第2話 ネクロゴブリコン
話は第1話の3か月ほど前にまで遡る。何故グリムナが悪人とキスをして改心させるようになったのか、それを説明するにはグリムナと、彼の『師匠』の出会いから語らねばなるまい。
その日、勇者達はとある村の依頼で度々村を襲っては作物を奪ったり人をさらったりしていると言われているオークの群れの討伐に動いていた。
グリムナは、荒れ果てたオークの集落を前にボーっと一人で考え事をしていた。右の頬が赤く腫れている。戦闘のケガなのかどうかは分からないが、何者かに殴られたようであった。
それは集落と言うよりは群れの拠点と言った方がしっくりくる様式ではあったが、とにかく30匹ほどのオークが暮らしていた。戦闘はすでに終わり、集落にはオークは残ってはいない。ほとんどのオークはラーラマリアの剣とシルミラの魔法によって斃されており、数匹のオークが逃げていったものの、作戦としては成功であった。
そのオーク数匹に逃げられたことで責められ、彼はラーラマリアに顔を殴られたのであった。「そのオークがまた人を襲ったらどうするのか」と。
実際オークの集落のゴミ捨て場と思しき窪みからはおよそ5人分ほどの人骨が発見された。おそらくオークが村から攫って食った分の人の骨であろう。人の視点で見れば、間違いなく彼らは『悪』だ。さらに言うならグリムナは非戦闘員である。直接戦わない人間がへまをして『悪』であるオークに逃げられた。結果だけ見ればそれが全ての事実である。
「しかし、皆殺しにまでする必要があるのか……」
――――――――――――――――
勇者ラーラマリアと回復術士のグリムナ、斥候のレニオ、魔導士のシルミラは同じ村出身の幼馴染グループであった。
男勝りで勝気な性格の金髪の少女、ラーラマリアは村のガキ大将的なポジションであり、10歳になるころには大人でも彼女の剣の腕にかなうものはいなくなっていた。これは成長すればひとかどの人物になるであろうという評判があったものの、さすがに教会によって『勇者』の称号を授けられた時は大騒ぎになった。
大変な栄誉に預かったものだ、と村人は皆思ったが、しかし、当のラーラマリアは意外な事を言った。
「グリムナも一緒に行くなら、勇者として冒険に出てもいい」
グリムナ? はて、グリムナとは誰だったか?そういえばラーラマリアがいつも引き連れてる子分の中の一人にそんな名前の者がいたような……
村人たちの反応はそんなものだった。グリムナは幼いころから聡明で、心優しい目立たない学者志望の少年である。
グリムナはこの申し出を全力で拒否した。
しかしこの拒否をラーラマリアは頑として受け付けなかったし、同様に村人たちもそれを許さなかった。
結局控えめな性格のグリムナは押し切られ、回復術の才もあったことから、勇者一行に加わることとなった。
そしてグリムナがラーラマリアに同行すると知るや、彼の親友であるレニオもやはりついていくと言って聞かなかった。
レニオは特殊なスキルや技術は何もないが、とにかくその、男とは思えない愛らしい外見と人懐っこい性格で世渡りのうまい少年だったので、冒険をするうえで、苛烈な性格で知られるラーラマリアをサポートしてくれるだろう、と喜んで送り出された。
こうして冒険に出たラーラマリアを中心とする幼馴染み四人の勇者一行はこの乱れた世を直し、まだ見ぬ『世界を滅ぼす竜』を討伐するため旅に出た。
――――――――――――――――
苛烈な戦いを物語る集落の廃墟を眺めながらグリムナがここまでの旅路に思いをはせていると、彼に話しかける声があった。
「面白い人間じゃな……お主は他の者とは違うようだ」
その老人の声にグリムナが驚いて振り向くと、緑色の肌の小柄な杖をついた老人が立っていた。
「ゴッ……ゴブリン……?」
グリムナの口から声が漏れ出たが、自信はない。そもそも人の言葉を解するゴブリンなど噂に聞いたことすらない。
「いかにも……数百年生きて、人の言葉も解するようになったゴブリン……今はその理解でよい。名は、ネクロゴブリコンと云う。」
最初こそ驚いたものの、グリムナはこの初めて見る異様なゴブリンを前に落ち着いていた。そのゴブリンは穏やかな口調であったし、全く敵意と言うものが感じられなかったからだ。むしろ人間と比べても深い知性を感じさせるまなざしを持っていた。
「派手にやったものじゃのう……」
ネクロゴブリコンが辺りを見回しながらそう言うと、グリムナはばつの悪そうな顔をした。
「力で争いを鎮めておったら、恨みの連鎖はいつまでも続いてゆく。誰かがどこかで許すのか、逆に相手を皆殺しにするのか、そうしなければ争いは終わらん。」
「しかし、理屈ではそうでも、現実にはうまくいきませんよ……誰もが自分のことで手一杯だ。相手を思いやる余裕なんてない。」
自嘲気味にそう笑いながら言うグリムナに、ネクロゴブリコンは彼の瞳を覗き込んで言った。
「お主がやってみんか?」
唐突な言葉にグリムナは言葉を失ったが、ネクロゴブリコンはさらに言葉をつづけた。
「この世界から争いを無くすんじゃ。お主ならできる、いや、お主にしか出来んじゃろう……」
「しかし、俺には何の力も、ありません。回復魔法が使えるだけです。そんな俺に、世界を変える事なんて……」
壊滅したオークの集落を目の前にしてグリムナは無力感にさいなまれた言葉を吐くが、それでもネクロゴブリコンには何か考えがあるようだった。
「それでいいんじゃ。それがいいんじゃ。その回復魔法と、膨大な魔力、それにもって生まれた心の柔らかさ。そういった者こそが世界を救うのじゃ。いいから儂について来い」
ネクロゴブリコンの言葉に、グリムナは戸惑いながらもついていく。普通に考えればモンスターの口車に乗って森の奥についていくなど正気の沙汰ではないが、彼の言葉には矛盾や嘘は感じられなかったし、何よりいざとなれば剣や魔法ではラーラマリアやシルミラにかなわないものの、体力、逃げ足や回復魔法には自信があった。要は、いざとなれば逃げられる自信はあったのだ。
ネクロゴブリコンについていくと、森の奥に入っていき、やがて崖下にある小さい洞窟に入っていった。洞窟の中は簡素な藁を適当に積んだだけのベッドと物書きに使用しているのか、いかにも適当に作ったような机といす、それくらいの最低限の家具だけが置いてある生活空間であった。おそらくここが今のネクロゴブリコンの仮住まい、という感じなのだろう。腰を据えて住んでいる、という感じではなさそうだ。
「まず、お主は回復魔法以外は使えないのか?」
洞窟に入るとすぐにネクロゴブリコンが質問してきた。グリムナは回復魔法しか使えないこと、そしてほかの魔法は練習したことはあるが、全く使えなかったことを話した。
「まず魔法というものは……」
そう言いながらネクロゴブリコンが壁に向かって2メートルほど離れた位置から炎の魔法を放った。その魔法は手から出てすぐはこぶしほどの大きさであったが、壁にぶつかるころにはクルミほどの大きさにまで小さくなり、小さく音を立ててから壁にぶつかって消えた。
「手から放たれた時が一番強い。そこから離れるにつれ、空気中では減衰を続け、やがて消えてしまう。」
ネクロゴブリコンの話をグリムナは頷きながら聞く。彼は魔法の講義を受けたことはないが、このことは感覚的に理解していた。彼は普段回復魔法を使うときは患部に直接手を当てて魔法を当てているが、少し離れた位置でも魔法の力は弱まるが効果はあることを知っている。
「この特質を理解し、直接対象物に手を当てて魔法を放つと、爆発的な力を発揮できる。ここまでは一般的に知られていることじゃな。」
「ああ、確かそれを戦闘に利用しているのが魔戦士とか魔闘士とか呼ばれる連中だっけ?でも俺は回復魔法しか使えないから意味がないと思うけど。実際攻撃魔法と違って回復魔法は元々味方にかけるものだから、今でも直接触れて魔法をかけてるし……」
グリムナが結論を急ごうとするが、ネクロゴブリコンはにやりと笑ってそれを制止した。
「まあ待て、話はまだ終わってはおらん。話は変わるが、回復魔法というのはただ傷をいやすだけではない。痛みや苦しみを和らげるため、脳内麻薬を分泌させる効果があるのだ。」
「へぇ、それは初めて聞いたな……でも、言われてみればみんな回復魔法をかけられると急に落ち着いた、穏やかな表情になるな……そういう効果があったのか……」
一人納得した表情をしているグリムナにネクロゴブリコンは満足げな表情を見せてから、さらに話し始めた。
「そしてじゃな、回復魔法の出力を爆発的に上げるとじゃな、この脳内物質を一気に噴出させ、強烈な快楽と多幸感を対象に味わわせることができるのじゃ。そうするとどうなるか、人は他者と争ったり命を奪ったりという無益な行動をむなしいと感じ、闘者は戦意を喪失し、悪人は改心する。
これを専門用語で『賢者タイム』と言う。」
「………」
ゴクリとグリムナが固唾を飲み込んだ。
「そ…それは脳みそは大丈夫なんですか…」
グリムナの心配も当然の事であろう。今のネクロゴブリコンの説明、よくよく理解してみれば脳みその中に手を突っ込んで引っ掻き回すような荒療治である。そんなことをして争いを収めたからと言ってそれが平和的解決といえるのだろうか。
「それにですね。回復魔法は元々直接触れてやってるんですよ?それ以上に出力を上げる方法なんてないのでは……?」
グリムナの疑問も尤もではあったが、ネクロゴブリコンはこれに『ニヤリ』と笑みを見せて言葉を発した。
「その方法は……ある!」
自身に満ち溢れたネクロゴブリコンの表情にグリムナが真剣な顔で聞き入る。
「……それは……粘膜の接触じゃ!」
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