第330話 歩く姿は百合の花
おぼろげな意識の中、ヒッテは自分の身体が誰かに抱きかかえられていることに気付いた。
もうすぐ陽が傾き始める。
ほんの少し肌寒い秋風の吹く山間の小さい村。朦朧としてまとまらない思考の中で、ヒッテは暖かい胸に抱かれて、傭兵どもに襲われている最中だというのに、奇妙な安心感を覚えていた。
(誰だろう……この人……安心する……)
「グリムナ……私の事、覚えてるの!?」
鼻血をふき取りながらフィーが問いかける。グリムナは少し困ったような、微妙に歪ませた表情を見せた。
「いや……咄嗟の事で、なんとなくそんな名前の様な……そんな気がして……」
「え……? じゃあつまり、完全に記憶が戻ったわけじゃないのに、私の名前を思い出したっていう事……? つまり……」
フィーの灰色の脳細胞が動き始める。
(つまり、私がヒロインの目がある、っていうこと!)
ない。
ないが、グリムナはじっとフィーの顔を見つめる。
(俺は……こいつの事をよく知っている。俺はこいつと一緒に旅をしていたような……こいつは、俺の仲間……?)
フィーがにへら、と、締まりのない笑顔を見せる。
(いや、敵? なんだろう? 味方の様な敵の様な……こいつの顔見てると、なんか知らんけどすごいイラついてくる……)
「そ、そんなことより!」
フィーが何かに気付いて叫ぶ。
「その子! ヒッテちゃんがオーガに背中を叩かれて怪我をしてるから、治してあげて!!」
「ヒッテ?」
グリムナは慌てて自分の腕の中で気を失っている少女の顔を見る。「この子は……」と言いかけてグリムナは思わず息をのんだ。
あの少女だ……アンキリキリウムで出会った不思議な少女。今の今まで気づかなかった。グリムナの胸の内を、かつてないほどにかき乱したヒッテという少女。その少女が今、グリムナの腕の中にいたのだ。
――――――――――――――――
少し、時間は巻き戻って。
グリムナとラーラマリアが家を出た直後、ちょうど傭兵達がその『作戦』を実行に移したころになる。
「ねぇ、レニオ……いいでしょう?」
「ちょ、ちょっと……本気? シルミラ……二人がいつ帰ってくるかもわからないのに……」
「んふふ……そう言うのもスリルがあっていい、って思ってるくせに……」
そう言いながらシルミラがレニオの首筋にキスをした。レニオはくすぐったそうに身をよじる。
そう。
溜まっているのだ。
二人はまだ結婚して3年ほど。
まだ新婚と言って差し支えない時期である。
それが、一か月もの間ニートを二匹も家に飼っていたために、夜の営みが全くできなかったのである。レニオは元々性欲の強いタイプではないのだが、しかしそれでもここ一か月どころは性行為どころか二人の視線が気になっていちゃつくこともろくにできなかった。
溜まっているのだ。
二人は、それまでの埋められなかった心と肉体の隙間を埋めるように激しく愛し……あったりはせず、しばらくぎゅっと抱きしめ合っていた。
レニオは、話し方からも分かる通り、性自認が女性のトランスジェンダーである。少し前までは恋愛対象は男性、つまりトランスジェンダーの異性愛者だと自分でも思っていたのだが、シルミラと親しく接しているうちに、トランスジェンダーのパンセクシャルだということが判明し、二人は結婚した。
パンセクシャルとは、バイセクシャルと非常に近い言葉であるが、バイセクシャルが相手の性別の男女どちらでも性嗜好の対象となるのに対し、パンセクシャルは、そもそも相手の性別自体を問わない、という意味である。
「同じじゃねーか」と思う方も多いだろうし、実際作者もそう思うが、違うのだ。
現在LGBTのセクシャルマイノリティは細分化され、LGBTTQQIAAPとなっている。長すぎてクーポンコードの様になってしまっているが、一部の人やコミュニティにおいてはさらに細かく数十に分けられることもある。
対して妻であるシルミラは。一見性自認が女性で、性的嗜好が異性愛者のストレートのように見えるが、少し違う。
彼女は
とにかく、レニオは性自認が女性としての立ち位置で女性を愛しているので、性行為に対して肉体的快楽よりも精神的充足性を求める傾向があり、比較的ソフトないちゃつきがこの家の中で展開されていると理解していただきたい。
(人の気配がしない……)
傭兵団のボス、眼帯の男のノルディンは家の木戸の隙間から中の様子をうかがう。
(おかしいな……中にも人がいない。ラーラマリアの奴も見世物を見に外に出たのか? それともやっぱりこの村にはもういないのか……?)
奴の目当てはもちろん、ラーラマリアと聖剣エメラルドソードである。外にラーラマリアがいないので家にいるのでは? と様子を伺いに来たのだ。
ノルディンが静かに入口のドアを押すと、抵抗なくゆっくりとドアは開いた。
(鍵がかかっていない……やはり中にいるのか……?)
ノルディンは慎重に、音を立てないように家の中に入っていく。
……感じる。やはり誰かいる。人の気配がする。音、匂い、触覚による微妙な重心の揺らぎ。一つ一つでは気付くことのできない、うまく言語化できない、そういった存在知覚の積み重ねを『気配』と呼ぶ。
ノルディンは気配を感じる奥の部屋にゆっくりと近づく。抜き足、差し足、忍び足。いるのは噂の金髪の長身の女、ラーラマリアだろうか。もしもそうならば、油断しているところを一気に決めたい。異常に腕のたつ女だということは聞いている。
しかしノルディンは近づくにつれ、その雰囲気の異常さに気付いた。
「んっ……あ……♡」
(喘ぎ声……?)
かなり小さい、押し殺した声ではあるものの、聞こえてくるのは確かに嬌声。外では虐殺が行われているというのに、いったい何を暢気にしているというのか。
これにノルディンはニヤリ、と笑みを浮かべた。スケベ心からではない。事を為している最中ならば始末するのは格段に楽になる。ラーラマリアが
首尾よく音もたてずにドアの前にまで移動したノルディンは隙間から中の様子を窺う。喘ぎ声はまだ聞こえる。こちらには気づいていないはずだ。
「ちょっ……シルミラ……いじわるしないでよ……フフ……」
「そんなこと言って、こういうのが興奮するんでしょ……?」
赤毛の女性が、柔らかいアッシュブラウンの髪の儚げな美少女を組み敷き、仰向けの状態で両手首を頭の上で掴んで拘束していた。
「まったく……ドMなんだから♡」
「あっ……♡」
拘束された少女は首筋をくすぐるようにキスをされ、頬を赤く染めていた。トロンとした目つき、恍惚の表情がなんとも艶めかしい。
本来ならばこの時点でノルディンは別の場所にラーラマリアを探しに行くべきであった。身体的特徴から言ってこの二人は、確実にラーラマリアではないのだから。
しかし、できなかった。
動くことができなかったのだ。
(なんだと……噂には聞いていたが……まさか実在するとは……)
ノルディンの首筋を汗が伝った。目を離すことができない。
目を離したら、自分の心までも放してしまいそうだったから。
(百合……ッ!! 実在していたなんて……ッ!!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます