第381話 彼女の決意
いつもは訳知り顔で泰然自若としているウルクが、その日だけは妙に緊張の色をその表情に乗せていた。
このヤーベ教国の首都、ローゼンロットには南の諸国よりも少し早く冷たい風が吹き始めている。もうすぐ冬が来る。特に北部の人間にとっては厳しい季節だ。
流通も農業技術も発達していない世界では冬になれば大なり小なり餓死者を出すのが常である。
人々の気持ちが落ち、沈み込む季節、ヤーベ教国では言いようのない暗い、人々の不安で溢れていた。それはやがて来る冬への陰鬱な気持ちだけではない。周辺諸国との悪化した関係でも、北部で侵攻が始まっているターヤ王国との事でもない。
突如として議事堂が粉みじんに吹き飛び、議会が停止され、国家非常事態宣言が出されたからである。
現在この国はメザンザ大司教による独裁政治体制が敷かれている。
「猊下、勇者殿をお連れした」
物怖じしていることを悟られまいと、ウルクは出来る限り感情の色を込めずにそう言った。
先日のメザンザによる破壊行為を逃れていた礼拝堂の最前列の席で、メザンザは両手を固く握り、額につけ、それこそ祈るように目をつぶって座っていた。
メザンザは立ち上がって中央にある通路まで進み出て無言でウルクを見つめる。ウルクはごくりと生唾を飲み込んだ。彼は知っている。5年前のローゼンロット崩壊はおそらくこの男のせいであろうという事を。ならば先日の議事堂爆破もそうだ。
およそ個人の持つ武力というものを超越した存在である。
ウルクが礼拝堂の中央程まで歩んでいくと、それに少し遅れて長身に金髪の美女が肩で風切り進んでゆく。勇者ラーラマリアである。腰には聖剣エメラルドソードを携えている。
ほんの1か月ほど前にウルクの指揮する軍隊をたった一人で壊滅寸前にまで追い込んだ女。こちらもやはり個人の持つ武力から大きくかけ離れた存在である。
一応表向きはどちらも味方ではあるものの、前後両方からの強い圧を感じてウルクは息が止まる思いであった。胃が痛い。
「胸に空いた穴はもう平気みたいね」
ラーラマリアがニヤリと笑いながらそう言う。
「お主が開けてくれた穴だな」
メザンザも同様に笑みを浮かべた。ウルクは驚愕の表情を見せる。彼は知らなかったが、この二人は5年前、刃を交えているのだ。しかも……
「今日はあの具合の良い尻の黒髪の男は連れていないのか」
グリムナをめぐっての戦いである。ウルクの後ろから、ぎりり、と歯を食いしばる音が聞こえた。彼は怖くて振り返ることができない。胃に穴が開きそうである。
ウルクが彼女を引き連れてメザンザのもとに連れて来る、そして人払いがされており、他には衛兵も、最低限の身を守るための(メザンザに必要かどうかはともかく)親衛隊もいない。
それはつまり大司教が表に出していない目的を遂行するためという事である。
「ともに人の世を終わらせる覚悟ができ申したか」
「あんたみたいなホモ野郎と一緒に、ってのは反吐がでそうだけどね」
きりきりと痛む胃の辺りをウルクが押さえる。本来ならばこの二人が手を組むことなどあり得ないのだ。かたやメザンザが最も嫌うホモフォビア。かたやこの世界においてグリムナ以外に価値を認めない女、そしてそのグリムナを犯そうとした男。
この二人が手を組む。それを成し遂げるという事があればヴァロークにとっては僥倖以外の何物でもない。
ラーラマリアは左の腰に差している聖剣の柄をぐっと押さえた。それに呼応するようにメザンザは帽子の上から額を押さえる。
「竜の魔石が……共鳴している」
「
その上、現在確認されているたった二つだけの『竜の魔石』……人の魂を吸い取り、その力の源とする秘石をそれぞれが所有している。まさに世界の命運を握る二人である。
「一つだけ聞きたいわ」
ラーラマリアが視線を剣の柄に怪しく光る魔石からメザンザの方に向けて言葉を発した。
「私は、本当に神託で選ばれた勇者なの?」
ウルクはこの言葉に片眉を上げて訝しげな表情を見せた。正直言って神託も、勇者も『教会が権威づけのために適当ぶっこいてるだけだろう』という認識であったからだ。
しかしラーラマリアは真剣な表情である。
彼女はずっと考えていたのだ。
なぜ教会が自分などを『世界を救う勇者』なんかに認定したのかを。
確かに、彼女は喧嘩や戦闘で後れを取ったことはない。目の前にいる大司教メザンザをも退けたことがある。聖剣を携えていれば一国の軍隊にも匹敵する戦力であると目されている。
しかし、だから何だというのか。
そんなものが世界を救う力足りえるのか。本当に世界を救うのは『武力』なのか。本当に世界を救えるのは……
「モチのロン。神託を受けたのは儂だけではないのだ。
どうやらメザンザはラーラマリアが世界を滅ぼす力が自分にないと危惧している、と思ったようで、励ますようにそう言った。
だが違う。
そうではないのだ。
メザンザ達に神託を与えたもの、それが何なのかは分からないが、しかし『それ』が本気で世界を救おうと考えていたのならば、選ぶのは自分ではないはず。そう考えていたのだ。
そして、『世界を救えそうな人間』に心当たりがあるのだ。
この世界にいる、彼女が今までに出会ったどんな人間とも違う考え方をする人物。そしてそれを強い意思で貫き通す人物を知っているのだ。彼女は、その人物こそがこの世界の希望だと思っている。
そして、その人物がいる限り、この世界には絶望は訪れないのだと。
「ふぅん、まあいいわ。何するか決まったらまた連絡ちょうだい」
励ますようなことを言ったメザンザに対し、ラーラマリアは気のない返事で返す。礼拝堂の扉に手をかける彼女にウルクは「どこへ行く気だ」と声をかけたが、彼女はそれに気を払うことなくドアを開けてから答えた。
「ここは息が詰まるわ。外の空気を吸ってくる。
安心して、あんた達への協力はするわ。約束通りね」
ラーラマリアは外に出て空を見上げた。
ゲーニンギルグの建造物群。5年前のメザンザの大暴れと暴動によりその多くが消失し、つくりかえられたが、しかしやはり建物が密集して空が狭く感じるのは変わらない。
屋根の下でも外でも、やはり息の詰まる場所だった。
「メザンザ……あの時は勝利したけど、もう一度戦えば勝敗は分からない……」
ラーラマリアは頭の中で戦いをシミュレーションし、組み立て始める。
「残念だけど、あんた達の思うようにはならないわ……
私が命に代えても、この世界を守って見せる。グリムナのいる、この世界を」
世界でただ一人、彼女だけが気づいている。
世界を救うのは勇者ではなく、グリムナなのだと。
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