第157話 来訪者
「まったく、なかなか帰ってこないと思ったらあんなところでヒューマンの男を誑かしてるなんて……日が暮れるまでにまだ二つ靴の配達があるにゃ! さっさと支度するにゃ!」
感情の消え失せたたような表情でメキはその母親の声に「はい」とだけ答えて、すぐに配達予定の靴を布に包んだ。語尾のせいでいまいち緊迫感が出ないが、先ほど話した女性はどうやらメキの母親であり、メキは先ほどグリムナと会った時、彼女の家の家業である靴屋の配達の途中であったようだ。
「ったく、ただでさえトロールフェスト前の忙しい時期だってのに、ヒューマンに色目なんて使いやがって……にゃ」
彼女の母親は憎々しい表情でそう呟き、最後に思い出したように「にゃ」と付け加えた。
「何度も言うけど、この町でアタシら獣人が生きていくには、とにかく目立たないことにゃ! そのフードを絶対取るにゃ!」
「分かってるわ……母さん」
「語尾に『にゃ』をつけるにゃ!」
メキはその言葉には答えずに、布に包んだ靴を持ってドアから出て行った。
「ふぅ……疲れた……」
「ワシもくたくたじゃ……」
「私も……しかも何の収穫もないし……」
日も暮れ、全員が宿泊する宿に決めた『イグアの宿』に戻ってきており、「暗くなってから外出することは危ない」という宿屋の女将の助言もあり、宿の一階にある食堂で食事をとっていた。グリムは食事に出された羊の肉をナイフで切り分けて口に運ぶ。羊の肉は牛や豚に比べると臭みが強く、硬いためあまり人気がないが、ここオクタストリウムの国では主食なのかと思われるほど頻繁に食卓に上る。
グリムナ自身は歯ごたえのある肉は好きだし、臭みもあまり気にならないほうなので満足そうにこれを食べている。しかしナイフで切ってもあまり肉汁が出てこないのが不満らしく、フィーはなんだかつまらなそうに食事をとる。
みな一様に疲れ切っていた、延々と山を歩くのとはまた違った疲労である。ただ聞き込みの成果がなかっただけではない。少し裏路地に入れば強盗などの不逞の輩にも気を払わなければならない。そしてそういったところを狙って聞き込みを行っているのだから常に精神をすり減らすような時間であった。一同はそれでも少しの集まった情報を共有し始めた。
バッソーが言うにはこの国の政治形態は共和国であり、一応形式的には議会が民衆の意を吸い上げて政治を行う、という建前になってはいるが、実際には全く違うという。この町、ボスフィンを中心に覇権争いを繰り返している三つのマフィア、すなわち『ガラテアファミリー』、『ロスコンボ』、『メッツァトル商会』が政治、経済、軍事に深く入り込んでおり、その力関係で全てが決まるのだという。
この国の政治はすでに腐敗しきっており、金で全てが決まる世界のだと。
そして、メキもこの町を『悪徳の町』と呼んでいたが、まさしくその通りで、前述の三つのマフィアと金持ち、『持つ者』が『持たざる者』を蹂躙し、搾取し続ける社会なのだと。男は奴隷のようにひたすら身を削って働いてその魂をすり減らし、女は職業があればまだいい方、多くの女は奴隷や娼婦に身をやつし、先の見えない地獄にただただ呼吸をして生きているだけだと。
「まあ、確かに人が身を隠すにはうってつけの町じゃな。特に人から追われてるようなものにとってはな」
バッソーはそう話を締めくくった。
次にフィーが町で調べて分かったことを話し出した。しかしやはり女の、それも性格はともかく容姿だけはいいフィーが独り歩きするにはかなり危険な町であったらしく、聞き込みをしている間、二度も暴漢に襲われ、さらに一度、危うく攫われそうになったこともあったという。ただでさえ美しく、人目を引く顔立ちをしているうえに胸も大きく、スタイルがいい。そのうえ希少種であるエルフ。彼女は確かに歩いているだけで目立つのだ。明日からは必ず二人一組以上で行動しようという事になった。
「そうね……細い路地、太い大通り、どちらも探してみたんだけど、どこにも私の小説は置いていなかったし、そもそも本屋にBLのコーナーがまずなかったわ。噂には聞いていたものの、ここまでBL不毛の地だったなんて。若い女性に声をかけて聞いてもみたんだけど、誰も私のBL本を読んでないし、私がホモの良さをとうとうと語っても『ホモの恋愛なんてキモいだけでしょ』なんて笑いだす始末で……この土地を『教化』するには、なかなか時間がかかりそうね……」
「なんとなく読めてたよ!!」
話をつづけようとするフィーを、テーブルにドンッと拳を叩いてグリムナが止めた。
「そんな気はしてたよ! お前が話し始めた時点で! 何この町のBL事情をリサーチしてるんだよ! しかも何気に自分の小説売り込もうとしてんじゃねーよ!!」
あまりに大きな声を出したのでグリムナは女将に注意された。
「なんか荒れてるわね。つらい事でもあったの?」
「あえて言うならフィーさんのポンコツぶりがつらいのかと……」
フィーがヒッテに尋ねると、彼女はあくまで務めて冷静に答えた。正直言ってフィーのポンコツぶりは今に始まったことではない。
最後にグリムナが彼がメキから得た情報、近々行われるトロールフェストのことを話したが、正直それもヤーンにつながる情報ではない。まさか来た初日に有力な情報が手に入るとは思ってはいなかったものの、あまり実りのない一日であった。彼らは食事を終えて部屋に戻ろうとすると、最初に異変に気付いたのは部屋の鍵を開けようとしたグリムナであった。
「?……鍵が……開いてる」
四人はセキュリティの比較的しっかりした大きめの宿に金を節約するために四人部屋を借りていた。鍵が開いていることに驚いたグリムナであったが、そこまで取り乱してはいない。貴重品は肌身離さず持っていたし、部屋に置いている荷物にも金目のものはほとんどない。しかしまさか初日からこんなことになるとは、出会った初日にヒッテに荷物の持ち逃げかまされたグリムナとしては先が思いやられる。
彼はそのことを小声で後ろの三人に伝えると、慎重にドアを開ける。一番警戒するのは物盗りがまだ室内にいて襲われることである。この中で一番耐久力に優れ、回復魔法の使えるグリムナが先頭になって部屋に入る。何しろ彼は剣で一刀両断されても死なないプラナリアのような男だ。
部屋の中は煌々と明かりがつけられ、特に荒らされた様子もない。それどころか部屋の中央に椅子が置かれ、一人の女性がキセルを吸いながら余裕綽々の態度で足を組んでドアの方に向かって座っていた。
女性はふぅっと煙を口から吐いて、落ち着いた様子で話しかけてきた。
「遅かったわねぇ、グリムナ。食事でもしてたのぉ?」
女性は黒い絹のように光沢のある長い髪に真っ赤なルージュのリップ、それに赤いドレスを着ていた。ドレスはデコルテからへその辺りまで大胆なスリットが入っており、惜しげもなくその美しい胸の谷間を見せつけている。
「だっ……誰……?」
フィーがグリムナの陰に隠れながら彼に小さい声で尋ねる。こういう陽キャパリピは彼女の最も苦手とする人種である。
「ご主人様がまたどっかで誑かした女なんじゃないんですか? この無自覚ジゴロが!」
ヒッテがグリムナのつま先をかかとで踏みつけながら睨んでくるが、当然彼には何も心当たりがない。というか童貞に向かって無自覚ジゴロとは何事か。
「イテテ、俺だって知らないよ。全く記憶にない。もしかしてラーラマリアと旅してた時に助けたどっかの人、とかか?」
グリムナのこの言葉が全く予想外だったように目を丸くした女性は、椅子から立ち上がって両手を広げ、その体をよくグリムナに見せつけながら妙に間延びした声で話しかけてきた。
「あら酷いじゃなぁい、覚えていないっていうのぉ? あんな熱い口づけを交わしたっていうのにぃ……」
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