第245話 ネクロゴブリコンからの手紙

「ぐっ……」


 小さいうめき声と共にグリムナが目を覚ました。どうやら仰向けに寝ていたようで、まず最初に視界に入ってきたのはヒッテの心配そうに見降ろす顔であった。


「大丈夫ですか、グリムナ……?」


どうやらグリムナはヒッテに膝枕してもらっていたようだ。気まずさを感じて上体を起こそうとするが、激痛が胸に走って力が入らない。


「無理しないで、グリムナ」


 ヒッテはそう言って苦悶の表情を浮かべるグリムナを優しく抱きしめる。子供から少女へと成長しようとしている柔らかいふくらみの感触に戸惑い、グリムナは頬を染めた。なんとなく、垂れ下がっている彼女の髪に触れてみる。ケアなどしていないはずであるが、するりと柔らかい肌触りであった。彼はシルクなど触ったことはないのだが、きっとこんな手触りなのだろうな、と思った。


「おうおうおうおう、みんなの見てる前で見せつけてくれるのぅ」

「あっきれた……この非常時に盛ってくれちゃって。こっちゃつかまったり拷問されたりで大変だったっつーのに」


 バッソーとフィーのいちゃもんを受けて、グリムナとヒッテは気まずそうに頬を染めた。


 そこでやっと、そうだ、メザンザの最後の攻撃、頭突きを胸に受けて気を失ったのだ、とグリムナは思い出した。ゆっくりと呼吸を落ち着けてグリムナは自身のけが、おそらく折れているのであろう胸骨に回復魔法をかける。


「よかった、目を覚ましたのね、グリムナ」


 気が落ち着いて辺りを見回すとレニオがそう言いながら安堵の表情を浮かべて近づいてきた。どうやら彼らのいる場所は牢屋の中のようだ。それもフィーが捕らえられていたような部屋に監禁されている、という感じではなく、石造りの一つのフロアにいくつもの鉄格子の牢屋がしつらえてある本格的なつくりである。

 誰も繋がれてはいないが、壁にはアンカーで打ち込まれた鎖付きの手かせもある。匠のこだわりを感じる、これぞ牢屋、といった造りである。


「結局牢屋の中に戻ってきちゃったわねぇ……」


 壁に寄りかかって体育座りしていたフィーが残念そうにつぶやく。彼女からすれば前よりも待遇が悪くなって踏んだり蹴ったりである。アムネスティがもう少しまともなら逃げ出せたかもしれないのだが。


「ベアリス様は?」


「え? ベアリス? ステップで別れて以来会ってないけど? グリムナ達と一緒だったんじゃないの?」


 フィーはグリムナの質問にきょとんとした表情で返す。当然、彼女からすれば何故その名前が出てくるのかが分からない。当然、ベアリスはラーラマリアがターヤ王国の革命派に引き渡してしまったからここにはいないのだが、彼らの中にその事情を知る者はいない。唯一それを知ってるのはレイティだけである。


 まあ、いない者の事を考えても仕方ない。牢屋の中でいくら考えをめぐらせたってそれは推察でしかないのだから。それより今は脱出の方法である。グリムナの周りに皆が集まってくる。

 今牢屋の中にいるのはグリムナ、ヒッテ、バッソー、フィー、レニオである。バッソーとフィーは魔法を使えなくさせる拘束具『魔封じの手枷』を着けられている。グリムナとラーラマリアがゴルコークにつかまっていた時に取り付けられたものと同じだ。今はそのラーラマリアが自分達を捕まえるためにそれを使っているのだ。


 ふとグリムナは考える。


 そもそものフィーがさらわれた理由である。ラーラマリアはフィーを助けたくばローゼンロットに来いと手紙に書いていた。ついでにフィーの手紙にはゴリラのホモの事が書かれていた。おそらくそちらは関係ないので今は置いておこう。


 ならばもしやラーラマリアの目的は自分一人ではないのか、グリムナはそう考えて、メンバーの顔を見回す。

 やはり考えてみてもこの中でラーラマリアと確執があるのは自分と、せいぜいレニオくらいである。他の者はとばっちりではないのか、そう考えたグリムナであったが、しかしそれを口に出すことはなかった。


 さて、脱出するためにはどうしたらよいのかとみなが話し合っていると、牢屋に一人の男性が入ってきた。長身に美しい金髪、整った顔立ちに均整の取れた体。フィーがその顔を見て「あっ」と声を上げる。


「久しぶりだな、グリムナ……」


 声の主は聖騎士ブロッズ・ベプトであった。フロアに降りてくる階段の傍にいた牢番に一声かけてグリムナ達のいる牢の前までゆっくりと歩いて近づいてきた。そういえば暗黒騎士団の本拠地はこのローゼンロットである。グリムナはボスフィンでの苦い思い出を頭に浮かべて目を伏せた。


「そう暗い顔をしないでくれ、グリムナ。君に返すものがあって来たんだ」


 そう言ってブロッズが差し出したのは数枚の紙であった。そのうちの一枚に見覚えがあることに気付いてグリムナは声を上げる。


「これ……! 師匠に貰った呪符だ! ないと思ったらお前が持ってたのか!?」


 それは以前にネクロゴブリコンに出会った時に彼にもらった呪符。その呪符を目印としてネクロゴブリコンの使い魔がやってきてメッセージを伝える手はずとなっていたものであった。どうりで一回も使い魔が来ないはずである。いつの間にかブロッズの手に渡っていたのだ。


「すまんな。返そうとは思っていたんだがいつも忘れてて」


 そんなもののついでみたいな言い方をされても困る。他にある数枚の紙はいずれもネクロゴブリコンからの手紙であった。


 一枚目の手紙にはヤーンがオクタストリウムの首都ボスフィンにいることが書かれていた。


「この手紙があるってことは、森の中で遭遇した時、あの時転がりまわったりしたから呪符がブロッズの荷物に紛れ込んだんだな……」


 そう、森の中でブロッズと遭遇して戦闘になった時、あの時に呪符が彼の手に渡ったのである。結果的にはヤーンの情報はブロッズから得られたので何の問題もなかったが。


 グリムナはさらに他の手紙を広げてみる。元々ヤーンの居場所が分かったら連絡するためにと持たされて呪符であったが、その後も手紙は届いていたようだ。


「ええと、なになに? ……ラーラマリアと教会がお前の命を狙っている……ああ、この情報が事前に分かってりゃ対処できたかもしれないのにな……」


 さらにグリムナは次の手紙を見てみる。ブロッズは少し気まずそうな表情を見せている。


「そろそろ夏も近くなってきて食中毒が心配だから、生水だけには気を付けるように。今年の夏は暑くなりそうです。熱中症にならないように水は小まめにとってください。喉の渇きを感じた時ではもう遅いそうです。それでは、お体に気を付けて」


 グリムナは思わず鼻梁を押さえて天を仰ぐ。なんなんだこの一人暮らしの息子に宛てた母親の手紙みたいな内容は。さらに言うならこの手紙が本来届けられる筈だったころ、グリムナは見事に生水にあたって食中毒になっていたし、水分の摂取に失敗してケツの穴から汚水を飲む羽目になっていたのだ。

 グリムナはまたぺらり、と次の手紙を広げる。いったい何枚あるのだろうか、この手紙は。意外に筆まめなゴブリンである。


「お忙しいのは分かりますが、それでも一言くらいお返事の手紙があってもよいと思います。使い魔にそのまま手紙を持たせてくれれば私に届けられます。便りがないのは元気な証拠とも言いますが、とても心配しております……」

「めちゃ怒ってますね、お師匠さん……」


 ヒッテの言葉にグリムナは思わずこめかみを押さえて俯く。意外に面倒くさい性格のゴブリンであった。だが、仕方なかったのだ。グリムナは早々に呪符をなくしてしまっていたのだから。

 ブロッズは妙にせわしなくうろうろしながら視線を彷徨わせている。グリムナは最後の手紙を開いた。


「ねえ、なんで返事を出さないの? 返事くらいすぐ書けるよね? なんで書かないの? なんで? なんで? なんでなんでなんでなんで?」


「ヤンデレ化しとるやんけ……」


 グリムナは両手で顔を覆って天を仰いだ。

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