第208話 躁鬱
自分でレニオを連れてきていながら「彼には全容を話すな」……ラーラマリアは確かにそう言った。
少しちぐはぐな行動をしているように見えた彼女の言葉であったが、しかしビュートリットは慎重に言葉を選びながら話を始める。
「君の助言通り、そこにいるリズが、間違いなくターゲットを砂漠に置き去りにしてきた。『彼ら』が独力で砂漠から生還することはまず不可能だ。キャラバンが偶然通って救助されることもない。コントラ族には根回しをしてあるからな」
レニオは当然話の内容が分からず、ラーラマリアとビュートリットの間を視線をうろうろと彷徨わせながら、疑問を口にする。
「ターゲット? 置き去り? 何の話をしてるの……?」
ビュートリットは顎をさすりながらマジマジとラーラマリアとレニオの二人を見ている。ラーラマリアが来たら聞いてみたいことがあった。元々彼女とグリムナは仲間であったはず。
グリムナがラーラマリアのパーティーから追放されたことは彼もよく知っている。その後で単独行動をしているグリムナに二度ほど会っているのだから。二人の間に何があったのかは知らないが、今回ラーラマリアの提案によりベアリスに巻き込む形で、『ついで』にグリムナも始末される運びとなったのだ。
ベアリス殺害には理由がある。
劣勢であるターヤ王国の王党派が王女ベアリスを生贄として、その罪を革命派に擦り付ける。そのことで士気を高め一転攻勢に出ようというのが大まかな流れである。しかしグリムナの殺害にはまるで道理がないのだ。彼女の提案により巻き込み、彼女が『そうしたいから』という理由でグリムナの殺害に至った。
しかもである。同じ勇者一行のレニオがその事実を知らないという事が今回はっきりした。
(……ならば、彼女の個人的な感情、ということなのか……?)
「置き去りにしただけ……?」
ラーラマリアは不満そうな表情を隠しもしない。リズの方をぎろりと睨む。感情を隠すという事を全くしない女。あまりにも隠すという事をしないがゆえに、却って誰も彼女の本心を知らない。むき出しの感情にさえぎられて、心の奥底が見えないのだ。
ラーラマリアはつかつかとビュートリットのデスクの前にまで歩み寄って、ドン、とそのデスクを叩いた。時間差で豊満な胸が揺れる。
「随分中途半端な仕事してくれてるじゃないの、そんな不確実な方法で始末できるとでも思ってるの? もし『奴ら』が生きて戻ってきたりしたら、あんたは失脚、王党派は全員断頭台送りよ? 分かってんの?」
「生還不可能な砂漠からの帰還、それがもしできたなら、『天』が彼らを欲しているという事だろう……その時は、甘んじて罰を受け入れるつもりだ」
「宗教家にでもなったつもり? キモイのよ! 運命を天に任せる奴なんて!」
やや前傾だった姿勢を戻してラーラマリアはまっすぐ窓の外を眺めながら言葉を続ける。
「忘れてんじゃないの? 王党派が失脚すれば、こっちについた貴族が抱える領民はみんな路頭に迷うことになんのよ!? あんた一人の戦いじゃないのよ」
しかしそれでもビュートリットのまなざしは揺るがない。それに気づいてラーラマリアはため息をついてから宣言をした。
「ハァ……仕方ないわね、この勇者ラーラマリアが! 直々に! 奴らの死体を確認してきてあげるわ!」
この言葉にはさすがのビュートリットとリズも驚いたようであった。
「無駄死にだ。たとえ勇者でも、砂漠には勝てない。ウニアの怒りに触れるだけ」
リズも彼女を咎めるが、しかし自信満々のラーラマリアは折れない。
「凡人ならそうでしょうけどね、聖剣に選ばれし勇者には常人にはできない解決方法があるのよ!」
「何か方法があったとしても、同じ。広大な砂漠から一人の人間を探し出すことは、不可能」
「まあ、そこはさすがに運任せになるかもしれないけどね、でも私と彼は運命に結びつけられた人間。きっと広い砂漠の中からでも見つけ出して見せるわ!」
このラーラマリアの言葉を聞いた瞬間、レニオの表情が一変して、彼女の胸倉を掴んだ。
「…………!!」
「何よ……レニオ、苦しいわよ……?」
しかしレニオは口を開かず、ラーラマリアを睨み続ける。ラーラマリアは力づくでレニオの手を振りほどくと、ビュートリットの方に向かって口を開いた。
「ちょっと立て込んできたからこれで失礼するわね。誰が止めようとも、砂漠へは必ず行くわよ」
そう言って退室していった。
現在彼女はビュートリットの屋敷の一部の部屋を借りて、そこに宿泊している。廊下を足早に歩きながら、やはりまたレニオが彼女に食って掛かってきた。
「どういうことなの! ラーラマリア!! 言葉を濁していて、詳しくは分からなかったけど、あんたはグリムナを殺そうとしてるの!?」
「何を根拠にそんなことを……」
ラーラマリアは自室まで来て、ドアの前に立ち止まってから、努めて感情を押し殺したような声色でそう答えたが、しかしレニオが再び彼女の胸倉を掴んで、少し声の調子を落としてから真剣な表情で言った。
「あんたが、『運命の人』なんて言う人……グリムナ以外にいないでしょう……!?」
ズンッと、鈍い音がして、レニオがその場にうずくまった。ラーラマリアの膝蹴りが鳩尾に炸裂したのである。彼を見下ろしながらラーラマリアが冷たい声をかける。
「何を勘違いしてるの、レニオ……『勇者の幼馴染』でしかないあんたが、私に意見するつもり? 言っとくけど、あんたは砂漠へは連れて行かないわ。屋敷を出ることも許さない。しばらくは自室でじっとしていなさい」
そう言って、ラーラマリアは彼に背を向けて自室のドアを開けた。
「あなたはただ、この『完璧な英雄』たるラーラマリアの背中だけ追いかけていればいいのよ……全て、私に任せなさい……」
バタン、と、無情にも、そして取り付く島もなくドアが閉められた。レニオはただうめきながら涙を流すだけしかできなかった。
「完璧……か」
薄暗い部屋の中でラーラマリアが呟く。
「完璧……? 完璧だって?」
ドアを閉めて、一歩、二歩、ふらつくような頼りない足取りで進み、とうとう三歩目でガクン、と膝をついてしまった。「あっ」と小さい声を上げて、彼女は手を床について自分の体を支えようとするものの、手は床の上を滑り、ズデン、と顔を床に打ち付けた。ゆっくりと顔を上げると、とろり、と鼻血が垂れた。
「完璧になんて、程遠い……未だかつて、私が何かを完璧にやり遂げたことなんて、ただの一度もないじゃない……」
これが本当に先ほどまで他者の意見を全く聞かず、自身に満ち溢れていた傲慢なる女、ラーラマリアなのだろうか、目は落ちくぼみ、情けなく眉毛がハの字に垂れ下がり、涙を流している。彼女は四肢をへし折られた罪人の如く、床の上でもぞもぞと蠢きながら何やらぶつぶつと呟いている。
「自分一人じゃ、何一つできやしない……レニオやシルミラに頼りっきりで……うう……グリムナ……会いたいよぅ……たとえ死んでいても……
ああ……レニオが羨ましい。なんで私には、あんなふうに自然に振舞うことができないの……私は、人に自分の気持ちを伝えることですら、まともにできないって言うの……?」
「大分参っているようだな」
「ひぃっ」
部屋の奥で、男の声が聞こえると、ラーラマリアは小さい悲鳴を上げ、逃げるように這ったまま後ずさりした。
(初めて会った時よりも大分弱っている……このまま死んだりしないだろうな……)
「顔を上げろ、ラーラマリア……砂漠へ行って、確実にベアリスとグリムナが死んだことを確認するんだ」
その男、ヴァロークの一員、ウルクは腕組みをしたままラーラマリアを見下ろして、そう言った。
「さ、砂漠? 無理よ……そんなところ行ったら、死んじゃう……」
「言ったはずだ、供の物を何人か連れていけ。いよいよとなったらそいつらをその聖剣エメラルドソードで切れば、命を吸い取って、お前だけは生きながらえることができる。聖剣を持つ者にとって、砂漠など脅威でも何でもないとな。グリムナに会いたくないのか? 奴を弔ってやるのはお前の仕事だろう」
「うぅ……私みたいなゴミが、グリムナの傍にいることなんて、出来るはず……」
しかしウルクがどんな言葉をかけようとも、ラーラマリアはひたすらに自分を貶め、後ろ向きな発言をするばかりである。
「しっかりしろ! グリムナは今頃もう死んでるはずだ! 今更それをどうこうすることはできん! お前がやったんだ!!」
ウルクが怒鳴りつけると、ラーラマリアはぽろぽろと大粒の涙を流しながら呻き始めた。
「ち、ちが……だって、あなたがそうしろって……私が悪いんじゃない。この世界が、みんなが、グリムナを私から遠ざけようと……だから仕方なく……」
この言葉を聞いてウルクはニヤリと笑みを見せた。
「そうだ。お前は悪くない。この世界が腐っているからこそ、グリムナのような本当に価値ある人間が命を失い、そしてお前みたいな無価値な人間がのさばることになるんだ。こんな世界、おかしいとは思わないか?」
ウルクはラーラマリアの前にしゃがみ、彼女の顔を両手で挟むこむように掴んで顔を上げさせた。
「お前も思うだろう……こんな間違った、醜い世界、滅ぼしてしまえ、と。さあ、砂漠へ行くんだ。そしてグリムナの死体をしかとその目で確認するんだ」
ラーラマリアの全く生気の感じられなかった瞳に、ほんの少し、希望の光が見えた気がした。
「さあ、砂漠へ……」
「砂漠は嫌。怖い」
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