第368話 ニブルタ

「こうして人の姿で会うのは初めてですね。はじめまして、ヤーンの父親、ニブルタです」


「あんたは……あの時のレイス!!」


 男はフフ、と不気味に笑って見せた。カルケロの自宅に幾度となく訪れていた怪異、そして彼女がヴァロークに殺害された際、『ヤーンを助けてくれ』というメッセージをヒッテに託したレイス。まさしくその男だった。


「ホントだ……実在してる人間だったんだ、あのレイス。てっきり幽霊かなんかだと思ってた」


 以前グリムナ達の前に現れた時は確かに実体ではなかった。最初は赤子を抱いた女の姿で現れ、次には今と同じ姿で現れたが、グリムナに手首を掴まれると何もない空中に消えた。


「ふふ、幽霊などというものはこのニブルタも見たことがありませぬな。人に話しかけるのは生きた人だけに御座ります。アレは、ニブルタの意識を飛ばし、幽体を離脱したものに御座います。その節は、世話になりました」


 この言葉を聞いてグリムナは暗い表情になった。カルケロの死の真相に迫り、ヤーンを見つけ出し、あと一歩で助け出すというところまでいったものの、しかし結局彼を見殺しにするしかできなかった。


「そう暗い顔をなされますな。あなたは自分に何の得もないのに力を尽くし、息子を助けようとしてくださった。その気持ちだけで十分に御座ります。それに……」


 ニブルタは自分の胸をトン、と叩いてみせた。


「息子は死んでなどおりませぬ。これ、ここにおりまする。肉体は死んでも、魂は生き続けるのです。人々に忘れられた時、人というものは本当に死ぬのです」


「いやいやいや、おかしくない? さっきは『幽霊なんていない』みたいなこと言ってたじゃん!」


 納得できないフィーが声を上げるとニブルタは笑って返す。


「肉体を失えば人は死ぬ。そして誰の胸の内にもいなくなった時、もう一度死ぬのです。一度死んだ人間は世界には触れず、ただ、記憶だけが残り続ける。そして……」


 ニブルタはゆっくりと手を伸ばし、そしてフィーが右手に持っていた、リヴフェイダーから受け取った石をとった。


「あなたが、ヤーンをここへ持ってきてくれた……」


「その石、やっぱりヤーンの亡骸の一部だったのね」


 メルエルテはどうやら例の石がなんであるかを理解していたようであった。だからと言ってそれを『どう使えば』よいかは分かっていなかったようだが。


 ニブルタは石を胸の辺りに寄せ、静かに目を閉じた。


「そうか……歌の秘術を使って変身を……グリムナ君、きみは最後まで助けようとしてくれたのだね……」


 目をつぶったままニブルタは小さく呟き続ける。グリムナはその光景からなんとなく何が起きているのかを理解した。ヤーンの遺骸の一部から、彼の生前の記憶を読み取っているのだ。


「ヤーンの遺骸が、あなたに語り掛けてきているんですか?」


 ヒッテが訪ねるとニブルタは首を振った。


「君はイウスの娘だね。血が薄まっているので、分からないか」


「イウス?」


 グリムナが聞き返すと、ニブルタではなくヒッテが答える。


「ヒッテの、お母さんの名前です」


 ヒッテの母はどこかで奴隷商人か傭兵に捕まり、オクタストリウムで奴隷として売られていた。そのイウスを何者かが孕ませ、生まれた子供がヒッテである。ヒッテはコルヴス・コラックスと普通の人間の混血なのだ。


 そして、ヤーンは幼い頃、やはり同じようにどこかで攫われて、奴隷として売り飛ばされたところを、のちに母親代わりとなるカルケロに助けられたのだ。


「コルヴス・コラックスって捕まりまくりね。ちょっと警戒心薄いんじゃない? ヒューマン同士で遊んでる分には知ったこっちゃないけどさ」


 メルエルテがつまらなそうな表情でそう言うと、ニブルタは苦笑いした。


「いかにも。それゆえここ最近は結界を張って余所者が入らぬように、村人が出ぬように、気を付けていたのです」


 ニブルタは言葉を区切り、グリムナの方に向き直って語り掛けた。


「しかしあなたは息子の恩人だ。是非里に招きたい。こんなところで立ち話もなんですので、ニブルタの里に来てください」


 グリムナは彼の物言いに少し引っかかるところがあった。


「あなたの……? あなたは里長なんですか? もしそうだとしても、他の村人の了承も得ずに余所者を入れたらわだかまりができるんじゃ……?」


「通じておりますゆえ、里の皆も分かってくれます。それに、ニブルタの里にはおりませぬ。どうぞ、案内します」


 にこりと笑いながらニブルタはそう答えると、背中を見せて歩き始めたので、いまいち納得いかないながらもグリムナはついていくことにした。


「ぐ、グリムナさん、本当にいいんですか? 信用して……罠かも」


 ヒッテはそう言ったが、しかしグリムナはこれが何かの罠だとは思えなかった。彼は、間違いなくコルヴス・コラックスだと思えた。あまりにも事情を知りすぎているからだ。グリムナ達以外は誰も知りようのないことまで知っている。


 無言でニブルタの後を追って歩き続ける中、グリムナは考え事をしていた。


 一つは彼らの事。ヒッテは自分のことを名前で呼ぶ。初めて会った時、それは彼女が幼いからだと思っていたが、しかしよくよく考えればその時ヒッテは12歳である。一人称を自分の名前にするような年齢ではない。


 それにヤーンも同じように一人称が自分の名前だった。そして今目の前にいる彼の父親、ニブルタもだ。おそらくはヒッテの母親、イウスもそうだったから、ヒッテもそれを真似て名前で自分自身を呼んでいたのだろう。これが彼らの文化なのだ。


 もう一つ、てっきり彼はコルヴス・コラックスが起こっていると思っていた。


 ヤーンがさらわれ、イウスがさらわれ、ヒッテはこの年まで一度も故郷を目にすることがなかった。他のヒューマンに対して怒りを燃やしているのではないかと思っていたのだが、しかしニブルタは怒るどころかグリムナに対して感謝の意を示していた。


 尤も、彼以外の村人がどう思っているのかは分からないが。


 『里長がいない』というのも気になる。


 長がいないのならば、他所の者と交渉するときには誰が代表になるのか。いや、それは森に引きこもっている連中なのだから不要なのかもしれない。


 では、村人同士でいさかいが起きた場合はどうするのか? たとえば『余所者を村に入れるか入れないか』、今回のような話が出た場合である。


 確かに身分制度の全く存在しない部族というものも存在する。


 たとえば北米のネイティブアメリカンには『酋長』という役割の身分が存在するが、これは『族長』でも『里長』でもない。身分が上なのではなく、集落でもめ事が起こった時に話をまとめる役目を持つ機関である。


 大抵は集落毎に気風のいい、公平な判断の出来る者がその役目を勤め、世襲制でもない。集落の代表ですらない。


 これを理解できない欧州人が『酋長と話を着ければ集落の総意だろう』と考え、大いに衝突の元となった歴史がある。


 だがニブルタの話だとその『酋長』すらいないようなのだ。


 「通じているから問題ない」とも言っていた。


 普通に考えれば、閉鎖されていた里に余所者を入れるなど、もめ事の種にしかならない事案だ。それが何故問題ないのか。


 『通じている』とは、皆すでにこの事態を知っているということだろうか。


 グリムナ達が来ることを知っていて、すでに話し合いを済ませているということだろうか。疑問は尽きなかった。

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