に問題を増やさないでくれよ」

「……だったら謹慎なんてさせなければいいのに」

「ああ?」


 もろっと口から出た本音を聞いて、レナルドの顔が不快そうに歪む。

 またしても反省文を増やそうと白紙を手にする彼に一瞬怯むが、しかし黙ってはいられなかった。

 そもそも、どうして私が無茶をしているのかと言えば、このレナルドのせいなのだ。


「謹慎中でも、聖女が神様のお世話をするのは認められるはずでしょう? 外出を許可してくれれば、無茶して反省文を仕上げようとは思わないわよ!」

「誰が許可するか。『無能神』の世話なんて、嘘に決まってるだろうが!」


 ぎっと顔を突き合わせ、言い争うのは――昨晩、謹慎が決まった際にも話し合ったことだ。

 神様のお世話をするのが聖女の仕事。謹慎中でも、それは変わらない。

 たとえ反省部屋に入れられようと、日中は神様のお住まいに出向くのが暗黙の決まりだった。


 だというのに――――。


「どうせ口実で、また『原因探し』とやらをするつもりだろう! 嘘ならもっとましな嘘を吐け!」

「嘘じゃないわ! 少し顔を出して、お食事を届けるだけでいいのよ!? 私が急に来なくなったら、神様だってきっと心配されるわ!!」

「お前、無能神の姿も見たことないな!? 食事? 心配? あの黒い泥の塊が!?」


 偽聖女が、とレナルドは軽蔑するように吐き捨てる。

 無能神はなんの能力もない存在。言葉を理解せず、知恵を持たず、ただ蠢き続ける醜いもの――というのが、世間の常識だ。

 蔑ろにしても罰は当たらず、神官はもちろん、聖女すらも見向きもしない。

 これまで選ばれた聖女もみな、『心を込めてお世話をした』と偽って、神様の部屋の掃除さえもしなかった。


 正規に選ばれた聖女ですらこうなのだから、代理で選ばれた私ならなおさら。

 世話をするどころか、姿すらも見たことはないだろう――とレナルドは思っているのだ。


「一度でも姿を見れば、世話なんてできる相手じゃないとわかるだろうが! これだから聖女ってのはどいつもこいつも!」

「そんなことないわ! ご飯だってちゃんと食べるし、お姿も――今は変わっていらっしゃるって、昨日から何度も言ってるじゃない!」


 悩み抜いた神官への報告も、こうなってしまっては隠せない。

 神様の健康が第一と、姿が変わったことを私はレナルドに告げていた。

 だけど、レナルドの反応はますます冷たくなるばかりだ。

 ただでさえ聖女嫌いで知られている彼は、一層の嫌悪感を込めて私を睨みつける。


「妄想を聞いている暇はねえんだよ。俺は忙しいんだってのに!」

「妄想じゃないわよ!」


 勢い任せに立ち上がると、私はレナルドの巨漢を睨みつけた。

 レナルドも苛立ったように私を見下ろして、肉に埋もれた目元を歪める。

 そのまま睨み合うこと、少し。

 一触即発の険悪な空気を破ったのは――――荒々しく扉を開く音だった。


「――レナルド様! お忙しいところすみません!」


 叫ぶような声とともに部屋に飛び込んでくるのは、若い一人の神殿兵だ。

 驚く私の目の前。彼はレナルドに駆け寄ると、血相を変えた顔でこう告げた。


「また穢れが出ました! 今度は複数! 現在、マティアス様がソワレ様をお連れして対応に当たっています!!」

「ちっ……仕方ねえ。案内しろ!」

「はっ!」


 頷く兵を促して、レナルドは私に背中を向ける。

 そのまま立ち去ろうとする彼の巨大な背に、私は慌てて声を上げた。


「ま、待ちなさい! 穢れ? それにソワレ様って!?」


 私の話も終わっていないけれど、それより問題はソワレ様の方だ。

 昨日の今日で穢れを引き受けて、無事に済むとは思えない!


「あの状況のソワレ様に、また無茶をさせるつもり!? そんなことしたら、ソワレ様が――」

「誰があんなボロボロの神に頼るかよ」


 はん、と鼻で笑い、レナルドは私に顔を向けた。

 そのあまりに歪んだ笑みに、私は続く言葉を呑み込んでしまう。


 思わず立ち尽くし、目を見開く私の目の前。

 神をも恐れぬ傲慢な男は、私に太い指を突きつけて、どこまでも不遜にこう言った。


「こっちは人間様だ。見てろよ? 神の力なんざ頼らなくたって、穢れなんてどうとでもできるんだよ」

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