第400話 嵐を呼ぶ男

 『十分に発達したカラテ技術は、魔法と見分けがつかない』


 この世界にまことしやかにささやかれる『カラーテの三法則』の一つであるが、メザンザの戦い様はまさにそれそのものであった。


 自分目掛けて襲い来る球電を前に、メザンザは空中で三戦サンチンの構えを取り、前腕に意識を集中する。幼い頃より何千、何万回ととった構え。この姿勢が最も精神を集中できるのだ。


「おぉ!! 生体マグネタイト、活性化!!」


 次に右腕を前に、肘を垂直に立て、左手は右腕の肘に。バチバチと小さい電気が弾ける。


相転移ソレノイドクエンチ廻し受け!!」


 これまでにない、最高速の腕の回転は極小の竜巻を作り、抑えきれない稲妻がその渦の外に漏れ出る。両腕の超高速回転によりメザンザは電磁コイルを作り出したのだ。


 人の体によりつくられる、小宇宙的超電磁コイル。


 炎、レーザー、いかづち、その電磁エネルギーはありとあらゆるプラズマ体に対して干渉が可能である。


 竜の吐き出した光球はメザンザの体を弾き飛ばしながらも、空中にて霧散した。


「一体何が起きているんだ……」


 市民を集め、避難の誘導をする聖騎士ブロッズ・ベプトもその信じられない光景を遠目に見ていた。


 人智の及ばぬ荒れ狂う天災。その天災をもはるかに上回る存在である竜を相手に、たった一人の男が互角に戦っているのだ。


「人の体が、あんな戦いに耐えられるはずが……ない」


 もはや荒れ狂う雷雲と強風に大気の唸りはすでにやまぬものとなっていたが、より一層強大な音が聞こえた。ごうごうと音を立てて風が荒れ狂う。


 メザンザと竜の間には巨大な竜巻が発生していた。


「これも貴様の力か、それとも天の采配か」


 体の限界を感じながらも、メザンザは両足に力を込める。しかし彼が距離をとるよりも早く竜巻は大司教を飲み込んだ。


「あ、……飲み込まれた……」


 ブロッズが思わず間抜けな声をあげる。しかしその通りだった。竜巻が通過した後にはメザンザの姿はなかった。これは、竜巻に飲み込まれ、まさにその中で翻弄されていることに他ならない。


 しばらく静寂の時が流れた。実際には今も竜巻はごうごうと唸り声を上げているし、相変わらず雷も辺りに破壊の限りを尽くしているので全く静寂ではないのだが、しかし竜がメザンザを見失い、そのメザンザが竜巻に飲まれたことでそう感じられた。


 だがその静寂も長くは続かなかった。人類の希望は竜巻の横っ腹を突き破り、巻き上げられた土煙をまとい、超高速の振り子のように射出され、竜めがけて跳びかかってきたのだ。これまでに見られないほどの速度で。



「竜 巻 旋 風 脚 !!」



 炎を纏い、いかづちを払い、竜に突き刺さるその姿はまさしく流星の如き様であった。


 さすがに天地を揺るがすほどの強烈な一撃、山ほどの大きさのある竜もこれには耐えきれず、背中に極大のクレーターを作りながらドオン、と倒れた。


「倒した……竜を……神を、倒した……」

「おお、あんなところに……」


 自然と市民たちから声が漏れる。


 確かに、遠くて視認できるはずはないのだが、しかし大司教メザンザが、力なく倒れこんでいる竜の背中に立っているのが見て取れるように感じられた。それはもしかしたら、人々の希望が見せた幻覚なのかもしれない。


 だが確かにメザンザは両の脚で立っていた。がくがくと震える膝を引きずりながら、力ない足取りで。体からはぶすぶすと煙が上がっている。市民からは遠すぎてその満身創痍の体は見えてはいなかったが。


 そしてメザンザも、もう自分の体に限界が近づいていることには当然気付いていた。


 おそらくはもう……次の一撃が自分の命の最後の輝きなのだと。


「人は……寄り拠りて立ち、愛にて進む」


 もはやその声には往年の力強さは感じられない。


 その両目からは涙が流れていた。


「竜よ、お主の体の上に立ち、こうして肌を合わせてようやくわかった。お主は『怒り』などではないと……人の、弱さなのだと」


 一歩、二歩と、足を引きずり進む。


「こうあってはならぬ。斯様なままではならぬと……分かりながらも己を正せぬ罪悪感。

 もしこの世界に神がおるならば、どうか愚かな人を罰してくれという心からの願いなのだと」


 真っ黒に炭化した背中はもはや土くれのように荒れている。


「だが……この世界に、神は、おらぬ……

 人の内に魂など存在せぬ……

 死によりくびきを絶たれたる者は、彼岸ではなく、無に還る……」


 ゆっくりと、右手を上げ、顔の正面に構える。


「もうよいのだ……悲しみをお主が代わりに引き受けることはない。安らかに眠れ」


 彼は手のひらを開き、じっとそれを見つめた。



その哀しみを 拳に握り 打ち付けてはならぬ

憎しみは いつか必ず 心を曇らせるから


その怒りを 決して忘れてはならぬ

怒りは 人をはしらせる 命の炎なのだから


その魂を はらに据え 柱として己を支えよ

立ち上がるその姿こそが 決して諦めぬ 人の美しさなのだから



 メザンザは、ゆっくりと一本ずつ、小指から順にこぶしを握り始めた。


「沈みて 留まり 静けさに 融ける……」


 何万回か、何百万回か。


 毎日握り続けたこぶし


 初めてこれを、敵を叩くためではなく、愛を伝えるために握ってみようと思った。


 愛を、知った。


 妻がそれを、教えてくれた。


 この世界には愛が満ちているのだと、教えてくれた。打倒すべき敵など、どこにもいなかったのだと。


 何と戦っていたのか。何に駆り立てられていたのか。


「荒れ狂う怒りではなかったのだ。お前は、まるで哀しみそのものではないか」


 ゆっくりと、その拳を引き絞り。


 大地の如き、竜の背中に、打ち付けた。

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