第380話 一撃虐殺

 右足を引き、左足を前に。


 左手は自らの体を覆い隠すかの如く前に出し、右手は拳を握り腋に強く引き絞る。


「メザンザ猊下……一体何を……?」


 財務長官アズは恐怖に震えつつもメザンザに問いかけたが、しかし返ってくる答えはない。


 深く、深く構える。腰を落とし、半身に構えるその様は襲い掛かる直前のネコ科動物を思わせる。


 ヨッコ翁は思い出していた。5年前のローゼンロット崩壊。あの原因は竜が暴れたことではなく、何者か、人間の仕業であるという噂があったことを。


 その刹那、全ての力が解放された。右足の親指から足首、膝から腰へ、胴体から肩へ、そして腕から手首へ。全ての力が川の濁流の如くメザンザの体を流れる。


内閣総辞職突きソニックブラストショット!!」


 キュバッ、と轟音が鳴り響いた。それはまさしくこれまでの人生でおおよそ聞いたことのないような音であった。


 技としては至極単純である。極・超音速を極めた正拳突き。その衝撃波が周りの人間を襲うという必殺の一撃。いや、一撃必殺ではない。一撃虐殺の技である


 一瞬、空気が揺らいだ。その場にいる誰もが景色が歪むのを感じた。だがそれも一瞬の事。おそらくは0.1秒にも満たない時間だっただろう。


 ドオン、とゲーニンギルグの宮殿に爆発音が響いた。


「うおお!」

「なんだ!?」


 まさにメザンザ大司教の不信任案の採決を取ろうとしていた議事堂に集まっていた議員たちにも当然その爆発音は聞こえていた。


 いや、聞こえていただけではない。メザンザが軟禁されている部屋は議事堂からは三つ四つほど向こうの部屋だったはずだが、間の壁が全て吹き飛んでメザンザの姿が丸見えであった。ついでに屋根も吹き飛ばされて青空議事堂になっている。


「な、何が起きたんだ!」

「閣僚たちは、騎士たちはどうしたんだ!! メザンザが自由になっているぞ!」


 議員たちは気づかない。大司教の足元に転がる肉片が、かつては閣僚や騎士だったものだとは。極・超音速の衝撃波を受けて爆発四散した、かつては人間だったものだとは。


「ぬしら……勝手なことをしてくれたものよのう


 低く響くメザンザの声に、気圧けおされながらも、議員達は必死で反論を試みる。


「か、勝手なことは貴様の方だ!」

「いくら便宜上最高指揮官だからって、議会の承認もなしに軍を動かして!!」

「王にでもなったつもりか!! 独裁者め!!」

「そーり! そーり!」


 ガチョウの如くまとまりのなくわめく声。それに対しメザンザは、地に響くような、低く、太い声であった。


「甘言を弄し、その実ヨッコのような俗物に肩入れし、民を危機に陥れる……もはやうぬらに立法府としての資格も矜持もないか」


 その声は音ではなく振動で感じられるほどの力を秘めていた。一瞬議員たちは黙りこくってしまったが、しばらくするとまたぎゃあぎゃあと口汚くメザンザを罵り始める。


 すると、再びメザンザが口を開いた。


「ド許せぬ。解散総選挙一撃虐殺を言い渡す」


 議員たちはその言葉の意味が分からず戸惑うばかりであった。もちろん『解散総選挙』の意味はよく知っている。議員が最も恐れるものだ。恐れているのになぜかそれが決まった時は『万歳』をするという謎の風習がある。


 それを今ここで宣言するというのだ。何の調整も無しに。


 議会の解散は大司教の専権事項である。さらに大司教は選挙で選出されるわけではない。だから関係ないと言えば関係ないのだが、しかしあまり議会を疎かにすると議員の協力が得られずにまつりごとの進行に悪影響が出るので勝手な行動はできないはずである。


 さきほどメザンザと部屋を取り囲んでいた騎士達は衝撃波で全滅してしまったが、勝手な行動をさせまいと、新たな騎士達が駆けつけて彼を取り囲む。


 しかしメザンザはそれに気を払うことなく、一瞬沈みこんだかと思うと跳躍した。彼が先ほどまで立っていた場所の石床は放射状に亀裂が入っている。


 跳躍。と、言っていいのかどうか。


 彼は20メートルほども青空に飛び上がっていた。先ほどの衝撃波で屋根が吹き飛んでいなかったら視認できなかっただろうし、実際遮蔽物はないのに彼の姿を見失っている者がほとんどであった。


 それほどに常識はずれな高さの跳躍であった。空中で一瞬停止したメザンザの体が今度は自由落下に切り替わる。建物の五階から6階ほどの高さからの落下。尋常であれば墜落死Drop Dead Cynicalは免れぬ高さ。


 しかし自力で跳躍したメザンザは当然そのような恐れなど抱かぬ。空中で姿勢を制御し、大きく右拳を斜め上に引き絞り、左手は真下、議事堂の中央に狙いを定めながら落下してゆく。


「一体何を!?」

「落下してくる!!」


 その意図は分からないものの、議員たちは我先にと落下地点から距離をはかろうとする。


 だがおそらくは無駄な足掻き。最初の衝撃波で十分に遮蔽物が取り除かれたこの場において、もはや安全地帯悲しみにさよならなどないのだ。


 着地の寸前、位置エネルギーが十分に運動エネルギーに置換された瞬間を狙ってメザンザは右拳の突きを地面に向かって放つ。


隕 石 落 と しロックダウン!!」


 それはもはや爆撃と言っていい一撃であった。


 メザンザの拳の狙いには何もない。虚空である。最初からその拳を何かに当てるつもりなどさらさらなかったのだ。狙いは衝撃波による一掃。


 衝撃波の輪、瓦礫の波紋がメザンザを中心に放射状に広がってゆく。人の体は容易く千切れ、飛び散り、はたまた天高く打ち上げられた。


 後に残るのは大司教を中心にした直径50メートルほどの巨大なクレーターであった。もはやそこに建物があったのだということすら、知らぬ者には判別できないであろう。


 メザンザは先ほどまでとは打って変わって晴れ晴れとした表情で、手のひらでひさしを作って辺りを見回す。衝撃波の影響でズボンが破け、フルチンである。


「うむ、気分爽快。爽やかになるひと時。議事堂も一旦更地にして再開発ハコモノ行政よ」


 この日よりヤーベ教国では国家非常事態宣言が出され(戦時下なので当然だが)、非計画的な疎開による食料の不足を防ぐため国民の移動は厳しく管理され都市封鎖ロックダウンが実施された。


 町を出歩く者も少なく、自粛警察が闊歩し、イベントは全て無観客で行われるようになった。


 なお、この日、議事堂を襲った二回の爆撃については唯一の目撃者であり生存者である大司教の証言により、『隕石である』と記録されている。


 メザンザは、フルチンのまま自らの拳を見て、にやりと笑いながら呟いた。


「ふぬ、ターヤ王国などおそるるに足らん。おれの拳一つあればいつでも蹴散らせよう」


 確かに、あれほどの破壊力。その拳は一国の軍隊を遥かに凌駕する。だが、ターヤ王国軍を引き入れたヨッコ翁と同様、彼もまた、未だ事態を収束させるつもりなどないのだ。いまは、まだ。


「愚か者どもにふさわしき世界になりおった。今しばらく戦が長引けば、竜の復活もそう遠くなかろう」

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