第436話 夢
「ハッ!?」
グリムナは跳ね起きるように上半身を起こした。
「ハァ、ハァ……」
荒い息を吐いて両手で自分の頬に触れる。寝汗でじっとりと湿ってはいたが、しかし何の異常もない。確かに自分の体がそこにある。しかし状況が把握できない。
「いったい……何が……?」
どうやらベッドの上に寝ていたようだ。
見渡せば木造のログハウスか、その一室で自分は寝ていたようだ、と理解した。穏やかで暖かい空気、どうやら今は朝のようだ。
「お寝坊さんねぇ、やっと起きたの? グリムナ」
ドアの方から部屋の中を覗き込んで話しかけてきた女性の声の方に顔を向ける。長身に金髪の、幼馴染みの姿がそこにはあった。
「ラーラマリア……」
彼女の顔を見ると、なぜかじんわりと瞳に涙が滲んできた。
「どしたの? 怖い夢でも見た?」
にしし、と笑いながら部屋に入ってきた彼女がそう尋ねる。
「夢……そうだ……夢を見ていた。……とても、恐ろしい夢だった……」
震える手を彼女に悟られないように、グリムナはベッドに座ったまま、両足を床に下ろし、話を続ける。
「竜が現れて、人々を殺して回って……俺は……一人で戦うために、皆を置き去りにして……」
ラーラマリアはグリムナの隣に腰かけ優しい表情で彼の話を聞く。
「竜を倒すため、ラーラマリアが、ひ、一人で立ち向かって……俺は、お前を助けることができずに……結局……し、死なせてしまって……」
途轍もなく恐ろしい夢の内容を思い出してどもってしまう。ぽろぽろと涙が零れる。ラーラマリアは心配そうな表情でグリムナの顔を覗き込んでいる。
「俺も必死で戦って、戦って、戦い続けたけど、竜には敵わなくって……体がバラバラになって……」
震えながら涙を流すグリムナをラーラマリアが抱きしめた。
「大丈夫……」
「違う……違うんだ……」
安心させようと言葉を投げかけるラーラマリア。しかしグリムナはその言葉を否定する。
「大丈夫、それは夢よ……」
「違うんだ!!
グリムナはそう叫んで彼女の体を突き放した。
「俺には何もできなかった! 竜を倒すことも! お前を助けることも!! 俺のせいで! お前は竜に殺されて……ッ!!」
「……怖い……夢だったのね……」
優しくそう言って、ラーラマリアは両手でグリムナの頬を包み込むように手を当てた。
「私が……あなたに、そんな悲しい思いはさせないわ……」
そう言って再びグリムナを抱きしめた。
―― そうか……夢だったんだ…… ――
……暖かい。心が安らぐぬくもりだった。グリムナは安心して、ゆっくりと目を閉じた。
「あんなことがあったから、あなたは疲れて、夢と
「あんなこと?」
グリムナが聞き返すとラーラマリアは抱きしめていた腕の拘束を緩めて、優しい笑顔を彼に向けた。
「そうよ。私達はフィーの手引きで東の、ライリア大陸に逃げたの、覚えてない? いつか、竜が消えれば、きっとフィーからまた連絡が来るわ」
「そうか……そうだったな……
そうだ。俺は、フィーの助言に従って、大陸から逃げてきたんだ……」
ラーラマリアは立ち上がってドアの方に数歩歩いて、振り返ってからグリムナに話しかける。
「酷い顔してるわよ。顔を洗いましょ。水を汲みに行ってたヒッテちゃんもすぐ帰ってくるわ。こんなことしてたら浮気って言われちゃうわよ!」
「ヒッテ?」
そうだ、と思い出してグリムナは自分の左手を見る。薬指には指輪が輝いていた。
そう、確か、自分とヒッテは結婚をしたはずである。しかし、どういう経緯だったか、どこで式を挙げたかはなんとなく記憶がぼんやりして思い出せないが。
リビングの方に行くと、水を汲んできたヒッテが朝食の準備をしていた。彼女は少し怒った様子でグリムナに話しかける。
「全く、新妻に水くみさせて自分は寝てるなんて」
腰に手を当てている彼女の左手にもやはり指輪が光っている。しばらくグリムナは不思議そうな表情で彼女の顔を見つめていた。
「どうしました? 私の顔に何かついてますか?」
「私……?」
確か、記憶の中ではヒッテは自分の事は名前で呼んでいたような気がするが。
「なぁんかグリムナ寝ぼけてるみたいなのよね。そういえば、ヒッテちゃん前は自分の事名前で呼んでたわよね? なんか心境の変化でもあったの?」
「べ、別に……人は日々成長するものですから……」
そう。そこは別に重要なことではない。実際何か心境の変化があり、一人称が変わったのはその表れなのかもしれないが、グリムナはそれよりも気になることがある。
彼はラーラマリアの方を訝し気に見つめた。
つまり、ここは自分とヒッテの……新婚夫婦の愛の巣であるが。では、ラーラマリアは? 彼女はいったいどういう立ち位置でこの家にいるのだろうか、ということである。
「な、何よその目! まさかいちゃいちゃしたいから私に出てけって言うつもり!?」
「い、いや、そんなことは……」
そんなことを言うつもりはないが、しかし気になる。ラーラマリアはよよよ、と大げさに泣く演技をして言葉を続ける。
「ひどいわ、新しい女ができたから幼馴染みの私はもう用済みってわけね! こんな身寄りもない新天地に放り出すつもりなのね! グリムナがこんな薄情な奴だったなんて!」
「ラーラマリアさんも調子に乗らないで下さい。ホラ、朝食にしましょう」
そう言ってヒッテがリビングの食卓に皿を並べる。パンと、具の少ない簡単なスープだったが、しかし温かいスープを飲むと、なんとなく不安な気持ちだったグリムナの心も落ち着いてきた。
状況が読めない。記憶がはっきりしない。
しかしヒッテとラーラマリアが状況を教えてくれると、それがするすると頭の中に入ってきて『ああ、確かにそうだったな』という気持ちになる。なんとも言い難い心持ちだ。
「今日も多分怪我人とか病人が治療の依頼で来るでしょうから、ゆっくり家で待ってましょうか。そのほかの事は私とラーラマリアさんに任せてくれればいいですから」
なんとなく本調子でないことを察してか、ヒッテがグリムナに語り掛ける。
「そうそう。もし変な奴が来たら、私が
ラーラマリアはそう言って壁の方を親指で指さす。そこには聖剣エメラルドソードが飾られていた。
聖剣がここにある……やはり違和感を覚え、グリムナはそれを口にした。
「他のみんなは……どうしてるんだろう……バッソーは、ベルドは、師匠(ネクロゴブリコン)に、レニオ達は……」
「ん~、多分みんなフィーを頼りに北の森に避難してるんじゃないの? あそこなら人がほとんどいないから大丈夫でしょ」
確かにその通りなのだが、その『みんな』にはどこまで含まれるのだろうか。アムネスティは、レイティは、イェヴァンは、ニブルタは……そして名も知らぬ人々は。
「しばらくは……ゆっくり休みましょう。グリムナも大陸中駆け回って、やるだけのことはやったんですから……そ、それに」
ヒッテは言葉を区切って、こほん、と咳払いをしてから続ける。
「ふ……夫婦の、その……新婚旅行と、思えば……」
「ちょっと! 私もいるって事忘れないでよ!」
顔を真っ赤にしているヒッテにラーラマリアが起こったような表情をしてツッコミを入れる。グリムナはそれを見て、笑った。久しぶりに、笑顔になった気がした。
『心の奥底まで蜂蜜漬けにして、二度とその両足で立てぬようにしてやろう』
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