第398話 ディザスターカラテ

 もはや、人に抗うすべはない。


 精強なる聖堂騎士団も、人知を超えた魔力を保持する魔導師団も、尋常な城であれば容易く破壊するカタパルトも。


 そして400年の人類の英知を結集してつくられた最終兵器、合体巨大ロボゲーニンギルグでさえも。


 強大な力を持つ死神の竜ウニアの前では、児戯にも等しき悪あがきでしかなかったのだ。


 もはや人々には絶望することしか許されていないというのか。誰も、もう竜に抗って戦おうなどと考えているものはなかったし、そんな戦力はこのローゼンロットには残されていなかった。


 人には逃げ惑うことしかできない。竜は、町から逃げようとするものから優先して叩き潰す。人々は血の花が咲くように、ではなく、土くれのように潰されてゆく。


 逃げることを諦めた市民はその場に立ち尽くし、最期に楽しんでやろうと無頼漢たちは手当たり次第に市民を殺し、犯し、奪う。


 きっと、地獄というものがあるのならば……いや、それでもここよりはマシなのだろう。元聖騎士ブロッズ・ベプトはそんなことを働かない頭でぼうっと考えながら、瓦礫に座って頬杖をついていた。


「なんと醜い……」


 本来ならば避難を指示する立場にある騎士達はすでに全滅した。


 生き残った人々も、幽鬼のように立ち尽くすか、そうでなければ暴虐の限りを尽くすだけである。


「こんな醜い世界を……俺は守ろうと走り回っていたのか……」


 ブロッズは、竜の恐ろしさよりも、人々の無秩序さに打ちのめされていた。を守るために、取り返しのつかないことを繰り返してきた。


 悪と断じたものを切り、かつての仲間を拷問し、自分の心を壊し、ただひたすらに走り続けてきた。


 もし今誰か、唐突に世界を救う勇者があらわれて、竜を倒したとしても、もうこんな醜い者達のために立ち上がれる気になれない。


 自分の人生は、全て無駄だった。


 彼の精神こころは、もはや壊れるのではなく、消え去ろうとしていた。その時であった。誰かが、座っている彼の肩を、ポン、と叩いた。


 力なく振り返る彼の目の前にいるのは身の丈2メートルを越える巨体、髪のないその額には、緑色の魔石が輝いている。


「メザンザ……?」


 その姿にも彼は薄い反応しか返せない。


 今更何の用か、殺したくば殺せ。そんな心持であったが、しかし彼は晴れやかな笑顔でブロッズに語り掛ける。


「ブロッズ、お主を再び聖騎士に任命する」


 しゃがんで彼に目線を合わせていたメザンザは立ち上がってそう言った。ブロッズにはその言葉の意味を推し量ることは出来なかったが、しかしメザンザはさらに言葉を続ける。


「市民の避難を誘導せい。は儂が足止めする。

 それともう一つ、事が済んだら、ネクロゴブリコンを探せ。きっと力になろう」


 そう言いながらメザンザは一通の封書を手渡した。


 ブロッズは彼の言葉に呆然としている。とはまさか竜の事であろうか。いや、そんなはずはない。千人からなる騎士と魔導師の混成部隊が一瞬で壊滅したのはほんの数十分前の話。巨大ロボも粉々に砕け散った。倒すどころか足止めすらこの世界に存在する何者であろうとできるはずがないのだ。


 それだけではない。なぜこの男が『ネクロゴブリコン』の名を知っているのか。疑問は尽きない。ネクロゴブリコンはゴブリンでありながら、ブロッズとグリムナの共通の師匠である。その事実を知る者などいないはずなのに、なぜその名が唐突に出てきたのか。


「何を馬鹿なことを……気でも狂ったか? 竜を足止めなんてできるはずがない! 戦力が圧倒的に足りないんだ!」


 しかしメザンザは深く腰を落として言った。


「足らぬ、足らぬは功夫クンフーが足らぬ……」


 そう言って何もない虚空に拳を突き出す。破裂音と共に衝撃波が展開するが、メザンザは即座に跳躍、自分の出した衝撃波を踏み台にさらに跳躍し、遠く離れた竜に攻撃を仕掛けるべく空に舞ってゆく。


隕石落としロックダウン!!」


 斜め前方に落下しながら繰り出すは議事堂を一撃でクレーターに変貌させた正拳。轟音とともに竜の体に大穴が掘られた。


 一瞬遅れて雷よりも大きな音の、竜の咆哮が辺りに響く。


 竜の誕生以来、初めて人間がその体に打撃を与えたのだ。それでも竜の体に比してみればのようなスケールであるが。


「ば……化け物……」


 そう呟いてからブロッズはハッとなって立ち上がった。


 そうだ。今自分は間違いなく聖騎士なのだ。


 曖昧な心の状態では「再び任命する」という言葉の意味も分からなかったが。はて、いつ自分は聖騎士で亡くなっていたのか。記憶があやふやだ。


 いつの間にか深くまどろんでいたような、そうで無い様な。


 しかし一つ確かなことがある。


 自分には、果たさねばならぬ務めがあるのだ。



 竜はゆっくりと長い首を回し、いや、ゆっくりと言っても相対的にそう見えるだけで実際には時速数百キロの速度ではあるのだが、しかしとにかく、その顔の正面をメザンザに、自分を攻撃した者に焦点を合わせた。


 一方メザンザはずい、と左足を前にすすませ、深く構える。もはや迷いはない。晴れ晴れとした笑顔に顔を歪める。


甚大災害ディザスターカラテ、とくと御覧じろ」


 竜が前足を振り上げ、メザンザの上に落とす。その前脚だけでも大聖堂ほどの大きさがあるが、相対的に見て緩慢でも、その速度は超高速であるが、しかしそれがメザンザに見切れぬはずもなし。


「テレフォンパンチなり!」


 メザンザは衝撃波と残像を残しながら脚の端に移動し、そして跳躍、垂直な岩盤の如き脚を駆け上がり、竜の首の根元に一撃を放つ。


 さらにその衝撃波をまた踏み台にして竜の眉間にまで一気に上昇し、そこを頂点に、空中で制止した。右腕を引いたまま。


 そして、自由落下をしながら連続で正拳突きを放つ。


 眉間、鼻、下あご、喉、胸。


 爆音が続けざまに聞こえ、竜の体が弾ける。


「正 中 線 五 連 撃」


 先ほどの竜への攻撃は奴を驚かせるだけで有効な打撃ではなかったが、しかし今度の連続攻撃は確実に効いている。竜はその攻撃にバランスを崩し、大きく顔をのけぞらせた。


「居眠りから覚めたか? 竜よ」


 竜も少し学んだのか、今度はテイクバックなしで、のけ反った首を戻す前に前足で蹴りを寄せる。対するメザンザは体を宙に浮かせながら前蹴りでそれに抗する。それは攻撃ではなく、身を守り、距離をとるための蹴りであったが、しかしヴェイパーコーンを発生させながらのそれは、竜の皮膚を崩壊させながら、メザンザの体を後ろに跳ばした。


 メザンザと竜の距離は数百メートル。


独り立ちてタイマンで儂に立ち向かおうなど言うものは久しくおらんかった。血が騒ごうぞ!」


 ラーラマリアと戦った時はブロッズがいた。イェヴァンと戦った時は戦場の真っただ中だった。確かにたった一人でメザンザと戦おうという者など、久しくいなかったのだ。


 ただ一人を除いて。


「グリムナ……」


 俯いて小さく呟く。


「ようやっと分かった」


 今度は顔を上げ、竜の方を睨みながら。


「神託にあったとは、まさにあの者であったか」


 距離を置いて再び対峙する。にらみ合う、竜と大司教。不意にすさまじい風鳴りと共に竜の体が一回り、二回りと膨らんでいく。如何なる予備動作か。


「竜の……吐息ブレスか……」

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