第243話 レイプ目

(まずい……これは非常にまずいッス)


 レイティは追い詰められていた。


 グリムナは牢番のアヌシュのために祈るようなしぐさをすると、ゆっくりと立ち上がった。まだ現れてから一度も言葉を発していないのが妙な迫力を感じさせる。


(なんで……なんでこんなところにグリムナが……? 確かに裁判の時にここへは来ているけれども、そもそもあの時は自由に歩き回るなんてことできなかったはず! いったいどうやって案内もなしにフィーさんの居場所を知ったっていうんスか……裏切り者が……?)


 レイティからは近くにアムネスティとヒッテがおり、その先にはフィーが囚われていた部屋があり、そこにカマラとグリムナがいる。彼女が逃げ道を探そうと反対側の通路に目をやるとそこにはレニオとバッソー、そしてもう一人、赤い装束に覆面の男がいた。どうやら服を破かれているようで、恥ずかしそうに胸の辺りを隠している。


(ファング枢機卿……ッ! あのボンクラ!!)


「なるほどな……大体状況は分かった……人の命を、いったい何だと思っているんだ……」


 とうとうグリムナが怒りの表情を見せつつレイティを睨む。


「利害関係のあるフィーだけでなく、何の罪もない牢番まで殺害する……貴様に、人の血は流れていないのか!」


「!?」


 一瞬何を言われたのかが分からずレイティが呆気にとられる。


「あ、いや……」


 同様に呆気に取られていたカマラが慌ててグリムナの発言を訂正しようとしたが、しかしそれを許さぬ者もいる。


「そうよ! もはやあなたの凶行を見逃すわけにはいかないわ!!」


 アムネスティである。


「この……くそアマ……」


 それは心の奥底から湧き上がる様に出てきた、レイティの偽りならざる本音の罵倒であった。


 確かにグリムナはレイティのフィーへの凶行を目の当たりにしている。その場の流れを知らないため、アヌシュの殺害についてもやはりレイティの犯行だと勘違いするのも仕方ないのかもしれない。それは仕方ない事なのだ。間違いは誰にだってある。


 しかし、その勘違いに便乗しやがった奴がいる。


 しかもだ。その発言の内容がさらに悪辣だ。レイティの行動を『凶行』とだけ表現し、アヌシュの殺害に関しては特に言及していないのだ。もし後からグリムナにアヌシュを殺害したのがアムネスティだとバレても、最悪『嘘はついていない』と言い逃れができるのだ。どこまで浅ましいのかこの女は。


「あんまり女にするのはレーティング的に気が進まないが、もはや、俺の『魔法のキス』で更生をさせるしかあるまい……」


「へ? キス?」


 レイティがぽかんとした表情を見せる。グリムナの『魔法のキス』のことについては知っている者は少ない。当然レイティはそれを知らない。この状況で、なぜ自分がキスをされなければならないのか、それが当然分からないのだ。


「そうじゃ、グリムナ! お前のねっとり濃厚キスでその女に分からせてやるんじゃ!」


 バッソーも遠くからグリムナに声援を送る。


「頑張ってグリムナ! あなたの舌入れカラミティキスで改心させてやるのよ!」


 レニオも同様にグリムナを応援する。レイティは意味の分からない展開におろおろするばかりである。なるほど確かに事情を知らない人間からすれば怒りのグリムナがキスをしようとするのも意味不明であるし、それを仲間が応援するのも意味不明である。意味不明というか、恐怖である。


 レイティは今度は女性陣に視線をやる。


「グリムナ、ぶちゅっとやっちゃってください。こんな非道な女、もう唾液交換しか更生する方法はありません」


 ヒッテが物騒なことを言ってグリムナを煽る。


「いっそのことケツの穴にぶち込んでやってもいいわよ! 私の仇をとって、グリムナ!」


 フィーも同様に不穏な発言をする。というか彼女は牢番のことについては顛末を知っているはずなのだが。ちなみにアムネスティは気まずそうに冷や汗を流しながら視線を逸らすのみである。我関せずの構えなり。そう、ここにレイティの味方になるものはいないのだ。男性にも女性にも。


(あっ……)


 レイティの瞳から光が消え、みるみるうちに絶望にその色を染める。


(あ、ボクここでこれから犯されるんスね……)


 レイプ目である。


 がくり、と膝をついて、レイティは無表情のままさめざめと涙を流した。


(やっぱり……世界は残酷なんスね。ボクの味方なんてどこにもいやしない。男たちだけじゃなく女の人まで……人権騎士団だってボクを助けてはくれない。これから穴という穴をいいように犯されてボロ雑巾みたいに打ち捨てられて死ぬんスね)


 レイティは涙を流しながら、これまでの人生を省みていた。


(短い上につまんない人生だったッスね。戦争で両親を亡くして、奴隷として売り飛ばされて……ろくなことがなかったッス。ああ、でも、ヴァロークに入って人類への復讐のために動いてるときはちょっと楽しかったッスね。ウルクさん、あとは頼むッス)


「ちょ、ちょっと待って」


 声を上げたのはグリムナであった。


「いや、ええと……この子、レイティだっけ? が、フィーを殺そうとして、その……アニャル?」

「アヌシュです」


 ヒッテがすぐに訂正をする。どうやら『ケツの穴みたいな名前』という感じで覚えていたようだ。


「そう、そのアヌシュさんを殺したんで間違いないんだよね?」


 そう言ってグリムナがあたりを見回すと何故かカマラはその場にいなかった。事情を知っているはずのアムネスティの方を見ると、彼女はなぜか気まずそうに視線を逸らすのみ。

 グリムナは予想していたのと違った、人生を諦めきったようなレイティのリアクションに違和感を覚えたのだ。殺人鬼が現場を押さえられたからと言ってここまで絶望するだろうか、と。


「いや、アヌスを殺したのはレイティじゃないわよ」

「アヌシュです」


 ヒッテが即座に訂正するが、フィーがグリムナの問いかけに答えた。どういうことか、とグリムナはフィーの方に視線を遣るのだが、しかしフィーも『ん~』と考え込んでしまって答えあぐねている。どうやら、アムネスティの手前本当のことを言っていいのかどうか悩んでいるようだ。


「えっとねぇ、アスホーを殺したのは、アムネス……」

「グッ、グリムナ、フィーさんを助けに来てたのね!」

 ヒッテが訂正を入れる間もなくアムネスティが言葉を遮った。


「アムネスティがアナリュさんを殺……」

「私ね! フィーさんが捕虜になって拷問を受けてるって聞いて、いてもたってもいられなくって! 何とかして彼女を助け出したくって夜中に彼女を訪ねてきたのよ!」


(なんかよく分かんないけど……ボク、助かったッスか……?)


 座ったまま一部始終を見ていたレイティも状況は掴めなかったが、しかし自分がどうやらレイプの危機は脱したことは気付いたようだった。アムネスティはよほどグリムナに殺人の事を知られたくないようだ。


「そうか……ありがとう、アムネスティ。君のおかげで助かったよ」

「ぐうっ!」


 グリムナに柔らかい笑みでそう言われてアムネスティは苦しそうに胸の辺りを押さえる。誇らしい気持ちとほのかな恋心、そして、巨大な罪悪感。


(とにかく、揉めてる今がチャンスッス。今のうちにここを脱出して……あ、でも、どうしよう? ウルクさんとラーラマリアはまだターヤ王国だし、このままじゃフィーさんに逃げられちゃうッス……この場を収めるには……どうすれば?)


 レイティが考えを巡らせていると、どかどかと大勢の男たちが走り寄ってくる音が聞こえた。それも四方八方から。


「しまった! 騒ぎが大きくなりすぎたか! 衛兵達が集まってきたようじゃ」


 バッソーの言葉にグリムナがあたりを見回すと、四つ辻の全ての方向からグリムナ達を取り囲むように衛兵がわんさと押し寄せてくる。その中でもひと際目を引く人影があった。


 一人はカマラ。彼女の外見は別段人目を引くようなものではないのだが、しかしその後ろにいる人物は異様の一言であった。


 身の丈2メートルを越える巨躯に丸太の様な腕と足、岩の如き相貌には張り付いたまま離れなくなったデスマスクの様な笑み。


 大司教メザンザである。

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