第77話 ぬるぬるローションバトル2

「グリムナ~ッ!! 後ろ! 後ろ~ッ!!」


 フィーがグリムナの後ろの方を見ながら叫ぶ。彼が振り向くと、なんと、先ほどから洞窟からあふれ出ていたローションが意思を持ったかの如く大きく盛り上がり、津波のように騎士団の本拠地全体にのしかかろうとしていた。


「うわあぁぁ~!! なんじゃありゃ!!」


 グリムナも驚愕し、悲鳴を上げるが、そのままローションの津波はどばっしゃあ、と本拠地全体に潰れて広がった。幸い本物の津波ほどの質量はなく、グリムナたちも全員その場にとどまり、怪我をしている者はいなかったが、全員ぬるぬるローションまみれである。いったい何が起こったのだろうか。


「肌が少しだけど、ピリピリと痛む……これは、もしかして、スライムが復活してる? スライムの消化能力の痛みじゃないの!?」


 フィーがそう、叫ぶように言った。グリムナが確認すると、確かに少しぴりぴりと痛む。本物のスライムに襲われた時ほどではないが、スライムが復活しかけているように感じられた。魔力も少しだが感じる。


「グリムナ、あんたもしかしてローションの中で回復魔法使った? それでスライムが復活しちゃったんじゃないの!?」


 ……使った。確かに使った。回復魔法を。洞窟の中で、イェヴァンの攻撃を食らって大怪我をした騎士団員を回復させるために都合十回弱ほど回復魔法を使ったのは確かだ。その時に魔力が漏れ出たことは否定できない。しかしだ。しかし、だからと言ってそれでスライムが復活するか、というと彼の経験から言えばあり得ない筈だったのだが。回復魔法が有効なのは相手が生きているときのみである。死んだ相手にかけたところで何の効果もない。


 死んだものを蘇らせる。そんな神の如き御業みわざが人に使えるはずがないのだ。彼もこれまでの旅路、何度も人の命を救えないことがあった。その度に試しているから知っているのだ。死んだ者は蘇らない。この鉄則を崩す方法などないことを。

 しかし彼はふと考える。「それはあくまでも人間のような高等生物の場合なら」の話である、と。実際モンスター、それもスライムのような単細胞、とまではいかないものの、構造の単純な生物に試したことなどない。ひょっとしてひょっとすると、スライムのような生物の場合は乾燥して死んだように見えても、水を得て、魔力を注ぎ込めば生き返るようなことがあるのかもしれない。


 しかし、しかしである。


 ぶっちゃけて言って、今はそんなことどうでもよいのだ。現実は、イェヴァン派と造反組が入り乱れてしっちゃかめっちゃかであり、そこに大量のローションが注ぎ込まれて泥仕合の様相を呈してきているだけなのだ。


 見ると、騎士団員達の内ゲバも、剣で切り合っても刃が滑って致命傷を与えられないので素手での取っ組み合いになりつつある。しかし素手に攻撃方法を切り替えても足の踏ん張りがきかないので殴ったところで大して効かず、絞め殺そうとしてもヌルッと滑って逃げられる。泥仕合どころか試合にすらなっていない。先ほどの洞窟内と同じく、殴った勢いで人が滑り、壁や人に当たってまた跳ね返る、人間カーリングの再現をしているだけなのだ。


「くそっ、どうなってんのよ!」


 フィーが悪態をつきながら周囲のローション、もといスライムを魔法で焼き払う。しかしそれでも量が多すぎる。辺り一面スライムの海なのだ。フィーは剣も魔法も弓矢も使えはするものの、どれも一線級の人材から見ると少し劣る程度の腕である。グリムナのように膨大な魔力を扱えるわけではないのだ。ここにあるスライム達を全て焼き払うことなどできない。

 いや、仮にできたとしてもこの状況でそれをすれば騎士団員も自分達も囚われている村人たちも全て焼け死んでしまう。そんなことは現実的にできない。


 もはや打つ手がない。この盤面は『詰み』である。


 ……いや違う。


 ……違う、逆である。何をどうやっても、もう詰めないのだ。誰も。


「やはり、儂が何とかするしかないか……」


 膠着した盤面を覆す、そんなことができるのかは彼自身にしか分からないが、そう言ってバッソーが歩み出て、ヒッテの前で立ち止まった。


「ヒッテ君、と言ったかな?」


「え……ええ、そうですけど」


 バッソーの急な問いかけにヒッテは少し戸惑いながら答える。


「もはやこの混乱状態を抑えることは誰にも出来ん……儂以外にはな」


 初対面なのに急に馴れ馴れしく話しかけられてヒッテは迷惑そうである。ここからどう話を展開するのか、お前にできるならさっさとどうにかしろよ、という思いである。


「そこでだ……」


 バッソーはちらりとグリムナの方を見る。彼はフィーと何やら言い争いをしている。未だにスライムローションの事で喧嘩しているようである。グリムナがこちらに気づいていないことを確認すると、バッソーは中腰になってヒッテに尻を向け、ローブをめくって尻を見せた。


 このじじい、全然懲りていないのだ。


「儂の尻を、力いっぱい蹴ってくれんか」


「はぁ?」


 ヒッテは言葉に怒りをにじませつつ聞き返す。いったいこのじじいは何を……いや、このくだり、二度目なのでもうやめよう。ともかく、ヒッテはグリムナと全く同じ感想を抱いたのだ。期待に頬を染めて尻を振りながら待つバッソー。ヒッテが辺りを見遣ると、やはり騎士団たちの内ゲバはまだ終わりそうにないし、グリムナとフィーもこちらに気づくことなくまだ言い争っている。


 初対面の相手、それも『賢者』と呼ばれる者である。正直言ってもう少し様子を見たかった。具体的に言うと、ヒッテはもう少しの間猫をかぶっていようと思ったのだ。だが、それもここまでである。出会って数分、その数分でヒッテの怒りはもはや臨界点を迎えたのだ。


「ヒッテはですね……ナメられるのが一番むかつくんですよ……」


(一人称が自分の名前……これはポイントが高いッッ!!)


 バッソーの表情が何かに期待して一層紅潮する。


 一方のヒッテは慎重に足元を確認する。足先で土を掘り返し、ローションを土の下に追いやり、同時に自分の足の裏のローションを落とし、足場を踏み固める。慎重に、である。


「このクソじじい……ド変態め……」


 ヒッテはそう悪態をつきながらトントン、と足場を確認する。しかしそのぶつぶつ言う悪態さえもバッソーを興奮させる材料でしかないのだ。この男の性欲は、宇宙である。


「こいつみたいな変態がゴロゴロいるからご主人様がひどい目に……一撃で『わからせて』やりますよ。二度とヒッテ達の前をウロチョロしたいと思えないように……」


 左足を前に、右足を少し引き、オーソドックススタイルに構えるヒッテ。


 危険である。バッソーは知らないが、グリムナに格闘技術を教えているのはこのヒッテなのだ。ウェイトの大きな差があるとはいえ、足は手の三倍の筋力があるという。十分に力をため、体を纏じ、準備をする。逆にバッソーは緊張と期待で心臓が口から飛び出そうなほどに鼓動を早めている。これから己の身に何が起こるのかもわからずに。


「ヒッテをぉ……」


一気に力を開放するヒッテ。軸足は力み、膝から先は脱力し、鞭のようにしならせる。


「ナメるなぁ!!」


ッパアァァァン!!


 戦闘をしていた騎士団の連中までもが驚いて振り向くほどの破裂音が鳴り響いた。

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