第339話 置いていかないで
フィーの母、メルエルテは床に無造作に置かれていた本を持ち上げてパラパラとページをめくると、つまらなそうな表情を見せる。
「まぁたこんなもんばっかり書いて……ホモの何がいいのよ? 気持ち悪いだけじゃない?」
床に敷いたクッションの上に寝転がり、ローストしたクルミをかじっていたフィーは母の顔を睨みつけ、抗議の声を上げた。
「なっ、バッ……何言ってるのよ! いい、お母さん? 男女の恋愛ってのは所詮子孫を残すための本能のプログラムに過ぎないのよ! アニモーよ!! それに引き換え男同士の恋愛というのは、ただ愛し合うためだけに愛し合う。これこそ愛の真実の形なのよ!! 尊いのよ!! 分かる!?」
また始まった……
メルエルテはため息をついて、心底つまらないものを見るような目つきで娘を見下ろしながら言い放つ。
「真実の愛だの、尊いだの、くだらないこと言ってないでもっと自分の人生を真面目に生きなさいよ。あんたいったい将来どうするつもりなの」
――――――――――――――――
あれはいつの事だったか……おそらくはグリムナとはぐれ、一時的に実家に帰っていた時、5年ほど前の出来事であった。
フィーの事を全く理解しようとせず、自分の価値観を押し付けようとしてくる母。
その母と、全く同じセリフを、まさか同好の士であるはずのシルミラに言われようとは。
フィーはガクッと地に膝をついて、四つん這いになって涙を流した。一部始終を見ていたメルエルテはやはり同じ場面を思い出したのか、にやにやと笑っている。
「うう……シルミラ、あなたも……私を置いていくの……」
そう。『置いていく』のだ。人の人生はエルフと違って短い。シルミラは5年前の時点で19歳、今は24歳である。10代で結婚することが普通のこの村では、むしろ第一子を生む年齢としては若干遅い時期ですらある。
対してフィーはこの先数百年も生きていく長命種のエルフである。そもそもが同じ時間の線の上に乗っていないのだ。改めて、まざまざと、それを見せつけられた。
「ほら、立てるか? フィー」
「ううっ、グリムナ~……」
グリムナが抱き起そうとすると、フィーは泣きながら彼の身体を支えに、抱きつくように立ち上がった。グリムナの肩は涙と鼻水でしとどに濡れていた。
「そこまでなの? BL否定されるとそこまでなの?」
「違うの、ちがうのよ~……うっ、うっ……グリムナは、グリムナは私の味方よね……?」
「み……」
思わず嫌な表情を見せてしまうグリムナ。
「うわああ~ん、グリムナの裏切り者~!!」
「う、裏切っては、いない……」
「違うもん! いかにも裏切りそうなシルミラと違ってグリムナはちゃんと私の味方しなきゃだめなんだもん!!」
「失礼ね」
ぽかぽかと力なくグリムナを叩くフィーであるが、グリムナはそれを無視して村の中心の方を眺めた。
次にいつ帰れるのか、いや、村の事を考えるのならば自分はもうここに来るべきではない、そう考えているのかもしれない。
やがて何か思いついたようにグリムナは自分の背負っていた荷物を下ろすと、ごそごそとあさって、何やら30センチほどの木箱を取り出し、ふたを開けてレニオとシルミラに見せた。
「なにこれ?」
シルミラの問いかけにグリムナはゆっくりと、穏やかな表情で答える。
「ベアリス陛下から頂いた『野風の笛』という魔道具だ。シルミラは今魔法が使えないんだろう? もし今度みたいなことがあったらこの笛を使ってくれ」
「え!? いいの? こんな貴重なもの預かって! ありがとう、グリムナ!!」
レニオが驚いて感謝の意を示すとグリムナは慌てたように付け足した。
「あ、いや、ただこれは副作用があって、なるべくなら使わない方がいいんだ」
「副作用?」
聞き返すシルミラにグリムナは考え込む。実を言うとベアリスからは「生きる力を失う」などと聞いていたが、彼女自身それほど以前と変わっているようには見えなかったし、具体的なことはよく分からなかったからだ。
グリムナはとりあえず心を病む可能性がある、とだけ伝えるにとどめた。あまりにも使うことをためらって、また村人が殺されたりするようでは本末転倒である。
「最後まで、ごめんね? グリムナ」
レニオが笛の箱を抱きしめるように持ちながら、瞳に涙をためてそう言った。
「アタシ、いつもグリムナに助けてもらうばっかりで、全然グリムナに返せてないわ……本当に、ありがとう。もしまた村に帰ってくるときは、アタシの実家の方に来て。今回の件で、お父さんと兄弟が死んじゃって、人手が足りなくなるから、あそこは引き払って実家に帰ることになったの」
そうだ。これほどの大事件だったのだから当然知り合いが死んでいる可能性だってある。それでもレニオがグリムナの肩をもって行動してくれたのは大変にありがたいことであった。
この襲撃自体がラーラマリアとグリムナを狙ったものであるならば、暴走した村人たちによって(できるかどうかはともかく)2人の首が目の前にある首塚に投げ込まれてもおかしくはないのだ。
であれば、グリムナ達の肩を持つことは二人にとっては今後の村での立ち位置をまずくするかもしれない。それを恐れずに見送ってくれた二人にグリムナは感謝の言葉を述べると、村を後にした。なんとも後味の悪い里帰りとなってしまった。
(結局挨拶できなかったな……まあいいか)
ラーラマリアはちらりと村の方に振り返った。この騒ぎの中でも結局ラーラマリアの両親は姿を現さなかった。それはもちろん今回の襲撃の渦中の人であったラーラマリアに触れることで自分達に累が及ばないためであろう。
そのことについてラーラマリア自身特になんとも思わなかったし、当然のことだと思っていた。
むしろ、レニオの家に尋ねてきた村人の中にグリムナの父が混じっていたことに驚きを覚えてさえいた。おそらく彼は、その場で村人がグリムナ達に無法を働くようなことがあればそれを止めようと同行していたのだろう。
日はまだ高い。今のうちに少しでも進んでおけば国境を越えてどこかの村につくことは無理でも十分に野営の準備の時間が取れる。ラーラマリアはグリムナ達の方に向き直っておいて行かれないよう駆けていった。
「とはいえ、どこに行ったものか……」
「国境なき騎士団に、会いに行きましょう」
グリムナが呟くと、即座にヒッテがそう答えた。
「国境なき騎士団?」とフィーが訪ねると「フィーさんは知ってるでしょうが」と前置きしてからヒッテが話し出す。
「竜の事を調べるため、賢者バッソーの指示でベルドさんが魔剣サガリスの調査のため騎士団に会いに行っているんですが、それっきり何か月も行方不明なんです。彼を探すため、ウニアムル砂漠に向かいます。そこに騎士団がいるはずですから」
少し考え込むグリムナ。レニオの家でヒッテが口にした話、『竜の謎を解き明かし、人々を救う』それこそグリムナとラーラマリアが村を出て冒険に出た当初の理由である。
そうだ。俺は何をやっていたのだ。こうしている今も苦しんでいる人がいる。傭兵崩れが村を襲って富や命を奪うことなど珍しいことではない。この大陸中に助けを求める人がいるのだ。竜の影におびえる人々がいるのだ。
グリムナは当初の目的を見失っていたことに気付いた。自分の最終目的は記憶を取り戻すことなどではなく、世界を救うことなのだと。
「そうだな。砂漠に向かおう。ラーラマリアもそれでいいよな?」
同じことを考えていたのだろうか。ラーラマリアも決意した目で、真っ直ぐグリムナの方を見て頷いた。
(砂漠……渇水……水分補給……)
ちらりと隣にいたヒッテの方に視線をやり、そして彼女にだけ聞こえる声で話しかける。
「あなたには、負けないわ……」
(砂漠で決着をつける)
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