第184話 罪は許されぬ

 『繭』が一瞬光ったかと思うと、あっという間にグリムナを包んでいた触手は木が枯れるように次々としおれ、腐食し、ボトボトと剥がれ落ち、中からグリムナが現れた。グリムナは最初に触手に包まれた時、立ったままの姿勢で現れたが、すぐにその場に力なく崩れ落ちた。

 ヒッテが慌てて駆け寄って彼を抱き起す。


「大丈夫ですか、ご主人様!?」


 ヒッテが声をかけると役立たずゾーンの二人もあわてて駆け寄ってきた。何とかしてポイントを稼ごうと必死である。


「大丈夫……だ……それより、ヤーンは……?」


 グリムナは目の前にいる異形と化したヤーンに視線を送る。動きを止めていたヤーンはパリパリと中心に亀裂が入り、やがてそこからボロボロと被膜が剥がれ落ち始めた。やがて亀裂は全体に広がり、風化した石造りの建物のように中央から崩れ始めると、中からヤーンが現れ、ドサッと落ちて倒れた。

 抜け殻となったヤーンのトロール化した方の体は、朝日を浴びて、醜悪なオブジェのような姿をその場にさらしている。


 グリムナはよろよろと立ち上がり、おぼつかない足取りで彼のもとに駆け寄り、ヤーンの上半身を抱き起した。すぐにヒッテ達もヤーンの周りに集まってきた。


「ヤーン、大丈夫か? 意識はあるか?」


 グリムナがそう声をかけると、ヤーンはゆっくりとその瞼を開いて、いまいち焦点のあっていない目でグリムナを見つめる。グリムナは意識を取り戻したヤーンを見てほっと一息ついた。正直言って彼もヤーンの精神世界の中で心をすり減らし、精神的にも肉体的にも限界が近かったが、それでも自身の行動が報われたのだ、と安心していた。

 ヤーンは震えるような声で、瞳に涙をためながらグリムナに話しかけた。


「本当に……ヤーンだけが生き延びることが許されるんでしょうか……生きて罪を償うことが……できるんでしょうか……?」


「ああ……生きることに、誰の許可もいらないんだ……きっと、罪を償えるさ……」


 グリムナはその問いかけにすぐに答えたが、その時、すぐ後ろから恐ろしく冷たい声が聞こえた。



「許されるわけがないだろう」



 その瞬間、声に驚いてグリムナが振り返るより早く、彼の肩に手がかけられ、同時にヤーンの衣服の襟首を掴み、何者かがヤーンをグリムナから引きはがした。恐るべき膂力でヤーンの体は引っ張られ、即座に彼の心臓にサーベルが突き立てられた。


「クッ……ゴホッ……」


 力を失っているヤーンはそれに抵抗などできるはずもなく、血を吐いた。


 グリムナからヤーンを引きはがし、彼の心の臓をサーベルで突き刺した者、それは聖騎士ブロッズ・ベプトであった。

 彼は、ヤーンの血飛沫を顔に受けながらニヤリと笑いながら言った。


「如何なる理由があろうとも、お前のような悪魔が裁かれないなど、そんな無法が通るものか」


 ヤーンは震える手で、自身を突き刺したサーベルに手を添えながら、最後の言葉を吐いた。


「これで……いいんです……ヤーンは、裁かれるべき……」


 彼の手は、誰のもとに届くこともなく、そのまま力なく落ちた。


「ブロッズ!! 貴様! 何を!?」


 グリムナは怒りの表情をあらわにして彼に向かって叫んだが、しかしもう体力の限界である。立ち上がることも、二人に駆け寄ることもできない。やっとのことでヤーンを見つけ出し、激闘の末、精神世界に入り込み、助け出すことができた、その苦労と決意をすべて無にする暴力を前にして、ヒッテも怒りの声を上げる。


「この大騒ぎの中、一人だけ身を隠していて! 挙句の果てにすべて事が済んでからのこのこと!! 何のつもりですか! この臆病者!!」


 ブロッズはポケットからハンカチを取り出し、ゆっくりとそれで顔についた血をぬぐいながら、余裕の表情で答えた。


「フッ……臆病者、か。えらい言われようだな。しかし私は何も間違ったことはしてはいないぞ? この町の惨状を見てみろ」


 そう言ってヤーンを掴んでいた左手を離し、辺りを指し示す。


「たった一人の化け物がこの町をボロボロに破壊した。マフィアの抗争もまだ続くだろう。この町、オクタストリウムの首都、ボスフィンはもう終わりだ。まさかこれだけの破壊と暴力の嵐を巻き起こしておいて、のうのうと生きていけるとでも? それに……」


 そう言って今度は右手に持っていたサーベルをヤーンの体から引き抜き、ハンカチで血をぬぐってから鞘に納めた。


 そしてゆっくりと、ヤーンの見開いていた瞼を閉じさせてから言葉を続ける。


「彼も『裁き』を待っていたのだ……これで彼は、ようやくゆっくりと眠れる……罪人つみびとが求める物は、その者が善良な心を持っているほど、必要なのは抱きしめる手ではなく、冷たい鋼の剣なのだ……この安らかな表情を見ろ? まさかそんな簡単なことも分からないのか?」


 グリムナはただただ、絶望し、力の入らない右手をグッと握って、黙しているだけであった。


「ともかく、犯罪者の逮捕にご尽力いただき、感謝はしているよ……もうボロボロになってはしまったが、君はこの町の救世主だ……誇るといい」


 そう言うとブロッズはグリムナ達に背を向け、歩き始めたが、何かを思い出したようにもう一度グリムナ達に振り向き、一言付け加えた。


「人を助けるのはいいが、正義の味方というものは公平でなくてはな……そこに私情を挟んでしまったら、今度は私が君を切らねばならなくなってしまう……」


 ブロッズは言い終えた後、高らかに笑うと、今度こそ彼らに背を向けて、この町を後にした。グリムナには、ただその背中を見つめていることだけしかできなかった。

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