第244話 あざ申す

「だっ、大司教猊下!? なぜこのようなところに?」


 ズンズンと重量を感じさせる足音をさせて現れたメザンザにアムネスティは恐怖の声を上げる。大司教メザンザは彼女がこの世界で恐れている数少ないもののうちの一つである。


「私が呼びました……この非常事態、上司に報告しなきゃとは思いましたけど、団長はあんな状態だし、だったら上部団体でもある教会の長に連絡するのが筋かと……」


 恐ろしく冷徹な口調でそう説明したのはカマラである。おそらくは、これが彼女なりの復讐なのだ。殺された恋人、アヌシュの恨みを晴らすべく、権力や腕力ではかなわないアムネスティを追い詰めるため、いっその事騒ぎをできる限り大きくしたのだろう。


「ホウ・レン・ソウ……見事な……」


 グリムナの口から思わず感嘆の声が漏れた。


 ホウレンソウとは鉄分たっぷりの某恋柱の髪の毛みたいな色の野菜の事ではない。社会人がまず最初に覚えなばならない基本にして奥義、報告・連絡・相談の事である。これがまともにできな部下や、しづらい空気を作る上司は事態を悪化させる無能として会社でまず爪弾き者となる運命なのだ。


 そして、そんなできる女、カマラがよりにもよってこの国の元首にして教会のトップ、大司教メザンザを連れてきてしまった。グリムナにとってもアムネスティにとってもこれは最大のピンチである。


「召し捕れい!」


 メザンザの号令と共に衛兵が一気に押しかけてくる。フィーはメザンザに対し魔法を唱え、炎の壁を出現させて足止めをする。その間にグリムナは一番手薄で近くに立てこもる場所のある、フィーがとらえられていた部屋に向かって突き進む。


 途中衛兵がいるが、狭い通路では長物の剣は振り回しづらい。即座にグリムナは懐に入り込んで魔法のキスをかます。


 一人、二人、と連続でキスをし、死角から襲い掛かろうとするものはヒッテが関節を極め、キネマティック制御により敵の体を遮蔽物として別の敵の攻撃をかわす。


「退いておれぃ……」


 恐ろしく低い声と共にメザンザが左を前とした半身に構える。深く腰を落とし、十分に押し込んだばねの様に体を小さく強張らせ、そののち一瞬ではじけるように体を反転させながら順突きを繰り出す。それは何物をも狙った攻撃ではなかったが、しかし恐るべきことにたったその一撃でフィーの繰り出した炎の壁はかき消されてしまった。


「う、うそ!? 拳圧だけで? 化け物じゃない!」


 恐怖を感じたフィーがさらにメザンザに向かって炎の矢を放つが、しかしこれもメザンザの中段下払いで撥ね退けられる。周りにいる衛兵はフィーの魔法におろおろするばかりである。何のためにいるのか。

 しかしそうこうしているうちにグリムナはフィーが元居た部屋に入って立てこもりの姿勢を見せる。


「フィー、そいつは強い! 早くこっちに!」


 グリムナがそう言ってフィーの手を引っ張る。ドアを閉めて部屋の中にあったベッドで押さえてバリケードにしたが、ドアが外開きだったためドアとベッドを挟んでのにらみ合いとなった。


「グリムナ、まずいぞい、この部屋には窓がない!」

「ここ私が監禁された部屋だもん、当たり前じゃん!」


 もはや現場は大混乱の渦である。グリムナとしては一瞬部屋に立てこもって、バリケードで敵が手間取っているうちに窓から脱出、と考えていたのだが、逃げ込んだのがよりにもよって窓のない牢部屋であった。牢であるためそれなりに堅牢なつくりであったが、ドアは外開きなので空きっぱなし、現在はベッドを乗り越えて入ってこようとする衛兵をグリムナが各個撃破して気絶した人間をとしてこらえている状態である。


 うずたかく積まれた人垣はもはやドアを完全にふさぐほどであるが、しかし脱出の方法がない。現在部屋の中にいるのはグリムナ、バッソー、フィー、ヒッテ、レニオの5人であるが、その誰もが石壁を破壊するほどの膂力も魔力も持っていない。


「ど、どうする!? いっそのこと一気にメザンザにとびかかって大将をやるか……あ、でも俺のキスは『悪』にしか効かないし、今回の件、どう考えても不法侵入した俺達の方が悪だよな……」


 グリムナが独り言をぶつぶつと言いながら考え込むがやはり答えなど出ない。そうこうしているうちに人垣にしている衛兵の体が一人、また一人、とドアの外に引き抜かれていく。


「フィー、バッソー殿、どうにかして魔法で壁を抜けないか、トライしてくれ。俺は入り口を押さえる」


 そう言ってグリムナはドアの方に向かって半身に構える。『人垣』が除去されてしまうのなら、いくらでも人垣を増やしてやる、そう意気込んでの構えであったが、しかし人垣を引き抜いているのが何者なのか、それが判明して彼の顔面は蒼白になった。


 一人一人引き抜かれていく人垣、それを行っているのは複数の衛兵が力を合わせているのではなかった。この男が、たった一人で引き抜いていたのだ。


 グリムナの視界に入ったのは、まさしく岩の化身ではないかと思われるような筋肉のかたまり、存在感の暴力、圧倒的質量兵器、大司教メザンザその人であった。


 グリムナはメザンザのその戦力が如何ほどか、それは知らないのだがしかしあの外見を見ればただ者でないことは分かる。それに先ほど拳圧だけでフィーの魔法を打ち払ったばかりだ。


「見事なり、グリムナ。されど無駄な足掻きもこれまで。おとなしくお縄をゲットせい」


 グリムナはゆっくりと両手を顔の横に上げ、アップライトスタイルに構える。


「悪いが、挑戦もせずに諦めるのは性に合わなくってね……」


 グリムナの言葉に、メザンザはニヤリ、と笑みを見せて構えをとった。後ろに重心を置くいつものスタイルではあるが、若干腰が高い事から攻めの姿勢を感じさせる。グリムナはこの男を、宗教家ではあるものの、武人であると考えていた。だからこそ、一対一の申し出にも応じるであろうと。


 そして、隙を見てキスをキメて、無力化した後に人質にして逃げることができれば、とも考えている。


 その策が全くないわけではない。二人は今ベッドを挟んで対峙している。つまり相手に肉薄しようとすればベッドを乗り越えなければならないのだ。グリムナは基本的に敵を『強く』見立てる。今回も同じだ。


 メザンザがフィジカルだけのでくの坊ではなく、武術の達人として見積もっているが、しかしそれでもそういった修練を積んでいる人間ほど不測の事態に弱かったりするものだ。

 例えば極端に高低差のある地形での戦い。


 グリムナが仕掛けようとしているのはまさにそれである。ベッドは膝より少し高いくらいの高さがある。メザンザがこれを乗り越えようと上に立った瞬間、身を低くして敵の制空圏から離脱、ベルドと戦った時のように足首をとって関節を極め、バランスを崩したところにキスか、竜牙肛突衝を極めてやろうという心づもりであったが。


「司教になってからというもの、まともに手を合わせようというもの居らず、退屈しておったところじゃ」


 すうっ、とメザンザがゆっくりと足を上げて膝を曲げる。


「あざ申す(あざまーす)」


 当然その上げた脚でベッドに乗るものと思われたが、違った。


 次の瞬間轟音と共にベッドが爆発四散したのだ。


 下段蹴り。


 下段回し蹴りではない。


 膝を曲げ、腰の高さまで上げ、前方下側に体重を乗せて真っ直ぐに蹴りぬく。相手の膝を破壊したり、倒れている相手への追撃として使う蹴りであり、金的蹴り、後ろ蹴りと並んで空手に於いて最強の破壊力を持つ蹴りである。


 その最強の蹴りが、グリムナとメザンザの間にあったベッドを木くずと変えたのだ。散弾の如く降り注ぐ木片を受けながら、グリムナはすでに体勢を整えて踏み込んでくるメザンザを目視。


 順突きが来る。それを確認してグリムナは左手の内掛け受けで外にそらしながら右拳の突きの体勢に入るが、それよりもまだメザンザのさらなる追撃が早かった。


 一瞬怯んだグリムナにメザンザの頭突きが飛んでくる。怯んでいなければおそらくこれを下顎部に受けて絶命していたであろう。頭突きはグリムナの胸をとらえ、彼の体はシャチに弄ばれるオタリアの如く壁に叩きつけられ、気を失ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る