第399話 嵐を呼ぶ竜

 ただでさえ巨大な竜の体が、さらに膨らんだ。


 ごうごうと鳴る風の音と、その膨らんだ腹から、息を吸っているのだということは分かる。


「ドラゴンブレス……!!」


 逃げ遅れた市民の一人が呆然とした表情でそう呟いた。おとぎ話の中で、竜は火を吐いたり毒ガスを吐いたりすると言われるが、この竜もそうなのか。ただ巨大なだけでなく、そんな攻撃手段まで。


「逃げ遅れた者どもよ、儂の背後に隠れておれ!!」


 メザンザがそう叫ぶと、近くにいた市民たちは竜から隠れるように彼の背後に回るが、しかしどうやっても竜から完全に隠れることなどできない。相手は山ほどの大きさがあるのだから。


 やがて風の音が止み、膨らみ続けていた竜の体が止まった。メザンザは両手を大きく広げて、待ち構えるような姿勢を見せた。


祝福あれgod bless


 上を向いて息を吸っていた竜が口を開けてメザンザを睨みつけ、息を吐きかける。


 竜の吐息。それは伝説やおとぎ話の中だけの存在ではなかった。但しそれは、炎でもなかれば毒ガスでもない、雷でもなければ吹雪でもない。まさしくそれは『竜の吐息』であった。人がするのと変わらない、犬猫がするのと変わらない。


 だが、極限まで圧縮された空気が、ただの吐息であるはずがないのだ。ドラゴンブレスは、周囲の残った建物を破壊し、土砂を巻き上げ、壁となってメザンザ達に迫りくる。


 一方メザンザは、地面を踏みしめ、両の腕に力を込め、まるで風車のように、いや、タービンのようにそれを回転させた。


「オオオオ!! 旋風廻し受け!!」


 動きとしてはカラテに伝わる廻し受けであるが、しかし通常の物とは速度が違う。ベイパーコーンを発生させながらの受けは、おそらく正面にいればその衝撃波に巻き込まれて攻撃として牙をむいていたであろう。


 空気と空気のぶつかり合い。尋常であればそれが音を発することなどありえないのだが、しかし市民たちは確かに衝撃と衝撃のぶつかり合う爆発音を聞いた。次いで、巻き上げられた土砂がメザンザの場所で二股に分かれてモーゼの海割りの如く避けて通っていく。


 助かる。


 このメザンザがいれば、自分達は助かるのではないか。市民たちの瞳に希望の光がかすかに灯った。


「!?……吸い寄せられ……!!」


 メザンザの作り出した無風空間。しかしその外側に位置していた男が、足を動かしていないのに、見えざる手に引きずられ、外の強風に吸い寄せられ、ついには体が浮き、何処かへと飛ばされていった。


 すなわち超高速で移動する圧力の低い空気に吸引され、安全地帯から放り出されてしまったのである。


 ようやく風も収まり、メザンザはちらりと後ろを振り向いて市民たちに声をかける。


「全ては守れぬ。竜の力はあまりにも強大、儂が足止めをしているうちに逃げよ。聖騎士ブロッズの指示に従え」


 一見すれば、メザンザがよく戦っているように見えた。彼は竜に数発の有効打を叩きこみ、のけ反らせ、そして竜の攻撃は全てメザンザに躱され、封じ込められているように見えたのだ。


 だがその実、追い詰められているのはメザンザの方である。


 見れば、最初に攻撃したクレーターは、すでに回復し、消滅している。正中線五連撃の打撃の跡も、治りつつある。これほどの質量と、力を備えているというのに、回復力まであるというのだ。隙がない。


 「む、雨か」


 ポツポツと降り始めた雨にメザンザが気付いたのは髪のない禿げ上がった頭のせいかもしれないが、しかし多くの人はそれよりも少し早く天気の異変に気付いていた。


 メザンザもその異変に気づく。凄まじい速度で、周辺の雨雲が、このローゼンロットに集結しているのだ。メザンザの頭をかすかに濡らしていた小雨は、そう時を置かずして土砂降りとなり始めた。


 当然と言えば当然のことである。


 これだけの巨大な質量を持った生物が所狭しと動き回り、ブレスを吐き、衝撃波を発生させた。


 ローゼンロットを中心に気圧の谷が生成されたのだ。当然ながら空気は、分子運動の盛んな高圧域から低圧域へと濁流の如く流れ込んでくる。それと同時に空気中の水蒸気、雲もだ。


 そして流れ込んだ空気は逃げ場を失くし爆発的に上昇気流を発生させ、竜の上空で昇り立ち、季節外れの入道雲を形成する。


 その中で凍った水分子が激しく衝突し、静電気を発生させる。静電気とは即ち、いかづちである。


 轟音と共に雷が落ち、不幸にもそれに打たれた市民を消し炭へと変えた。


「これもお主の力か?」


 憎々し気に総吐き捨ててメザンザは一気に距離を詰める。


 この巨体、回復力、そして天候をも操る力。対して自分の方はもう体が限界に近い。長引けば長引くほど不利である。一気にケリをつけたいのだ。


 メザンザはまるで落雷の間を、見て躱しているように縫って進む。衝撃波を発してロケットのように加速する彼にとってはぬかるんだ地面すらも関係ない。


 竜は落雷に阻まれて近づけないメザンザを後目に再び大きく吸気する、が、先ほどと同じように大きく膨らんだのち、今度はその体はみるみるうちに縮んでいき、元のサイズに戻った。


 気が変わって吸気をやめたのか、そんな筈はない。竜は口を開けるが、先ほどのような豪風は起きない。代わりにまばゆいばかりの光球が吐き出された。


 何が起きたのか。


 物質には四態の状態がある。すなわち固体液体気体プラズマ体であり、吸い込んだ空気をただ吐き出すのではなく、超圧縮することで気体の状態からプラズマの球電にして吐き出したのだ。


 本能的に「これはまずい」と感じ取ったメザンザは即座に直角に横に跳んでこれを避ける。


 その時、異常な熱と共にメザンザの衣服に火が灯った。


 直撃していないにもかかわらず輻射熱だけで発火現象が発生したのだ。すでにボロボロだったが、メザンザは衣服を即座に脱ぎ棄てた。


 やはりあの竜は危険だ。直撃を食らったレンガの断面が溶けてガラス質になっている。温度はおそらく何万度、というオーダーである。メザンザは即座に距離を詰める。


 それを阻止しようと竜は頭突き、長い首をしならせて頭部を叩きつけるがメザンザはそれも横っ飛びに躱す。


 この頭部に攻撃を加えても良いが、相手の用意したに乗るのは

 彼はさらに突進して竜の左足にローキックを放つ。


 空を切り裂き、ヴェイパーコーンを発生させて足が大きく弾け、竜は苦し気にバランスを崩す。


 「ここだ」と、メザンザは竜の足を駆け上がり、顔の正面に跳躍して正拳を大きく引き絞る。この一撃にて、頭部を破壊してやろう、そう考えていたが、竜はこれに対して大きく口を開いた。


 別に食ってやろうというのではない。それはすぐに分かった。


 なぜなら、竜の口中から、再びあの光球が現れたからだ。


 迂闊であった。生成した球電は、一発ではなかったのだ。空中で制御が困難な中で、メザンザに向けてプラズマ体が高速で射出された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る