第185話 罪は許される

 その日、グリムナは日がな一日ボーっと窓の外の景色を見て過ごしていた。宿の外を少しだけ歩き回るような散歩もしたが、その村でも最近は、特に夜になると酷いのだが、物々しい雰囲気が続いており、マフィア同士の抗争やら、耐えかねた村の自警団の焼き討ちやら、非常に治安が悪い状態が続いている。もはやこの国は内戦状態に突入しているといっても差し支えないほどである。


 もうこんな状態が一週間も続いている。グリムナはずっと考え事をして静かに過ごしている。自らの行動の自省と、後悔の念で物思いにふけりながら。


 あの後逃げるようにしてグリムナ達はボスフィンの町を後にした。少し、考える時間が必要であった。これからの旅のことも、そして彼の心の中にも決着をつける必要がある。そのためにはあの町の喧騒は邪魔であったし、それ以上に危険であった。


 ヤーンが暴れたことによりボスフィンの守護隊は壊滅状態、そして、メキの一家の騒動を引き金として始まったガラテアファミリーとメッツァトル商会との抗争。ノウラ・ガラテアが何者かに殺害されたことによりメッツァトル商会が優勢かと思われたが、このまま町の覇権を奪われてはたまらない、とロイコンボも抗争に参加してきた。三大マフィアの抗争はすでにオクタストリウム共和国全土に飛び火し、彼らが今滞在している村とて、すでに普段の平穏な表情は見せていない。


 そろそろ夏も近い。北部よりも赤道に近いこの地域でもまだこの時間は日は高かったが、グリムナが一人で部屋で考え事をしていると、宿の敷地で何やら仕事でもしていたのか、ヒッテが部屋に戻ってきた。他のメンバーは外に出て情報収集でもしているのだろうか、まだ戻ってはいない。


 ヒッテがコップに水を入れて「どうぞ」とグリムナに渡すと、グリムナは覇気のない、小さい声で「ありがとう」とだけ答えてそれに口をつけた。


 グリムナが部屋にあるテーブルに着席してそれをボーっと飲んでいると、ヒッテが隣に座って話しかけてきた。


「まだ考えてるんですか……? ヤーンさんの事」


 ヒッテの言葉にグリムナは答えなかったが、小さく頷いて肯定の意を示す。


「ご主人様は、最善を尽くしたと思いますよ……それに、ヒッテとの約束を守って、ちゃんと帰ってきてくれました……」


 彼女はそう言ってテーブルの上に乗せられていたグリムナの手をぎゅっと握った。彼女からこういった親愛の情を示す行動を示すことは非常に珍しい。彼女も、ヤーンを結局助けることができずに落ち込んでいるグリムナを気遣っているのだ。


「グリムナ……自分を責めないで……」


 ヒッテのその言葉に、グリムナは少し目を大きく開いて驚いた。名前で呼ばれたのは随分と久しぶりである。ブロッズとの戦闘の後以来だった。しかしグリムナはすぐに元の表情に戻って、ヒッテの方を見つめ、真剣な顔で彼女に語り掛ける。


「それは……俺がお前に言いたいことだ。ヒッテ、お前ももう、自分を責めるのをやめるべきだ」


「なにを……急に……」


 突然言われたグリムナのセリフにヒッテは驚きの色を隠せない。彼女にとってはあまりにも唐突な言葉であった。


「ずっと……考えていたんだ。ヤーンの精神世界でお前が言ったこと……『ヤーンは自分と同じ』って言葉の意味を」


 グリムナは改めてヒッテの手を握り返し、少し自分の方に引き寄せながら続きを語る。


「ヒッテ……お前はまだ『こんな世界滅びたほうがいい』って思っているか?」


 そう語りかけられると、ヒッテは気まずそうに視線をそらした。


「俺はずっとその言葉の意味を勘違いしていた。てっきり、お前がこの世界を憎んでいて、こんな世界滅びてしまえって思っているんだと……でもそれは違う。お前が憎んでいるのは、『お前自身』だ。違うか?」


 ヒッテは相変わらずグリムナの言葉には答えないし、気まずそうに視線を外したままである。しかし答えないことこそが答えなのだ。グリムナは自分の考えに確信をもって言った。


「お前が5歳の時に母親が死んだって話は前に聞いたな……それが殺されたのか、それとも病死なのか、それは知らないが、お前が身近にいたのは間違いないだろう。……お前はその時、どうしていたんだ?」


 ヒッテは小さな、消え入るような声で答える。


「もう……いいです」


 しかしグリムナはそれでも言葉を続ける。


「お前は、母親の遺体の傍で……」


「もういいです! やめてください!! こんな話して何になるっていうんですか!!」


 珍しくヒッテが感情を爆発させたような大声で怒鳴った。目には涙を浮かべ、グリムナのことを強くにらんで言葉を続ける。


「そうですよ!! ヒッテはお母さんの死体を目の前にしても、自分の『歌』を使えばよみがえらせられたかもしれないのに! ただ泣いてただけでした!! 助けられたのに助けなかった!! お母さんは、ヒッテが見殺しにしたんです!!」


 そう言い終わると、ヒッテは涙を流しながらはぁはぁと荒い息を吐く。グリムナはそれを見ながら憐れむような、慈しむような、優しい微笑みをたたえていた。上から見下ろすような、人によっては不快感を覚える増長にも捉えられるかもしれないが、ヒッテにとってその表情は、安心感を与えてくれるものであった。

 グリムナ自身も瞳に涙をためていたが、彼はゆっくりと優しい手つきでヒッテの前髪をかき上げて、彼女の頭を包み込むと自分の胸に抱きよせた。


「やっと、飾らない自分の感情をぶつけてくれたな……それでいいんだ。俺達は家族なんだから……」


「ヒッテには……ご主人様の家族になれる資格なんてないです。いざというときに家族を見殺しにするやつなんて……お母さんも、もう死んでこの世にはいない……この罪を赦す事なんて、誰にも……」


 自分を否定するようなことを言うヒッテを、グリムナは強く抱きしめて慰める。


「5歳の子供が、家族の死を目の当たりにして冷静にできるわけがないんだ……それを今のヒッテの価値観で否定するからそんな考えになる。自分の罪を赦せるのは自分だけだ……でも、それを手助けすることなら、できる……俺は」


 グリムナは両手で優しく彼女を抱きしめながら言葉を続ける。


「俺は……ヒッテを許すよ……」


 ヒッテもグリムナの背に両手を回し、抱きしめて、涙をぽとぽとと落としながら答えた。


「グリムナ……どこにも行かないでください……約束してください。ヒッテから、もう、家族を奪わせない、と……」


「ああ……約束するよ。俺は、ヒッテと、ずっと一緒だ」


 しばらくそうして抱き合っていた二人だが、やがてヒッテはグリムナから離れ、鼻をすすりながら椅子に座りなおした。


「フフ……酷い顔だぞ……ほら」


 そう言ってグリムナは自分のポケットからハンカチを取り出して彼女に差し出した。ヒッテはそれを受け取って、涙を拭きながら、テーブルの上に置かれていたグリムナの手の上に自身の手を重ねた。


「もう少しだけ、こうしてていいですか……」


 夏も近い。暖かな陽気の中、部屋で二人がまどろむようにお互いの顔を見つめていると、がちゃり、と部屋のドアが開けられた。


「ああ、本当村は酷い有様ね……」

「本当じゃわい、この国はもう駄目じゃな……」


 汗を拭きながらフィーとバッソーが部屋に入ってきた。フィーはしばらくすると、部屋の中の異様な雰囲気と、重ねられているグリムナとヒッテの手に気付いて、うろたえながら口を開いた。


「え……? あれ……もしかして」


 グリムナが「嫌な奴に見られてしまったな」と思いつつも今更手を重ねていたのを隠すのも気恥ずかしいので、じと目でフィーをそのままにらむ。


「もしかして、ファ……ファックしてた!?」


「お前の性器は手についてるのか」

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