第209話 がちキャン△
ごっごっごっ、と喉を鳴らし嚥下する音が聞こえる。水無き砂漠の真ん中には似つかわしくない音であるが、しかし銀髪の小柄な美しい少女はソーセージの様な円筒状の中の液体を飲み干し、口の端から黄色い汁をほんの少しだけ垂らした。
「ゲホッ、ゴボ、ゴホッ……ぺっぺっ、えぶ……ウェッ……」
その美しい顔に似つかわしくない咳き込み。グリムナ、ヒッテ、バッソーはそれを見て眉をひそめる。無作法な咳に気分を害しての事ではない。これがすぐ未来の自分たちの姿であると知っているからだ。
「さあ、次は皆さんの番ですよ……水筒の水はもうない。これは『生きるため』です……」
にやり、と笑みを見せてベアリスがみなの方に振り向く。しかしグリムナ達は気が進まない。当然である。いくら飲み水のない極限状態の砂漠の真ん中とはいえ、蛇の皮の中にためておいた自分の尿を水分補給のために飲むなど正気の沙汰ではない。それが『必要』と分かっていてもなかなか踏み切れないのだ。しかし今求められるのは『命を守る行動』である。ベアリスは彼らのためらいを理解しつつも、それを許さない。
「ターヤ王国の時期女王として命じます。命を守るため、飲むのです」
上意である。
グリムナは決意した。ベアリスは伊達や酔狂でこんなことを言っているのではない。全ては命を守るため、みなの命を大切に思っているからこその言動なのだ。ましてや王女自らそれを目の前で実践して見せた。ここで二の足を踏んでは男がすたる。グリムナは決意し、ヘビの結び目をほどいて口に当て、一気に中の液体を流し込む。
「うぶ……ぐむ……」
小さいうめき声をあげながら尿を嚥下する。
「ぶぉほっ!!」
半分を少し過ぎたころ、グリムナは思わずむせ返って、噴き出してしまった。
「きゃあっ、汚い!!」
ヒッテが思わず悲鳴を上げる。上を向いて嚥下している最中に噴き出したので、噴水の如く辺りに尿がまき散らされたのであった。当然グリムナは皮の中に残っていた『それ』をもろに浴びてしまった。半端な覚悟はかえって被害を拡大させるというよい例である。
余談ではあるが、同時期、フィーは町でワインとカスタードプディングを堪能していた。
まだ咳き込んでいるグリムナと、未だ覚悟を決めきれないバッソー、ヒッテを置いておいて、ベアリスは岩陰の隅の方に移動しようとする。
「ベアリス様? どうしたんですか?」
「いや~、えへへ、脱水症状になるともっと出るものも出ないかと思いがちですけど、意外とそうでもないんですよね……ちょっとまた蛇の皮に聖水を詰めてくるんで、ちょっと離れててくれますか?」
尿意である。
グリムナはハァ、と小さいため息をついてからまだ四苦八苦しているヒッテとバッソーの元に戻っていったが、しばらくしてからベアリスの呼ぶ声が聞こえた。
「グリムナさん、グリムナさん、これ何かわかりますか?」
「何って……ただの土ですよね?」
ベアリスが指し示した地面をマジマジと見ながらグリムナが呟く。岩陰の端の方の地面に少し色の変わった場所があった。しかし、何か微妙に水気を感じるような、そんな気がした。グリムナが訳が分からずボーっと地面を見ていると、何やらキラキラと目を輝かせながらベアリスが口を開いた。
「いや~、私も初めて見ました。我が目を疑いましたよ……」
「俺は自分の尿をがぶ飲みする一国の王女の方が我が目を疑いましたけど……」
グリムナのツッコミを気にすることもなくベアリスは足を色の変わっている土の上に一歩差し出し、そのまま足に体重をかけていくと、一見普通の地面だと思われた土の中に、落とし穴に落ちるかのようにズボッと腰まで沈んでしまった。
「おわあ!! ベアリス様が地面に飲み込まれた!!」
急に大声を出したグリムナに驚いてバッソーとヒッテも寄ってきた。
「なんです、何が起きたんですか!? あ? ベアリス様!?」
「な、なんじゃあこりゃ? 穴?」
ヒッテとバッソーも同様に地面に埋まっているベアリスに驚いているが、しかし当のベアリスは平気な顔をしている。
「これはですね、流砂です」
「りゅ、流砂? 流砂ってもっと、アリジゴクみたいにさらさらしてるのかと思ってましたが」
「ここは砂漠ですが、高山地帯でもあるので、当然地下に水脈もあります。時折そういったものが地上に湧き出てくるんですね。流砂の正体、それはこの、泥です」
そういうとベアリスは目の前の土を救って見せた。確かに水分を多く含んだ泥に見える。ベアリスが入る前、外側からの見た目では普通の土にしか見えなかったが、なんとも不思議な感覚である。グリムナも、不思議そうな表情でそれを見ている。
「へえ、そういうもんなんですね。ちょっと本で読んでイメージしてたのとは違うなあ。もっとこう、もがけばもがくほど地中深くに飲み込まれていって、一度入ったら二度と出てこられないような、そんなもんだと思ってました」
「いや、もがけばもがくほど飲み込まれていくのは本当ですよ? ホラ、こうやって暴れてみるとどんどん沈んでいくでしょう?」
そう言いながらベアリスがもぞもぞと泥の中で動こうとするとみるみるうちに体が沈んでいき、あっという間に胸のあたりまで吸い込まれてしまった。
「ちょっ!? 何してるんですか!! ベアリス様! 手を掴んで!!」
慌ててグリムナが手を差し出すがベアリスがそれを制する。
「手を引っ張って救出するのは悪手ですよ、グリムナさん。流砂ははっきり境目があるものじゃないですし、助けようとした人まで飲み込まれてしまいます。脱臼する可能性もありますし」
正直脱臼くらいならすぐにグリムナの回復魔法で治すことができる。確かにこの砂漠では魔法も、体力を消耗する行動は極力避けたいのは確かであるが、それを言ったら無駄にあがいて流砂に飲み込まれることも常識はずれな行動であるし、そもそも流砂の説明をするために試しに流砂にはまってみる、というベアリスの行動自体が常識外れである。
しかしすでにこのベアリスは常識の埒外にいる女なのだ。ベアリスは静かに、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。
「はっきりと言いますが、流砂で死ぬことは、ありません」
「?」
現在進行形で地面に飲み込まれて行っているのに「こんなことでは死なない」と宣言する少女。ちぐはぐな行動に全員が疑問符を浮かべてると、ベアリスはさらに話し続ける。
「流砂は比重が重いので、普通にしていれば沈み続けることはないんです。ただ、パニックになってもがき続けると、鼻や口まで泥が入ってきて窒息したり……あとは」
ベアリスは一瞬空を見上げてからさらに話す。
「今は岩陰にいるので大丈夫ですけど、太陽ですね、やっぱり」
やはり最大の敵は太陽によって焼け死ぬことである。流砂など冷静に対処すれば怖くはない。それを証明するために彼女は流砂にはまったというのだ。
だからと言ってやはり自分から飛び込む必要はやはりないように思うが。
「だから、こうやってですね、冷静に……ゆっくりと足を上げるように動いていけば……」
ベアリスは両手をできる限り伸ばして地面に当て、もぞもぞと足を動かす。
「落ち着いて、ゆっくりとですね……脚さえ出れば……グリムナさん!」
「はい?」
「ロープとか持ってます?」
あきらめたようだ。
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