第389話 理解のある彼くん

「なるほど、ローゼンロットにですか。この時期に……大変ですね」


 その日の夜、結局グリムナとヒッテはアムネスティとミシティの包囲網を突破することは出来ず、彼女の家に泊まる流れとなった。


 全員で食卓を囲み、食事をごちそうになっている。ちっちゃいグリムナは居間にあるゆりかごですやすやと眠っている。あの騒がしい女の息子とは思えないおとなしさだ。


 グリムナの向かいに座っているのは茶色い髪の青年、彼はこの家の家主であり、そしてなんとあのアムネスティの夫である。


 にこやかに話す青年、リカウスにグリムナは笑顔で当たり障りのない返事をする。なんとも言えない緊張感が居間を包んでいるが、しかしそれはヒッテとグリムナだけで、アムネスティ達はにこやかに話している。


 嵐の前の静けさだろうか。


 横に座っているヒッテがちょいちょいとグリムナの肩を叩いて小さな声で囁く。


「なんか……思ったよりずっと普通の人ですね……あのアムネスティさんの旦那さんってことでどんなキワモノが出てくるかと思いましたが」


「聞こえてるわよ、ヒッテちゃん」


 にこやかな笑みを崩さずにそう言うアムネスティにヒッテはビクリと体を震わせる。リカウスは「ハハハ」とにこやかに笑っている。


「しかし長男のグリムナがあなたの名前からとったとは知りませんでした。奇妙な縁ですね」


 リカウスは笑顔を崩さずにそう言った。早速センシティブな話題に入ってしまった。グリムナは思わず言い訳するように言葉を発する。


「あ! いや! 決して私とアムネスティさんの間に何かあったとかではなくて、その……袖振り合うも他生の縁というか、一期一会と言うか、そういう縁を大事にするという意味で、つけられたのだと……」


「ハハハ、別に二人の仲を勘ぐっているわけではありませんよ。ただ、不思議な縁だと思っただけです。以前のアムネスティは、男性に対して攻撃的でしたからね……その彼女に、子供に名前を付けるほどの影響を与えた人物、というのは興味がありますが」


 屈託のない笑顔。まさしくその言葉がぴたりと当てはまるようであった。居心地の悪さは感じるものの、しかし裏があるようには見えない。


 妻が突然何の予告も無しに連れてきた不審な男、それをにこやかに家に受け入れて、何一つ不満そうな顔を見せることもない。だからといってアムネスティに尻に敷かれ、恐怖に支配されている、という感じでもない。懐が見えない。


「やめてよリカウス、昔の話は恥ずかしいわ」


 夫の言葉にアムネスティもやはり笑顔で返す。笑って話せるレベルの過去でもない気がするが。


「たしかに、昔の私はナイフみたいに尖ってて、触れるもの皆傷つけてたわ。でもね……」


 チェッカーズかお前は。


「理解のある彼に支えられて、こうやって幸せを手に入れることができたわ……」


 ぞくり。


 ヒッテとグリムナの背筋に悪寒が走った。


 そう。二人は居合わせていなかったので当然知らないが、以前レイティがアムネスティを訪ねてきたときに話していた『理解のある彼くん』……それが彼、リカウスその人である。確かにここまでの会話でもその『理解力』は片鱗を見せているように感じられた。


 ヒッテは椅子から立ち上がってグリムナの腕を引いて部屋の隅に連れて行き、小さい声で囁く。


「ど、どう思います、グリムナさん……」

「どうって……そんなうまい話があるのかよ、って思うけど……」

「そこですよ! 他の女ならともかく、よりにもよってあのアムネスティに男ができるなんて怪しすぎます! きっと何が裏があると思います」

「それは……俺もうすうすそんな気はしてるけど……何かとんでもない爆弾隠してそうな……例えば……」


 グリムナはちらりと2人を見る。二人はヒッテとグリムナの態度を気にすることもなく、にこやかに何か話している。ミシティは夢中で麦粥を食べている。


「俺はあの男、多分ホモだと思う。これまでのパターンからして」

「奇遇ですね。ヒッテもホモだと思います」

「賭けが成立しないな……」


 二人は無言でアムネスティ達を見る、が、ここでこうしていても何か答えが出るわけではない。仕方なく、不穏な雰囲気は感じるものの、おとなしく席に戻って食事を続ける。


「ところでどんな御用でローゼンロットに? こんな危険な状況で」


「ああ、実は……その……」


 どう説明したらいいものか。別に隠すことはないのだが、竜の復活を阻止するために大司教に助力を仰ぎに行く、などいきなり話されても荒唐無稽すぎて理解してもらえるはずがない。


「その、ですね……この国に限らず、大陸中で不穏な動きがあり、民はみな、動揺しています。このままでは、本当に竜が……」


 話し始めたものの、簡単に一言で説明できる話ではない。全て話せばとんでもなく長くなる。どう言ったらいいか、グリムナは言葉に詰まってしまう。

 一方リカウスは真面目な顔になって言葉を発した。


「なるほど、言い伝えでは民が絶望するとその心に呼応して竜が現れると言いますからね。このままでは本当に竜が現れてしまう。それを阻止するために、ローゼンロットに行って、教会の助力を得ようと?」


「え……?」


 グリムナは驚愕した。今の説明でそこまで理解したというのか。まさしく一を聞いて十を知る、である。


「難しい交渉になるでしょうね。大司教様は教会の長ではありますが、むしろ今のこの世界を疎ましく思っているように感じられることがあります。協力が得られるかどうか……」


「えぁ?」


 リカウスの言葉にグリムナが変な声を上げてしまう。確かに以前グリムナは大司教とあった時、彼が同性愛者で、同性愛者を差別する教会を憎んでいることを聞いているが、それは秘中の秘のはずである。一介の村人がそれを知るはずもない。


 まさか、会ったこともない大司教の振舞いから、それを感じ取ったとでもいうのか。リカウスは驚愕しているグリムナの同意を求めることなく話を続ける。


「人は罪を犯すものです。そして生きていく限りそれは続きます。肝要なのは、それを許せるかどうかです」


「で、でも……許されない罪とかもありますよね。例えば……殺人とか」


 ヒッテは思わず口を挟んだ。罪を罰するのではなく『許す』……それはグリムナの考え方に近いものを感じたが、とにかく、何かしゃべらなければ耐えられない空気があった。


「もし、リカウスさんの近しい人、たとえば、家族が誰かに殺されたとしても、同じことが言えますか?」


 ヒッテは自分の言葉に少し表情が暗くなった。実際、彼女は目の前で母を失っているし、もし今、グリムナが誰かに殺されたとしたら、きっと冷静ではいられない。


 しかしリカウスはにこやかな笑顔を崩すことなく話を続ける。


「そうですね……例えば、私には仲の良い弟がいました。彼は死んでしまいましたが、たとえ復讐したとしても、彼が戻ることはない。ならば、やはり許すことが大切だと思いますよ……?」


「弟さんが……すいません。辛いことを思い出させてしまって」


 ヒッテが申し訳なさそうな表情でそう謝るが、しかしリカウスは笑顔で「お気にせず」と彼女を慰めた。


「私の弟、ローゼンロットで衛兵をしていたのですが、あの、五年前のどさくさで亡くなってしまったのです」


 リカウスは少し遠くを見つめるような視線で話を続ける。


「名を……アヌシュといいました」

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