第247話 竜の魔石

「あらあら、どうしたんですか? あなたらしくもない。急に甘えて……」


 ゲーニンギルグ戦闘大宮殿の一角、その建物も例にもれずやはり派手さはないが堅牢な石造りの建物であった。このヤーベ教国の元首……それはベルアメール教会のトップも兼ねるのであるが……その元首が代々住むことに決まっている建物、司教公邸。その中の一室で安楽椅子に座っている老女の手を両手で包み込むように握り、跪いて祈る様に目をつぶっている男がいた。


 建物の中にはほとんど人はいない。その夫婦の子供たちはすでに独り立ちして家を出ており、実質的にそこに暮らしているのはその二人の夫婦だけである。住んでいる者の数よりもよほど執事や秘書、メイドの数の方が多いのだから建物自体も空き部屋のような状態の部屋がほとんどである。


 ただでさえそんな閑散とした状態なのに、夫婦の私物もほとんどないため、昼間、公邸の主がここを開けるとほとんど空き家の様に寂しくなってしまう状態だ。今夫婦がいる部屋も建物自体に飾り気がないうえに調度品も質実剛健な頑丈さと便利さ優先のものしかないため、建物内部だけを見せられたらこれがこの国のトップの住んでいる建物だと見抜ける者はいないであろう。


 老女に跪いていた岩のような大男が口を開き、その低い声で感謝の声を述べる。


「お前には苦労をかけてばかりだ……まっこと感謝いたす」


 老女は柔らかい笑みを浮かべてそれに答える。


「なんですか急に。あなたのおかげで私はこの国のファーストレディにまでなれたんですから、苦労なんてありませんでしたよ。苦労ばかりしていたのはあなたでしょう」


 大男はかぶりを振る。


「さにあらず。おれの魂さえまともに生まれて居れば、お主に斯様かようななやみなど与うことなかったろうに。人並みの幸せを掴めしものを、おれのせいで、おれせいで……」


 苦しそうに後悔の念を吐き出す大男を老女は優しく抱きしめた。


「あなたは誰よりも立派な方です。あなたと共に歩めて、私は、幸せでしたよ……」


 その時、二人のいる部屋のドアをノックする音が聞こえた。大男は立ち上がって佇まいを正すと、入室の許可をする返事をした。ドアを開けて入ってきたのはこの屋敷の一切を取り仕切っている壮年の執事であった。


「猊下、ブロッズ・ベプト様が面会を致したいと」


斯様かような刻限にか」


 メザンザが窓の外を見る。夜中というわけではないが、日は沈んで、1時間ほど経っている。まだ秋には少し遠い季節、訪問には少々不躾な時間ではある。


「追い返しますか?」


「よい、礼拝堂に来るよう伝えよ」


 執事は小さく会釈をすると部屋を出て行った。彼は基本的に屋敷の中に人を入れることはない。国外の要人をもてなす場合でも公邸ではなく官邸の方に招き、国内の親しい友人でも公邸の方に入れることはほとんどない。それほどまでに自分の空間に他者が入り込むことを警戒しているのだ。


 メザンザは見送るために椅子から立とうとする妻を手で制し、「行ってくる」とだけ伝え、鏡で服装の乱れを確認すると、部屋を出て行った。





 メザンザが礼拝堂の扉を開けると礼拝堂の最前列の椅子に座っていた聖騎士ブロッズ・ベプトが立ち上がって出迎えた。


「夜分にすいません、猊下。牢に捕らえているグリムナ一行の事でお願いしたき儀があり、参上いたしました」


 若干申し訳なさそうな表情をしてブロッズはそう言葉をかけた。メザンザは小さくフン、と鼻を鳴らす。いつもは自分と話すときも席を立たないのに、『お願い』に来るときは席を立つのか、と軽い苛立ちを覚えたのだ。


「申してみよ」


「そもそも、グリムナ達は何の罪で捕らえられたのですか。無法な理由であれば、教会の威光を傷つけることにもなりましょう。私としては、彼らの釈放を望みます」


「城内への断りなく立ち入りたる無法、そしてあれだけのわんぱく三昧を起こしておいて、不問にせよ、と……?」


 あれだけの大騒ぎを『わんぱく』で済ませるメザンザに一瞬ブロッズは表情が崩れそうになったが、しかし即座に反論をする。


「それもこれも元はあのエルフ、フィーを捕えたことが事の発端のはず。それもラーラマリアの要望でしょう。なぜ猊下はあの女の言いなりになどなるのです。これ以上の横暴は権力の私物化の誹りを免れますまい。教会の権威を地に落す行為に他ならないと思われますが」


 この言葉を受けてメザンザはふむ、と小さく頷いてしばらく自分の顎を撫でて思案していたが、やがてにやり、と口角を上げてから口を開いた。


「教会の権威か、左様な物は放っておいてもじきになくなろう。余の話したるは其の先たることわりぞ」


 一瞬この言葉を聞いて呆けてしまったブロッズを気遣うことなくメザンザは話を続ける。


「よいか、何故なにゆえ竜はなくならんと思う。民が愚かなる故ぞ。四百年の時を経ても痴れ者は痴れ者のまま、すくたれ者はすくたれ者のまま。少なくない者共がいくら足掻こうとも、民の愚かさは変わらぬ。その先にあるものはマジ死ゾ」


「竜の顕現が避けられぬものならば、の機を操らねばならぬ。いつ現れるのか知らぬ、存ぜぬ、ではまずい。然る時に、然る場所でなければならぬ。其の余の心とヴァロークは一致しておる」


 話を聞いていたブロッズの顔面が蒼白になった。


「つまり……ヴァロークと猊下は協力関係にあり、竜の復活が避けられないものなら、敢えて呼び起こそうとしている、と……?」


「それな」


 さらにメザンザは言葉を続ける。


「ヴァロークがどうかは知らぬが、余は呼び出した竜を打ち倒すつもり也。ラーラマリアのエメラルドソードでもよいが、それではちと心もとなし」


 確かにその懸念点は理解できる。そもそもラーラマリアを触媒にして竜を呼び起こそうというのにそのラーラマリアが竜を倒そうとするのか、それが分からないし、元来気分屋な彼女の事だ。いざというときになって使い物にならない可能性が高い。あまりにも確実性がない。


「そこでだ。お主の儀、聞きたる代わりに一つ、余も所望する物ぞあらん」


 メザンザはずんずんとブロッズに歩み寄りながらそう言い、さらに彼に人差し指を突き立てながら言葉を続ける。


「『竜の魔石』を持っておるな? それと引き換えにグリムナ達はお役御免としよう」


 ブロッズは思わず目を丸くして驚いた。


 誰にも話してはいないはずであったのに、しかしこの男には知られていた。


 オクタストリウム共和国の首都ボスフィンでマフィアのボス、ノウラ・ガラテアを殺害した際に彼女から手に入れた緑色の怪しく光るエメラルドのような不思議な宝石、『竜の魔石』。


 竜の遺骸から作られたという聖剣エメラルドソードと何か関連があるのではないかと思い、持ってはいたが、しかし何も掴むことができずにいた魔石。実を言うと今も持っている。使い道は分からないものの、しかし大変に貴重なものであることは間違いない、と肌身離さず持っていたのだ。


 ブロッズは思わず胸に手を当てる。その鎧の下、ペンダントに加工して彼の首から『竜の魔石』はさげられているのだ。


「もはや応えはいらぬ。その石、貰うたるぞ」


 ブロッズの反応から今持っていることが分かったのだろう、彼の胸元に無造作に手を伸ばそうとするメザンザに、ブロッズは思わず間合いを取りながら剣を抜き放った。


 斬撃音でもなく金属音でもなかった。しかし『何か』の手ごたえを感じてブロッズの剣は弾かれた。もはやブロッズには先ほどまでの蒼白な不安そうな表情はない。社会の暗部で破壊工作に勤しんできた男である。修羅場は慣れている。たとえどのような精神状態だろうと、戦いが始まれば彼は迷うことはないのだ。


 出入口はメザンザが押さえている。逃げたくば彼を倒して先に進むしかない状況だ。


 礼拝堂の周りは、この会話を聞かれることがないようメザンザが事前に人払いをしてある。『話し合い』が終わるまで誰かに邪魔されることもない。ただ、シンプルに、勝ち残った者が命と、『竜の魔石』を手に入れて悠々とこの礼拝堂から出ることができるのだ。すでに二人の顔には覚悟を決めた男の眼差しが炎の様に命を燃やしている。


「この男に『魔石』は絶対に渡してはならない……ここで切り捨ててくれる」


「善き哉、ビショップ空手十段の業前、とくと御覧じろ」

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